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メジャーリーグで道なき道を切り開いた日本人トレーナー西尾嘉洋さん「引退」語る

杉浦大介スポーツライター
メッツ時代の西尾嘉洋さんとバルトロ・コローン。 写真提供:西尾嘉洋

 メジャーリーグの多くのスーパースターたちに治療を施し、重宝されてきた日本人マッサージ・セラピストが引退を決意した。オークランド・アスレチックス、コロラド・ロッキーズ、ニューヨーク・メッツ、アトランタ・ブレーブスのトレーナースタッフの一員として勤務してきた西尾嘉洋さんだ。

 バリー・ボンズ、マーク・マグワイア、トニー・グウィン、トッド・ヘルトン、リッキー・ヘンダーソン、マリアーノ・リベラ、ブライス・ハーパー・・・・・・。西尾さんのマッサージを愛してきたビッグネームは枚挙にいとまがない。そして、1990年代から西尾さんが切り開いてきた道を通り、今では多くの日本人トレーナーがアメリカで活動するようになった。

 野茂英雄が近代の日本人メジャーリーガーの先駆者なら、西尾さんは日本人マッサージ・セラピストのパイオニア。今回、西尾さんに引退を決意した理由とフィールド内外の思い出についてじっくりと語ってもらった。

治療のためのマッサージ

——今回、引退を決意された経緯は?

YN:かれこそ17年メジャーリーグに携わってきました。野球が好きなので、離れるのは寂しいんですけどね。ただ、いろいろなことが重なって、引退には今の時期がパーフェクトタイミングと感じたんです。野球の仕事をしないのであればアメリカにいる意味はないので、今後は日本に帰って治療業務に当たろうと考えています。ただ、野球がなくなるのは辛いので、いまだに毎日、フィールドにいる夢を見ますよ。やっぱり心のどこかで寂しいっていう思いがあるんでしょうね。

——大きな決断の背後にはいろいろな理由があったということですが、一番大きかったのはどんな部分でしょう?

YN:最大の理由は僕の心臓が悪くなったことです。アスレチックスで働いていた時代、ブレーブスにお世話になっていた2年前と、27年間で心筋梗塞を3回やっているんですよ。だから3回死にかけていて、そのたびに這い上がってきました。ただ、現在、新型コロナウイルスに関しても僕はハイリスクであるというのも大きかったです。また、2年前に母親が亡くなって、84歳の父親が一人になってしまったというのもありました。あともう1つは、息子が大学を卒業したことですね。それらの理由で、ここで1つの区切りになりました。

——キャリアを振り返って思い出深いことは?

YN:アスレチックスでも、ブレーブスでも、ロッキーズでも、僕はチーム史上初めてのマッサージ・セラピストなんです。アスレチックスの時もそういうポジションを作るのであれば、ということで僕に白羽の矢が立ちました。選手が気に入ってくれて、1つのポジションとして認めてもらえた。それぞれのチームに僕が入る前にはそういった仕事はなかったんですが、開拓者になれたのはやはり嬉しいですよね。また、裏方として違うチームでワールドシリーズを2回経験している日本人も今のところ僕だけです。ジャイアンツの小川(波郎)くんは3回、アストロズの岡(克巳)くんが2回経験しているのですが、彼らはずっと同じチーム。違うチームでそれができたというのも私の大切な思い出です。

——数々のスーパースターを含むたくさんの選手から、西尾さんのマッサージが好まれた理由はどこにあったと思いますか?

YN:やはりアメリカのスタイルとは違うというところですね。アメリカではマッサージはリラックスのためのものという固定の概念があり、依然としてそう思っている人は多いと思います。ただ、僕のマッサージは治療であり、選手の痛みをとってあげるのです。だから僕や小川くんとかロッキーズの仲谷(国夫)くんのマッサージを受けると選手はびっくりするわけです。

2019年、ブレーブスの一員として過ごしたのが最後のシーズンとなった。 写真提供:西尾嘉洋
2019年、ブレーブスの一員として過ごしたのが最後のシーズンとなった。 写真提供:西尾嘉洋

——喜びも多かったと思いますが、この仕事で辛かったことというと何が頭に浮かびますか?

YN:先ほども話した通り、僕がメジャーリーグに携わり始めた1997年くらいにはマッサージ・セラピストというポジションはなかったんです。まずはインターンで入り、気に入られて雇用されたんですが、2004年にメッツから正式にフルタイムで雇われるまでかなり長いことパートタイムで活動しました。球団からもらった給料は少しだけで、あとは選手からのチップのみ。バリー・ボンズ、トニー・グウィン、マーク・マグワイアとか当時のスーパースターたちがみんな「こんなマッサージは受けたことがない」と喜んでくれたので、チップだけでも1日300〜500ドルはありました。今、振り返れば、多くのチームに携わり、選手のチップで生活したこともいい思い出ではあります。ただ、前例がなかったので、辿るべき道もなく、最初は厳しかったですし、そこで葛藤はありました。

