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両者の関係は良好か。「VAR×日本人気質」。その化学反応を予測する

杉山茂樹スポーツライター
写真:杉山茂樹

 誤審もサッカーのうち。サッカーは曖昧さを受け入れ、それを愉しむスポーツだと言われてきた。

 両軍併せて22人の選手が105m×68mのピッチの上を、ボールを中心に絶えず入り乱れるように動き回るスポーツだ。インステップキックが的確にヒットすれば、その速度は140キロを超える。急変するこの選手とボールの流動を、主審と副審2人のわずか3人で裁くことに無理があった。VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が導入されて1年半以上経過した欧州サッカーを眺めていると、つくづくそう思う。

 足を中心にボールを操るスポーツなので、手でボールを操るスポーツに比べて、競技力には向上の余地がたっぷりある。サッカーは右肩上がりの進歩が約束されている競技だ。古い動画を見れば分かりやすい。当時はこんなに緩くのんびりとした環境の中でプレーしていたのかと、現在との差に隔世の感を抱くことになる。

 審判は審判技術を向上させながらこの変化に対応してきた。選手とともに右肩上がりで成長してきた。それがいま限界を迎えているかに見える。競技力の進歩に追いつけなくなっているという印象だ。VARの導入には強い必然性を感じる。

 日本では、近日開幕する今季のJ1リーグで本格的に採用される。だからといって誤審がなくなるとは思えないが、これまで、魅力のうちとされてきた曖昧さが、薄れていくことは確かだろう。

 この曖昧さはその昔、日本のファンにはカルチャーショックそのものだった。日本から欧州サッカーの現場に出かけていったばかりの頃、なにこれ? と、ビックリさせられる瞬間に多々遭遇した。

 相手にちょっと接触されただけですぐ倒れる。さして痛くもないのにのたうちまわる。ペナルティエリア内でわざと倒れ、PKをアピールすることなど朝飯前だった。判定の恩恵にあずかりやすかったのはホーム側で、アウェー側にはPKを1本取られるぐらいの覚悟が必要とされていた。

 ホーム側に対して主審が有利な笛を吹くこのホームタウンディシジョン。筆者が最初に目撃したのは82年スペインW杯だった。バレンシアのルイス・カサノバ(現メスタージャ)で行われた1次リーグ、地元スペイン対ユーゴスラビアの一戦になる。初戦で弱小ホンジュラスに、まさかの引き分けを演じたスペインは、続く第2戦でもユーゴに先制されてしまう。開催国の1次リーグ突破は危うい状況になった。

 事件はそこで起きた。PKをもらおうとスペイン選手がペナルティエリア内にダイブを試みた。反則を受けた場所は、エリア外であることは明らかだった。1m以上優にあったと思われるが、判定はPK。話はこれだけではない。スペインのPKキッカーは、これを外してしまったのだ。すると今度は、主審はPKのやり直しを宣告。GKが蹴る前に動いたというのがその理由だった。

 スペイン大会が初めてのW杯観戦だった筆者には、異様な光景にしか見えなかった。サッカーという競技の正義感を疑いたくなったが、これが世界の現実だった。このあってはいけない事態をある程度受け入れていかないと、世界と伍していけない。このホーム優先主義並びにマリーシアと言われる狡賢さとどう向き合うか。日本サッカーにとって大きな課題とされてきた。

 日本を訪れた外国人監督は決まって、日本人選手のマリーシア不足を指摘した。フィリップ・トルシエは、赤信号を前にすると、どんなに車が来なくても横断歩道を渡ろうとしない日本人の姿と日本サッカーを結びつけ、皮肉った。同じく元日本代表監督のヴァヒド・ハリルホジッチも、ペナルティエリア周辺のいい位置で、フリーキックがもらえない日本人選手の、その狡賢さに欠けるプレーを常に嘆いていた(ちなみにハリルホジッチは82年W杯のスペイン戦に出場していた)。欧州に出かけた日本人がカルチャーショックを覚えるのと同じように、日本にやってきた彼らも日本のサッカー界にカルチャーショックを覚えていた。

 日本は頑張ろうとした。相手にちょっと接触されただけで倒れる選手の割合はグンと増えた。かつて0%だった日本人のマリーシア度は、本場の20%ぐらいまで上昇したかに見える。しかし100%の域には、技術面では迫ることが可能かもしれないが、気質が絡むマリーシアは難しいだろう。

