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アギーレのサッカーが”堅守速攻”ではない理由

杉山茂樹スポーツライター

アギーレのサッカーは攻撃的なのか、守備的なのか。

就任記者会見でのことだ。アギーレが「まず守りを」と言えば、ある記者が「これまでの路線とは異なるのではないか」と、原博実サッカー協会専務理事に突っ込みを入れた。

この質問に代表されるように、世の中は、ザッケローニのサッカーは攻撃的だったという認識で、何となく一致している。

アギーレを招聘した原さんは、こちらのインタビューにこう答えた。

「これまでの路線は間違っていなかった。継承していくべきものだ」

http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2014/09/05/post_716/

http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2014/09/05/post_717/

原さんも「ザッケローニのサッカーは攻撃的だった」と認識しているようだった。原さんはFC東京監督時代、攻撃的サッカーを好む監督として知られていた。ザッケローニはそのコンセプトに基づいて招聘された監督だった。

イタリアでは実際、そのように位置づけられていた。日本代表監督としても、その通りのサッカーをしたのなら「路線」は貫かれたことになる。W杯本大会で惨敗を喫しても、原さんの大義は貫かれたことになる。そうした筋の通った話ならば、彼の面目もなんとか保たれることになる。

しかし、それは正しい解釈なのだろうか。

ザックジャパンのサッカーは、本当に攻撃的サッカーだったのだろうか。総括すべき、一番のポイントと言っていい。そこのところを明確にしなければ、次に進むことはできない。アギーレのサッカーがいかなるものか、不鮮明さは増す。世の中は混沌とするばかりだ。

そもそも攻撃的サッカーとは何なのか。

攻撃的サッカーと言えば、かつてはオランダの専売特許だった。74年W杯準優勝で、それは決定的なものになった。リナス・ミホルス監督が唱えた「トータルフットボール」を、主将として実戦したヨハン・クライフは、攻撃的サッカーについてこう述べた。「相手陣内でプレイする時間が長いサッカーだ」と。

80年代後半、プレッシングサッカーを唱えたアリゴ・サッキは、リナス・ミホルスのトータルフットボールを「発明だ」と表現し、こう続けた。「それが出現する前と後で、サッカーの概念は180度変わった。プレッシングサッカーは、そのリナス・ミホルスの延長上にある考え方だ」と。

相手陣内でプレイを続けようとすれば、攻め続ける必要がある。パスを繋ぎまくる必要がある。だが、ボールは奪われる。それがサッカーだ。それでも相手陣内でプレイしようと思えば、可能な限り早くボールを奪い返す必要がある。

「できる限り高い位置でボールを奪い返し、相手の守備陣が整わぬうちにゴールに迫る」とは、アリゴ・サッキが述べたプレッシングサッカーの概要になるが、イタリア人のある評論家は、このサッカーを「攻撃的守備」と表現した。

高い位置でボールを奪う行為、すなわちプレッシングは、守備の戦術であることは確かだ。しかし、それを実戦することは、守備的サッカーを意味しない。

プレッシングの対語になるのはカテナチオだ。後ろで守るサッカー。自軍ゴール前を固めるサッカーだ。攻撃的か、守備的かを見分けるポイントは、すなわちボールを奪う(奪われる)場所(高さ)になる。どこで奪おうとしているか。結果として、どこで奪っているか。

攻撃的か否かは、守備というボールを奪う行為のあり方で決まる。攻撃的サッカーを満たす、それは大きな要素の一つになる。サッカーの特殊性を語る上でも踏まえておくべきポイントになる。奪われたら、すぐにボールを追う。この守備の動作は、攻撃的サッカーを象徴するアクションなのだ。

ザックジャパンはそれができていただろうか。そのあたりにこだわったサッカーをしていただろうか。ブラジルW杯では、ボールを奪われた瞬間、天を仰ぎ、がっかりしている選手を見かけたが、これなどはまさに非攻撃的サッカーの象徴になる。

攻撃的サッカーといえば、最近ではバルセロナを連想する。ボール支配率の高いパスサッカーを、だ。しかし、パスを繋ぐ技術がいくら高くても、ボールを奪う位置が低ければ(ボールを奪うスピードが遅ければ)、高い支配率は望めない。そのボールの奪還能力が、絶好調時のバルサはとりわけ高かった。マイボールと相手ボールとの間に境界がないサッカー。相手にボールを奪われても、ボールに対してマイボール時と同じように反応した。パスサッカーはあくまでも表面的なもの。ザックジャパンはその表面的なところだけを、真似していたきらいがある。

「ブラジルW杯では、守備を固めてカウンターを仕掛けるサッカーが台頭。世界のスタンダードになっている。攻撃重視のサッカーでは歯が立たなかった日本のあるべき道はこちらだ」という声をよく耳にする。

