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菅前総理講演会問題、何が甘かったのか?菅直人元総理を呼んでもいいの?#政治的中立性 #主権者教育

末冨芳日本大学教授・こども家庭庁こども家庭審議会部会委員
参院選直前の前総理講演会に問題はなかったか?(写真:アフロ)

神奈川県立高校で、シティズンシップ教育のために前総理大臣の菅義偉氏が登壇予定だった講演会を直前にキャンセルしたという報道が今週ニュースをにぎわせました。

※毎日新聞,菅前首相の神奈川県立高校での講演会中止 参院選直前で抗議殺到,2022年6月8日

これについて、教育基本法第14条に定める教育の政治的中立性の過去の重い歴史や戦後75年間蓄積されてきた多くの処分例、学校現場での運用に詳しい「現実論」の専門家は私を含め、政治的中立性の観点から講演会には問題があるという見解を示しました。

※神奈川新聞,菅前首相、県立校で講演 参院選公示直前の6月に,2022年6月1日

→中島哲彦氏コメント

※神奈川新聞,菅前首相、神奈川県立高での講演中止 参院選目前で批判殺到,2022年6月8日

→末冨コメント

これに対し、社会学者の西田亮介氏(Yahoo!コメント)、政治学者の曽我部真裕氏(朝日新聞有料記事)、シティズンシップ教育を推進してきた東京大学教授(教育学)の小玉重夫氏(毎日新聞)ら「理想論」の知識人は、異口同音に「学校現場を委縮させる」「実施すべきだった」という見解を示しています。

気持ちはわかりますが、今回は関係者の判断が甘かった、というのが、取材を通じて学校・教育委員会の状況を把握した私の見解です。

しかし、学校での主権者教育やシティズンシップ教育を委縮させることは私も望ましい事態ではないと考えています。

この記事では、今回の騒動における関係者の判断の「甘さ」を検証したうえで、どうすれば「理想論」を現実にできるのか、考えていきたいと思います。

1.騒動の原因は関係者の判断の3つの「甘さ」

―開催時期が参院選ギリギリ

―学校の教育活動上の位置づけが明確ではない

―関係者全員の説明スキル・対話能力の不足

6月13日に開催予定であった菅前総理講演会問題の経過については、以下のような経過をたどってきました。

・5月31日 神奈川県教育委員会「県立瀬谷西高等学校(横浜市瀬谷区)における菅義偉前首相による生徒向け政治参加講演会の実施について」を報道発表

・6月1日 神奈川新聞が政治的中立性の視点から問題視する記事を発信

・6月8日 菅前総理の「スケジュールの都合上」の理由で講演中止と神奈川県教育委員会が報道発表

この騒動を引き起こしたのには関係者の判断の3つの「甘さ」があります。

(1)開催時期が参院選ギリギリ

「現実論」の専門家として最大の問題と指摘せねばならないのが

開催時期が参院選ギリギリである

ということです。

「国際園芸博覧会」が講演テーマであったとしても、参議院選挙公示10日前のタイミングでの講演会開催は、選挙の事前運動に相当するとみなされてしまう懸念が高いのです。

政治家の選挙事情も知っている私には、限りなく黒に近いグレーの講演会だと見えてしまいます。

たとえばですが今春の杉並区の入学式・卒業式では6月19日に選挙を控える田中良区長が学校に強要して、疲れた顔で直前に収録させたと思しき内容の薄い祝辞動画を児童生徒保護者に視聴させたという問題も起きています。

もしこれを許してしまえば、今後の地方選挙が近くなる度に「学校行事への祝賀メッセージ」「動物愛護について」「環境問題について」など、一見選挙と関係のないテーマで、政治家が全国各地の学校で挨拶や講演会をする(させろと学校に強要する)ことにもなりかねません。

家族の経営する学校で自分の後援会パンフレットを保護者生徒に配布させた田野瀬太道衆議院議員のように堂々と教育基本法違反を犯す、弛んだ元自民党議員まで出現する世の中です。

学校は政治家の宣伝の道具ではないのです。

それを守るために教育基本法第14条には教育の政治的中立性が以下のように規定されているのです。

法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

主権者教育・シティズンシップ教育を真剣に頑張ってこられてきた学校関係者の努力もあることは理解しています。

しかし、学校の政治的中立性について関係者に疑念を抱かせたり、学校を政治家の宣伝の場にするような、ずさんな運用につながるリスクを拡大してしまう時期での開催は本当によかったのかでしょうか?

