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疑惑の王者バルデス「禁止薬物は使用していません」 後味の悪い世界タイトル戦の顛末

杉浦大介スポーツライター
Mikey Williams/Top Rank

9月10日 アリゾナ州トゥーソン カジノ・デルソル

WBC世界スーパーフェザー級タイトル戦

王者

オスカル・バルデス(メキシコ/30歳/30戦全勝(23KO))

12回判定(115-112x2, 117-110)

挑戦者

ロブソン・コンセイソン(ブラジル/32歳/16勝(8KO)1敗)

重苦しいロッカールーム

 「自分の潔白を証明するために、毛髪テストを受けても構いません。禁止薬物は一切使用していません。真実が明らかになることを願っています」

 10日、故郷アリゾナでの初防衛戦後のことーーー。ロッカールームで王者バルデスに「自分は間違ったことはしていないと今でも感じられますか?」と聞くと、そんな答えが返ってきた。

 この日、アマチュア時代に敗れた経験を持つブラジル人挑戦者との対戦で、バルデスは苦しみながらも判定勝ち。それでも試合後、王者の表情は晴れなかった。少なからずの関係者が“負けていたのではないか”と評したほどの際どい内容だったからというだけではあるまい。試合前、VADA(ボランタリー・アンチドーピング協会)によるドーピング検査でバルデスから禁止薬物のフェンテルミンが検出されて以降、ファイトウィーク中を通じて、その周囲には常に暗雲が漂っているかのような空気だったのだ。

 普段、メディアには非常に友好的なバルデスだが、今戦の前後は陣営が慎重に守っている印象だった。ようやく試合が終わったあとも、ロッカールームへの立ち入りが許された記者は筆者も含めて4人のみ(あとはアメリカ人2人(1人はメキシコ系米国人)、メキシコ人が1人)。

 バルデスが言及した毛髪テストについて触れておくと、髪の毛は薬物の残存期間が長いことから、そのサンプルを提出するドーピング検査は信憑性が高いとされる(これも諸説あるようだが)。

 2018年、サウル・“カネロ”・アルバレス(メキシコ)がゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)との再戦前に禁止薬物陽性で揺れた後、潔白を証明するために毛髪テストを受けたことがある(結果は陰性)。そんな検査を本当に自ら進んで受けるとすれば、名誉回復の一歩にはなるかもしれない。

 しかし、だからといって疑いが完全に晴れることはあるまい。業界最高級のナイスガイであるバルデスを素直に信じられればどれだけ良いだろう。筆者も含め、今回の興行に関わった人たちは誰もがそんな想いだったはずである。

タイトル戦は行われるべきではなかった

 薬物検査におけるバルデスのAサンプル、Bサンプルがどちらも陽性になったにもかかわらず、10日のコンセイソン戦は4545人の観衆を集めて強行された。興行前後に多くの関係者に話を聞いた限り、その背後にあった理由づけもまったく理解できないわけではなかった。

 検出された薬物はかなり少量であり、しかもフェンテルミンはWADA(世界反ドーピング機関)の規則なら試合日以外に摂取しても問題にはならなかったという。ハーブティーが原因かもしれないというバルデス側の主張を一笑に付した人は多かったと思うが、実際にはあり得ない話ではないという説もある(まったく逆の意見もあるのだが)。

 試合を認可したパスクア・ヤキ部族のアスレチック・コミッションはVADAではなくWADAを順守しており、そのルールに従えば、フェンテルミンが検出された上でも試合を挙行することは実は規則違反ではない(タイトル戦になるかどうかはコミッションの裁量ではない)。

 「対戦相手のコンセイソンまで含め、イベントにかかわるすべての人間が何らかの事情で挙行を望んでいた。挑戦者は試合をしなかったら報酬がもらえず、準備期間の経費が無駄になってしまう。それ以外にも、タイトル戦が行われなかったら損害を被る人がたくさんいたんだ」

 ある関係者のそんな言葉は、最終的にはこの興行に関わる人々のメリットが考慮されたのではないかという推測を指し示す。その中には、今回の試合を取材した私たちメディアも含まれるのだろう。

 会場に集まったファンの大半は、幼少期をアリゾナで過ごしたバルデスが目当てだった。バルデスが出場不可となった場合、チケットは払い戻され、入場無料で興行続行というプランも話し合われたのだとか。結局、主役の座は保たれたまま、ビジネスという意味ではイベントは成功に終わった。

 ただ・・・・・・それでももう言うまでもないことだが、やはりこのタイトル戦は行われるべきではなかった。

 バルデスが故意に薬物を摂取したわけではなくとも、それは問題ではない。検出されたのがWBCが主張するようにパフォーマンスを向上する物質ではなかったとしても、基本的に関係ない(フェンテルミンに減量を容易にする効果があるなら、戦力向上に繋がらないという指摘も的外れにも思える)。

 主催者が手配し、両陣営も同意した上で行われた薬物検査で陽性が出た時点で、WBCはこの試合をタイトル戦として認可してはいけなかった。繰り返しになるが、現地コミッションが試合挙行を止めないのはルールの範囲内ではあっても、WBCはそこに王座をかけさせることを認めるべきではなかったのだ。

Mikey Williams/Top Rank via Getty Images
Mikey Williams/Top Rank via Getty Images

 リングマガジンのランキングからは除外

 2018年、カネロ対ゴロフキンの再戦は延期となり、カネロはネバダ州アスレチック・コミッションから6ヶ月の出場停止処分を受けた。同年、デメトリウス・アンドレイド(アメリカ)との対戦前にビリー・ジョー・サンダース(イギリス)から興奮剤のオキシロフリンが検出され、マサチューセッツ州コミッションはサンダースへのライセンス発給を拒否した。

 今回に関してはそれらの断固たる処分は成されず、試合が挙行された。おかげで関わった人間はその恩恵を被ることになり、同時に居心地の悪い思いを余儀なくされることにもなった。

 「今回の陽性反応とそれに対する対処法がゆえに、バルデスは“ヒーロー”から“ゼロ”に転落してしまった。前戦のミゲール・ベルチェルト戦でのセンセーショナルなパフォーマンスで勝ち取った新たなファンはトイレに流れ消えてしまった。そして、“嫌われ者のメキシカン”の称号をアントニオ・マルガリート、カネロからしばらく受け継ぐことになる」

 リングマガジンのダグラス・フィッシャー編集長が自身のコラム内でそう記している通り、バルデスはしばらく厳しい時間を余儀なくされるはずだ。

 権威と歴史のあるリングマガジンの階級ランキングでは、スーパーフェザー級からすでにバルデスの名前は消えた。筆者も一員であるランキング選定委員の間では、試合前後に1週間以上に及ぶ長い議論がEメールで繰り広げられたことは付け加えておきたい。そんな一件に代表されるように、ボクシングの業界内でも今回の問題はしばらく後を引きそうだ。

 いや、後を引くのは悪いことではなく、もっと騒がれるべきなのかもしれない。見て見ぬふりがされるべきではない。往々にして「なんでもあり」のボクシング界においても、一連の流れと顛末はあり得るべきことではなかったし、これ以上、繰り返されてもならないからだ。

スポーツライター

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している

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