手倉森誠監督率いるU−21チームを紹介する記事にも、そうした文言が目に付いた。「守備を固めて勝利を目指したい」と言うアギーレのサッカーとも良い関係を保つことができる。中にはそんな補足まで付いたものも見かける。話は相当こんがらがった状態にある。

「堅守速攻」。手倉森監督はある記者会見でそう述べた。だが、堅守速攻の「堅守」は、当たり前の話になる。堅く守らなければ、失点の山を築くことは見えている。だが、日本ではこれを「引いて守ってカウンター」という日本語に置き換える。まさにサッカー的ではない悪い習慣がある。

そしてアギーレのサッカーにも「堅守速攻」という言葉を用いる人は少なくない。これを「引いて守ってカウンター」という意味で使おうとしているなら大きな誤りだ。ウルグアイ戦、ベネズエラ戦のサッカーを見れば一目瞭然。「引いて守ってカウンター」ではないことは、誰の目にも明らかであるはずだ。

守備的な細貝萌を攻撃的なポジションで起用した意味は何か。後ろを固めようとするなら、守備的MFとして森重真人の脇に置いたはずだ。目的は攻撃的守備。プレッシングだ。そしてプレッシングが、守備的サッカーを象徴する作戦ではないことは、これまでに述べたとおりだ。守備的な選手を高い位置に置いてもサッカーは守備的にならない。攻撃的か否かは、起用する選手のキャラクターで決まるわけではないのだ。

こうした誤解が生まれる理由は、日本にプレッシングの文化が根付いていないからだ。「できる限り高い位置でボールを奪い返し、相手の守備陣が整わぬうちにゴールに迫る」プレッシングサッカーも、まさに「堅守速攻」だ。

なぜ高い位置でボールを奪おうとするのか。攻撃を連続させたいから。攻撃的サッカーを展開したいから。それこそが最大の目的だ。

「堅守速攻」という言葉は、きわめてファジーなサッカー用語なのだ。書き手が最も気を配らなくてはならない点であることは言うまでもない。もっとも、アギーレの過去を少しでも知っていれば「引いて守ってカウンター」の監督ではないことは明白なのだが。

もう一つ、ザックジャパンとの違いとして明白になったのは、サイドの活用方法だ。ザックジャパンは左サイドの高い位置で構えている選手がいなかった。4−2−3−1の3の左を任されたはずの香川真司が、その場所にいる機会はほとんどなかった。7割方、真ん中の位置にいたため、そこは大きな穴になっていた。プレスがまったくかからない状態にあった。「それでは危ないですよ」と再三指摘してきたわけだが、ブラジルW杯では、こちらが危惧したとおり、そこを相手に狙われた。原専務理事も「日本の左サイドは相手に研究されていたようだ」と語ったが、これは、攻撃的サッカーがキチンとできていなかった証拠だ。

ボール支配率を高めようとすれば、両サイドを有効に活用することが鉄則になる。古くから常識であり、データでもとうの昔に証明されている。サイドの選手は、片側がタッチラインであるというその場所柄、四方からプレッシャーを浴びる真ん中の選手に比べ、ボールを奪われにくい性質があるのだ。

クライフは言った。「高い位置で構える両ウイングにボールが渡れば、中盤のエリアが広く深く使える」と。中盤のエリアとは、ボールを奪われにくい両サイド各2名、計4選手が形成する4角形を指すが、彼らを経由するパスワークは、ボールを奪われにくい。

ザックジャパンはその4角形が、とてつもなく狭かった。よくいえば、超高度なパスワークを繰り広げたわけだ。スペイン代表もこの傾向は強かったが、それより技術の低い日本がそれをやれば、相手のプレスの餌食になることは見えている。W杯で完璧にサイドを活用し、広い4角形が保てていたのはドイツ代表になるが、これもまた日本に思い切り不足している感覚だ。

中盤のエリアが広い左右対称の4−3−3。ベネズエラ戦の、とりわけ後半に演じたサッカーは、攻撃的サッカーの要素を十分に満たしていた。しかし、欧州では「攻撃的サッカー」はもはや死語だ。これこそがスタンダードなサッカーになって久しいからだ。アギーレが「攻撃的サッカー」を口にしない理由もそこにある。いまさら、だからだ。

キチンと守ることができれば、キチンとした攻撃ができる。キチンと攻めることができれば、キチンとした守りができる。ザックジャパンは、キチンと攻めることができなかったから、キチンと守れなかったのだ。

攻撃的サッカー、パスサッカーを、定石通り効率的に行なうことができなかった――。これこそがブラジルW杯惨敗の原因だ。独自の理論に基づく、けっして攻撃的ではない“攻撃的サッカー”を展開した結果だ。

今が2012年なら。つまりは2年前の原さんに、ザッケローニを切り、アギーレを招聘する勇気があれば、日本代表はブラジルでよりよいサッカーができていた。僕はそう思うのだ。

(集英社・Sportiva Web 9月21日掲載原稿「蹴球解説・アギーレのサッカーが攻撃的である理由」)

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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