 そうこうしているうちに最近、逆の流れも生まれている。マリーシアへの否定的な見方だ。相手にちょっと接触されただけで倒れる姿、痛くもないのにのたうち回る姿への疑問は、日本で開催されたラグビーW杯後、沸騰しているように見える。世界各国のラグビー選手たちがこの大会で披露したそれとは真逆な姿を見て、あるべき姿はやはりこちらでしょと言いたくなった人は、サッカーファンの中にも多くいたはずだ。

 サッカーもラグビーも本場は欧州だ。しかしサッカーで幅を利かせているのは南米色を兼ねたラテン系(フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル等)で、ラグビーは英国だ。サッカーで英国と言えばイングランドのプレミアになる。そして、このリーグのジャッジもラグビー的な気質を重んじる傾向がある。主審は、ちょっとした接触で倒れても簡単に笛を吹こうとしない。イングランドの国内リーグと言っても、各チームの実態は多国籍軍だ。マリーシアに溢れた選手も少なくない。判定の傾向は、それだけに顕著になる。

 欧州サッカーファンと言うより、イングランドに特化したサッカーファンが日本には少なからず存在する。そこに漂う気質にシンパシーを感じるからではないだろうか。

 さらに、チャンピオンズリーグ及びその他のリーグも、VARの導入に伴いプレミア化しているように見える。調べたわけではないが、ホームタウンディシジョンも薄れているはずである。先述した、スペイン対ユーゴ戦のような判定は、もはや起こりえない状況にある。

 VARは主審とVARルームとの交信によって成立するシステムだ。しかし、微妙な判定を巡り、映像を繰り返し流しながら、あーでもない、こーでもないと論じ合う習慣は、欧州には古くから定着していた。

 その役を担っていたのは、試合の実況席あるいは試合後のスポーツニュースで、テレビ局が判定を巡る問題から可能な限り目を反らそうとしていた日本とは別世界が開けていた。これも日本人の目にはカルチャーショックとして新鮮に映った。

 日本のテレビ局は、明らかなオフサイドにも「微妙ですね」の一言でお茶を濁そうとする。繰り返し映像を流すようなマネはしなかった。監督采配への言及でも見受けられる批判、批評を避けようとする儀礼的な事なかれ主義がスタンダードになっている。その傾向はいまなお健在だが、その反動だろうか、ネットはその分、盛り上がる。審判を誹謗中傷する書き込みも目立つ。欧州人に言わせれば、その書き込みの内容は、欧州とは比較にならないほど陰湿だという。

 特にテレビメディアが欧州のように、ファンのガス抜きの役割を果たせていないからだと思われるが、そうした日本にあって、VARは歓迎すべきものになるはずだ。テレビは好むと好まざるとにかかわらず、判定に触れざるを得なくなる。実況アナと解説者が、微妙な映像を繰り返し眺めながら、これまで言いにくかったことを話す、まさに本場的な姿が展開されることになれば、それはVAR導入による思いがけない副産物と言える。

 VARを歓迎すべき理由は、他にもある。これまで主審は判定の責任をほぼ一手に担っていた。陰湿な誹謗中傷を受ける対象になりやすかった。しかし、ゴールにかかわる重要なシーンはこれからほぼ毎回、VARルームと交信される。最終的に決断を下すのは主審だが、世の中には複数の人がかかわった上での判定であることが広く知れ渡ることになる。主審のリスクは従来より、軽減される方向に進む。

 先日開かれたJFA審判委員会によるメディアカンファレンスでは、主審とVARルームとで交わされる交信の音声が紹介された。日本人のスタッフによる、訓練のためのものであったが、これが、多くの人に聞かせたくなるほど優れもので、面白かった。短時間で決着させなければならない、切羽詰まった状況下で繰り広げられる、スピード感に富む的確な言葉の応酬に、なにより感激させられることになった。この事務処理能力の高さが求められる合議制。思いのほか日本人に向いていると考える。

 マリーシアもホームタウンディシジョンも浸透していない日本は、サッカーには気質的に向いていないのではないか。それなしにW杯で上位に行くことは難しいのではないかと、日本とサッカーの関係に懐疑的になる人は少なからずいる。しかし、そうしたハンディはVARの導入で、いくらか解消されそうな気がする。VARは日本人の気質に適した新制度のような気がしてならないのだ。実際にどんな化学反応を引き起こすか。注目したい。

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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