(2)学校の教育活動上の位置づけが明確ではない

菅前総理を招いての講演会の位置づけが、学校教育上、特別な意味を持っているのであれば、講演会は断固として開催すべきであったと私も考えています。

しかし菅前総理側が撤退し、学校も教育委員会も沈黙を続けています。

関係者の「大人の事情」(やっぱり参議院選挙の事前運動?)などの疑念がますます拡大してしている状況になっているのではないでしょうか。

こうした疑念を払拭したくて私は神奈川県立高校のHPも調べてみました。

たしかに地域の緑化や環境教育、SDGSへの取り組みや、生徒さんたちの主体的な学習に日ごろから丁寧に取り組まれている素晴らしい学校であることはわかりました。

しかし、菅総理講演会の経緯を説明する情報はHPにはなく、また学校の年間行事予定にも位置づいていません。

唐突な開催でなく、学校教育活動上の意義のある取り組みだったことを判断する材料がないのです。

もしかして生徒さんたちの希望だったのかもしれません。

報道には、ある県議会議員の仲介とありますがそれだけでもないかもしれません。

ここからのことになるかもしれませんが、学校にとって特別な意味がある行事だったのなら、その経過を学校側は公表し説明責任を果たすべきです。

これができれば学校教育活動や生徒さんたちの意見を踏まえて、再び講演会を開催することも可能だと私は考えています。

(3)関係者全員の説明スキル・対話能力の不足

学校の説明が不足しています。

また、神奈川県教育委員会もなぜ5月31日の報道発表をしたのか、学校からどのような説明を受けてゴーサインを出したのか、新聞等への取材以外に公式な説明はありません。

神奈川県議会での追及と事実解明も期待されますが、関係者の説明スキル・対話能力があまりに不足しています。

主権者教育とは総務省の定義によれば次の目的を有しています。

国や社会の問題を自分の問題として捉え、自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者を育成していくこ

※総務省,主権者教育の推進に関する有識者会議とりまとめ,2017年3月,p.3

学校では生徒さんたちに経過の説明や対話はされたのでしょうか?

今回の騒動で、学校・神奈川県教育委員会が十分な説明や、対話をせず、講演会を中止して沈黙を続けることが「国や社会の問題を自分の問題として捉え、自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者を育成していくこと」にどのように役立つのでしょうか?

都合が悪いことは隠蔽する態度しか、今回の騒動で大人たちから、学べないのではと懸念します。

菅前総理も、今回の騒動を高校生の主権者教育の貴重な機会とするために、どのような趣旨で依頼が来たか、それに対し講演会を受諾した理由、またなぜ直前キャンセルしたのか、どのようなスケジュールが入ったのか(もしかして学校側に寄せられた批判を懸念してのことなのか)説明していただきたいと思います。

私はその説明がされるのでしたら、菅前総理の政治家としての姿勢を高く評価します。

2.前提としての「教育の政治的中立性」

―文科省の運用も教員の政治的活動は厳しく制限・処分してきた歴史

―菅義偉前総理ではなく菅直人元総理を呼んでいたらどうなったか?

学校を政治家の宣伝の場にしないためにも、教育基本法第14条には「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」と規定されています。

この規定は、公立学校の教員が、授業で特定政党を支持したり反対する活動を授業の中で行ってきた場合の処分の根拠にもなっています(教育公務員特例法という別の法律の規定もありますがその話は長くなるので省略します)。

民主主義が日本国で分断と混乱を引き起こさないためにも、子どもたちへの政治的中立性はとても大事なルールです。

だからこそ、私自身も法律に定める学校の教員として、教員養成を担当する大学教員として、教育の政治的中立性は学生に教え、自身も厳格に実践してきました。

文科省・教育委員会も教員が政治的中立性に違反した場合には容赦なく処分をしてきました。

文部科学省は毎年、公立学校教員の処分状況を公表していますが「政治的行為」でも少ないですがほぼ毎年処分者が発生している状況です(最新の令和2年度は1件にすぎませんが)。

教員には、政治的中立性を厳しく課し、処分してきた文科省ですが、有力政治家を選挙ギリギリのタイミングで招聘することは問題ないという判断なのでしょうか?

※この点については私も文科省担当者の見解を確認次第、この記事に追記します。

→6月13日文部科学省担当者(初等中等教育局教育課程課)の見解を確認しました。

・政治家の主権者教育への協力は、各学校で必要に応じて取り組んでいただくことはできます。

・学校はその際に、政治的中立性や関係法令の遵守をお願いします。

・特定の政党や候補者を支持していると受け止められないように留意してください。

・学校・教育委員会の方は、文部科学省にご相談いただくこともできます。

・総務省と文科省で公表した「高校生向け副教材『私たちが拓く日本の未来』」、および「指導上の政治的中立の確保等に関する留意点」(Q&A5,p.92)には詳しい内容が示されています。

なお文部科学省は同省や与党に批判的言動をしている元事務次官・前川喜平氏が中学校に講演会で招かれたときに、名古屋市教育委員会に録音や報告を要請していたことがあきらかになっています。

※朝日新聞,前川前次官の講演、録音データ提供求める 文部科学省,2018年3月16日(有料記事)

この例にならえば、菅前総理の後援会も神奈川県教育委員会に録音や報告要請をするということになったのでしょうか?

またたとえばですが、野党の有力政治家でありやはり総理経験者である菅直人氏が選挙直前に講演会に呼ばれた場合にはどのような対応をとるのでしょうか?

