J3首位の栃木を支える異色のコーチは、 元バルセロナ在住カメラマン

 写真:岸本勉/PICSPORT(本文中も)

Jリーグ各クラブの監督、コーチの供給元になっているのは選手だ。元選手が引退後に就く仕事。Jリーガーの再就職先。これが常識として浸透している。しかし海外に目を転じれば、プロ選手の経験がない監督はごまんといる。名将、名監督も少なくない。「日本の常識、世界の非常識」と言いたくなる既成概念が、日本にはまだ存在している。

日本で、選手としての経験に乏しいながら、実績を残した監督として知られるのが、吉武博文(現FC今治監督)だ。2013年のU‐17W杯で日本をベスト16へ導いた監督。個人的には、「日本」という名のつくチームの中で最もよいサッカーをした監督との位置づけになる。彼は元教師。ただし、少年サッカーの指導者として名を残してきた実績があり、サッカー指導に一貫して携わってきたスペシャリストだ。

元銀行員で、現在、ナポリ監督の座に就いているマウリツィオ・サッリのように、全く別の職種から転身してきたわけではない。しかしそのサッリとて、余暇を利用して下部リーグに所属するチームを指導してきた。

30代半ばを過ぎて初めてサッカーの指導と関わるケースは珍しい。現在、横山雄次監督率いる栃木SCでヘッドコーチの座に就いている鈴井智彦は例外中の例外と言っていいかもしれない。

元フォトグラファー。サッカーをメインに撮影してきたフリーランスのスポーツカメラマンだ。96年から08年までの12年間、バルセロナを拠点に、スペインのみならず欧州、そして世界を駆け回り、多くのメディアに写真を提供。サッカー通の読者には知られた存在だった。

一応、赤襷(たすき)のユニフォームで有名な名門FC刈谷の出身で、大学時代は礒貝洋光、澤登正朗らがいた東海大体育会サッカー部(トップチームではなかったが)に属していた過去を持つ。だが卒業後は選手を辞め、サッカー専門誌を出版する会社に就職。企画、編集、ライティングを一通りこなすマルチな編集部員として働いた。

その経験から、バルセロナ時代も写真を撮るばかりではなく、時に原稿も執筆。すなわち栃木の鈴井ヘッドコーチは、格好よく言えば「ジャーナリスト出身の指導者」ということになる。

スペイン通、バルセロナ通は、この世界に少なからずいるが、僕の知る限り、鈴井コーチが一番だろう。現地で実際に数多くの取材をこなしているからだ。彼は、バルセロナ在住者ならではの独得の現地感を持ち合わせていたので、監督、選手のインタビューを行なう際の同行カメラマンとして、まさに頼れる存在だった。

ルイス・ファン・ハール、そしてフランク・ライカールト&ヘンク・テン・カーテの時代だ。

ドリームチームと呼ばれたクライフの時代が終わり、低迷期を迎えた時代にバルセロナに定住。05~06シーズン、チャンピオンズリーグで14年ぶりの優勝を遂げるまでのその一連の紆余曲折を、目の当たりにしてきた。「グアルディオラの監督時代を見ていないことが心残り」とは本人の言葉だが、バルサのスピリット、クラブとしての哲学に迫ろうとするなら、勝っているときより、勝てないときの方が語るべき要素は多くある。学ぶべき要素が多く含まれている。指導者として。

バルサは彼がバルセロナを離れた直後、絶頂期を迎えた。カメラマンとしての商売を考えれば、惜しいことをしたことになる。「やっぱり、サッカーを”する”ことが好きだったんです」と、彼は言うが、帰国して最初に向かった先は沖縄だった。当時、JFLだった琉球FC。取材先でチームの関係者と出会い、話が盛り上がった末に、フロントのスタッフとして沖縄行きの流れになったと言うが、はた目にはあまりにアッサリした決断に映った。

かつてサッカー専門誌を辞め、バルセロナに移り住むときの決断も、同様にあっけなかった。それまでカメラ機材を一切、いじったことがないにもかかわらず、バルセロナでカメラマンになるという決断をしたのだ。

ここだけの話、バルセロナに行ったばかりの頃は、カメラの操作法について僕以上に知識を持ち合わせていなかった。荒唐無稽と言わざるを得ない転職だ。そこからほぼ独学で猛勉強。ようやくカメラマンとして有名になった頃、また転職。華の都バルセロナから、日本でもサッカーが盛んな地域とは言いにくい沖縄へ、居場所も変えた。サッカー的には、1部リーグから10部リーグへ降格したようなものだ。

指導者の道も順風満帆ではなかった。下部リーグの指導者ほど不安定な職業はない。鈴井は2年後、琉球FCを去る運命に。沖縄の地方クラブのコーチとして何年か過ごした後、15年、今度はJ3、ブラウブリッツ秋田のユース監督に就任する。そして今シーズン、栃木のヘッドコーチに就任した。

何より感服するのは、東京→バルセロナ→沖縄→秋田→栃木と転々とする、そのいい意味での腰の軽さだ。もう少し詳しく言えば、その間、山口県でコーチをしていたこともあるし、職探しをする間、東京在住のベテランライター宅に居候をしていたこともある。

波瀾万丈の人生にしか見えないが、本人はいたって健康的。昔と変わらぬ、人なつっこい笑顔を向けてくる。

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9月18日に対戦したSC相模原には、GK川口能活がいた。かつて取材する側、される側の関係にあった両者は再会を果たしたわけだが、川口は「こんなところで、なにやってるんですか、鈴井さん……」と、驚きを隠せない様子だったという。

対戦相手である相模原の監督、安永聡太郎とも、かつては同様な関係にあった。安永が、スペインの2部(当時)リェイダに所属していた頃、鈴井カメラマンはその数少ない取材者の1人だった。その日、鈴井ヘッドコーチと安永監督が現場で顔を合わせる機会はなかったが、試合後に「実は……」とメールを送ると、安永監督は驚いて、「なんで会いに来てくれなかったんですか!」とリアクションしてきたという。

いい話。人と人との関係は多種多彩だが、彼らの関係はこれぞスポーティと言いたくなるエピソードだ。

昨季J2で最下位に終わりJ3に降格した栃木は、今季、今日的な悪くないサッカーで、2位大分に勝ち点4差をつけ、首位を行く。鈴井ヘッドコーチがその好成績にどれほど貢献しているのか定かではないが、チームが成功を収めれば、指導者の格も自ずと上がる。

見かけはお笑い系。失礼ながら、将来の名監督をその風貌からイメージすることはできないが、日本の他の監督やその候補者より、”知っている”のは確か。「名選手、名監督にあらず」とはよく言うが、このジャーナリスト出身の指導者には、実際に誰よりもいいものを体感してきた強みがある。例えばバルサのサッカーについて、頭ではなく皮膚感覚で把握している。

「元プロ選手ではない負い目はある」と、本音を漏らす彼だが、現ジャーナリストとしては、活躍を祈る気持ちでいっぱいなのである。

(初出 集英社Web Sportiva 10月29日掲載)

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、2018年ロシア大会で連続10回現地取材となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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