——最初はフリーの立場から道を切り開いて行ったんですね。

YN:当時から南カリフォルニアに住んで、エンジェルススタジアム、ドジャースタジアムを訪れる多くのチームのマッサージをしました。チームのトレーナーと連絡を取って、「おまえのチームがエンジェルスタジアムに来る時に訪ねて行ってもいいか。マッサージが必要な選手がいたらやるから」と話して球場に行くわけです。そうしたら何人か選手たちが待っていてくれるようになって、嬉しかったですよ。ジャイアンツ、レンジャーズ、カブス、レッズ、ナショナルズ・・・・・・。6、7球団やりましたね。球場のセキュリティからも「おまえ、このチームのマッサージもしているのか」と驚かれたりして。今でもドジャースタジアムに行ったら、セキュリティのトップの人間が「おかえり!」と喜んでくれます。

キャリアのハイライトは2度のワールドシリーズ進出

——2004年にメッツに雇われたものの、当時のアート・ハウ監督が解雇されるとともにチームを離れたという話をされていました。その後、2006年にロッキーズから雇われた際には何がきっかけになったんでしょう?

YN:トライアウトというわけではないですが、当時、アリゾナ州のツーソンでキャンプを張っていたロッキーズから「試しに来てくれ」と言われたんです。それでカリフォルニアから車で8時間くらいかけて行って、キャンプに参加しました。そこで“ミスター・ロッキーズ”と呼んでも差し支えないスーパースターのトッド・ヘルトンの腰をマッサージしたところ、腰に持病があったヘルトンが気に入ってくれたんです。「このマッサージをシーズンを通じて受けたい」という話がヘッドトレーナーを通じて球団社長に届き、そこでロッキーズに雇われたという流れです。その後、2008年にはアスレチックスに雇用されたんですが、すぐに病気になって3〜4年間くらいブランクを作りました。2012年にまたメッツから声をかけてもらい、それからちょうど10年ですね。

——キャリアで最高の思い出を挙げるとすると?

YN:3つ挙げるとすれば、まずは2015年、メッツの一員としてワールドシリーズに進んだことです。2番目はロッキーズ時代の2007年にワールドシリーズに進んだこと。3番目は2008年にアスレチックスの開幕戦で日本に行き、東京ドームでレッドソックスと対戦したことです。

一時はニューヨークの話題を独占したマット・ハービー(右)と西尾さん。 Photo By Gemini Keez
一時はニューヨークの話題を独占したマット・ハービー(右)と西尾さん。 Photo By Gemini Keez

——メッツの思い出が真っ先に出てきた理由はどういったところですか?

YN:2012年からメッツに加わり、チームが力をつけていく過程を見ていたので、それが実になったことが思い出深いですね。特にあの年はピッチャーが揃っていました。先発ピッチャーは試合の翌日にマッサージを受けに来るので、ジェイコブ・デグロム、マット・ハービー、バルトロ・コローンとかよくやりました。ハービーなんかもいまだに連絡くれますし、思い出深いです。

——日本での開幕戦もやはり特別な思い出ですか?

YN:僕にとってはアスレチックスで1年目だったんですよ。ロッキーズで2年やって、ワールドシリーズが終わった日に、デンバーの空港で妻と2人で飛行機を待っていた時にアスレチックスがオファーをくれたんです。その年の開幕戦が東京ドームで、その時は妻も息子も連れていきました。相手チームには松坂大輔投手がいて大フィーバーだったんですが、後にその松坂投手とメッツで一緒に仕事することになるとは夢にも思わなかったです。

——キャリアの中で心残りになっていることというと?

YN:ワールドチャンピオンにはなりたかったです。ワールドシリーズには進みましたが、2回とも負けてますからね。それだけが後悔としてあります。

——それでも非常に実りのある幸福なキャリアのように感じられます。

YN:振り返ってみて、これだけ楽しめるとは思わなかったですね。僕が働き始めてから、今ではジャイアンツ、ロッキーズ、アストロズ、レッドソックス、パドレスなど多くのチームが日本人のマッサージ・セラピストを雇うようになりました。マッサージに関しては日本人は腕が良いという評判が広まったんです。道がないところから始めて、メジャーリーグに食らいつきたいという意欲を持ち続け、結果として(パイオニアになれたことは)自慢かなと思います。今ではメジャーリーグから年金までもらえるようになりました。選手と同じ年金がもらえるのはヘッドトレーナーとアシスタントトレーナーだけなんですけど、僕もトレーニングコーチ、クラブハウスマネージャーなどと一緒の職員用の年金に入れてもらえたんです。始めた頃は夢にも思わなかったですよ。大リーグで楽しい思いをさせてもらって、年金までもらえてハッピーです。

*後編「メジャーリーガーたちとの思い出」編に続く

Photo By Gemini Keez
Photo By Gemini Keez

スポーツライター

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している

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