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東京五輪ボランティアユニフォーム騒動。その本来の任務とのギャップに内向きニッポンを垣間見る

杉山茂樹スポーツライター

小池都知事のツルの一声で、デザインの見直しが決まったボランティア・スタッフのユニフォーム問題。舛添前都知事がゴーを出したデザインより、小池都知事の、ケチの付け所に僕は違和感を抱く。

「色がバラバラ。これを着たいからボランティアになりますという話も聞かれない。都民が着たくなるようなものにすることが東京のPRになる」と、小池都知事は、こんなデザインのユニフォームを着るのは、東京の不名誉だと間接的に述べたわけだ。

ワイドショーでは、それを受けてコメンテーターが議論を始めた。著名なデザイナーも登場。独自の思いを語った。中には、見直しによる経済的な損失を指摘する人もいたが、大勢を占めたのは舛添前都知事がゴーを出した案はダサいという意見。ネットの記事やSNS等々でも、それに呼応するような反応が飛び交った。小池都知事の人気ぶりを示す一件と言える。

しかし、この話をする上で、まず考えなければならないのは、ボランティアの本来の意義だ。そもそも何のために存在するのかを考えると、少なくとも、ユニフォームのコンセプトを、東京をPRするための道具と捉えるその思考とそれは一致をみなくなる。

ボランティアは主に外国人観光客のために存在する。日本を訪れた外国人観光客の快適な五輪観戦をサポートする。ホスピタリティの質の向上。これが主要な任務だ。ユニフォームのデザインは、その仕事の内容に準拠すべきものになる。

日本人は概して語学が得意ではない。語学堪能なボランティアは、日本語を読んだり喋ったりすることができない外国人観光客には頼みの綱。情報不足。五里霧中に陥りがちな彼らの、貴重な水先案内人なのである。

ボランティアは外国人観光客から探し求められている存在だ。しかし、スタジアム周辺は混雑でごった返している。となれば、そのユニフォームは一発で発見されやすい、目を引くデザインでなければならない。外国人から見れば日本人は小さい。目立ちにくい背格好なので、なおさらだ。

最優先されるべきは、お洒落さ、格好よさではない。目立つか否か。パッと目に飛び込んでくる明快さを備えたシンボル。表示のような役割を果たさなければならない。

想起するのは98年の長野五輪。ボランティア・スタッフは、いろんな場所で活動していた。困っている人はいないかと、それこそ「お・も・て・な・し」の精神を発揮しようと頑張っていたのだが、特別な身なりではなかった。一般人との違いは腕に巻く“腕章”で、そこに「English」や「French」等、自らの得意な言語を表示していたのだが、外国人観光客が、彼らを発見することは至難の業だった。腕章の効果は乏しく、「お・も・て・な・し」は、空振りに終わった。

お洒落さ、格好のよさ、小池都知事が言うところの「都民が着たくなるようなもの」を、優先すれば、長野五輪における腕章になりかねない。

一般人がまず着そうもない斬新なデザインという視点に立てば、ボツになった舛添案は、世間が言うほど悪くない。むしろ中途半端。もっとピエロ的な奇抜さがあってもいいと思うほどだが、決定的な問題は、「i」の文字が弱いこと。左胸と帽子の横に2箇所描かれているのみ。目立たないのだ。背中にそれ以上、目立つように刻まれていたのが「おもてなし」。ひらがなとローマ字の両方で、だ。外国人観光客にとって、どちらが必要な情報かと言えば、断然「i」。

「i」は、言わずと知れたインフォメーションの略。世界共通の表示記号だ。「?」も存在するが、多数派はこちら。海外を訪れたとき、「i」のマークを探し求め、目に止まった瞬間、一安心した経験を持つ人は多いと思う。旅行者にとって「i」ほど頼もしい目印はない。

この場合のボランティアはまさに「i」。目立ってなんぼ。これがホスピタリティの本質だ。「お・も・て・な・し」という日本語を知ってもらう前に、キチンと「お・も・て・な・し」をする。思考の順番が逆なのだ。小池都知事の「東京をPRする」も似たような話。「お・も・て・な・し」をキチンとすることが、ひいては東京のPRに繋がるのだ。

本末転倒だ。IOC総会の最終プレゼンテーションで、滝川クリステルさんは「お・も・て・な・し」を、殺し文句のように使用した。日本は「ホスピタリティに優れた国ですよ」と、思いっきりアピールしたわけだが、それは本来、招く側が胸を張って口にする台詞ではない。「あの家のおもてなしは素晴らしかった」と、招かれた側が、感想として述べるもの。招く側は完璧に、もてなしたつもりでも「お粗末様でした」とか、「お口に合いましたでしょうか」とか終始、奥ゆかしく控え目でいる。これが日本らしさではないのか。

身内の隠しテーマを、恥ずかしげもなく全面に押し出そうとする感覚。「東京のPR」にも、全く同じことが言える。まさに「都民ファースト」になってしまっている。「お・も・て・な・し」は、外国人観光客ファーストの宣言ではないのか。順序が逆。この奥ゆかしさに欠ける内向き過ぎる発想で、ボランティアのユニフォームが新しくデザインされたとなれば、「お・も・て・な・し」は不発に終わる。僕はそう思うのだ。

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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