興味は尽きません。

3.総務省副教材でもドイツの主権者教育でも重視される「政治的中立性」

ここからは、ではどうすれば、現職政治家を学校の主権者教育・シティズンシップ教育で招聘し、児童生徒が「国や社会の問題を自分の問題として捉え、自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者を育成していくこと」ができるのか考えてみたいと思います。

菅総理講演会問題について、Yahoo!オーサーの原田謙介さんが、以下のコメントをしてくださっています。

企画の時期が、主権者教育の観点からも良くないので中止は妥当だと思う。しかし、企画内容自体を一概に否定するものではない。選挙直前に1つの党の国会議員だけを招いた企画をすることは慎重になるべきです。

私も執筆メンバーである主権者教育の副教材「私たちが拓く日本の未来(文科省・総務省)」の指導用資料の中に、政治家を学校に招く際の注意事項をまとめた。政治家の話を直接聞き、意見交換を行うことなどは教育の面でも学生の声を政治に届けるためにも重要なことである。ただし、多様な考えと生徒が触れるような内容にすることなどが要点です。

神奈川県は主権者教育の先進県であるだけに、どのような経緯で企画され中止になったのか気になるところです。

総務省副教材「私たちが拓く日本の未来」はオンライン公開もされています。

教師用指導資料p.92に以下のような方針が示されています。

議員等を招く場合には,学校の政治的中立性を確保するために,議会事務局等と連携し,複数の会派を招くことも含め,生徒が様々な意見に触れることができるようにするといった工夫を行うことが期待されます。

実は、ドイツの主権者教育でも複数の政党の議員が出席するなどの工夫で政治的中立性が大切にされています。

現職の市議会議員でもある水谷多加子さんのFacebookよりご本人の許可をいただいて引用させていただきます。

2017年、ドイツの総選挙期間に視察に行った際の動画からスクリーンショットを。

(※スクリーンショットはリンク先よりご覧ください。)

小中学生と国会議員立候補者との対話集会です。場所は子ども図書館。(複数の小学校・中学校の合同開催)

・小中学生が自分たちで考えた質問を投げかけ、一問一答。

・制限時間を区切り、特定の候補者が長くならないように、回答の順序も質問ごとに入れ替える。

・国会に議席を持つすべての政党のその地区の候補者に声をかけ、それに応じた候補者が出席。

など、特定の政党のみの宣伝にならないように配慮して行われていました。

選挙権のない子どもとの対話。選挙期間中に、ごく普通に行われていたことに衝撃を受けたのでした。

学校に政治家を呼ぶこと自体がNGなのではありません。

政治的中立性が重要なのです。

現職市議会議員も重視する「政治的中立性」、やはり学校こそ大切にし実践していく工夫が必要でしょう。

4.主権者教育・シティズンシップ教育を進めるために

―開催時期については慎重な判断を

―学校の教育活動上の位置づけと説明責任を明確に

―政治家に対しての企画共有・ルールや外部への発信こそ生徒の意見と参画を実現

さてこの記事の目的は、今回の騒動における関係者の判断の「甘さ」を検証したうえで、どうすれば「理想論」を現実にできるのか、考えていくことでした。

(1)開催時期については慎重な判断を

まず開催時期については、事前運動が疑われる選挙に近い時期ではない方が、政治的中立性への疑念もなく、政治家も落ち着いて参加できるはずです。

選挙前の政治家の言動というのは、どうしても激しくなりがちです。

主権者教育・シティズンシップ教育に参加くださる政治家を守るためにも、関係者にはまず開催時期について慎重な判断を求めたいと思います。

(2)学校の教育活動上の位置づけと説明責任を明確に

学校・教育委員会は、現職政治家を招く場合にこそ、学校の教育活動上の位置づけと説明責任を明確に遂行すべきです。

5月31日の神奈川県教育委員会の報道発表には、取材を受け付ける旨のことが書かれていました。その姿勢は評価できます。

しかし同時に学校のこれまでの取り組みや講演会の学校教育上の位置づけが説明されず、時期も黒に近いグレーであったために、私のような研究者やひろく世論の疑念を招くことになりました。

今後、現職政治家を招く場合には、ぜひ教育委員会・学校ともに学校の教育活動上の位置づけと説明責任をしっかりと果たしてください。

またオンライン公開や取材受付など「ひらかれた主権者教育・シティズンシップ教育」の試みもとても重要なものです。

(3)政治家に対しての企画共有・ルールや外部への発信こそ生徒の意見と参画を実現

今回の騒動で一番残念なのが、生徒さんたちの活動がいっさい見えない、ということです。

主権者教育の目的は私はとても良いものだと考えています。

「国や社会の問題を自分の問題として捉え、自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者を育成していくこと」

この目的のためには、たとえば今回の場合、菅前総理(事務所)に対し企画を説明したり、政治的中立性をふまえてこのような発言はしないでほしい、このようなポイントについてぜひ説明を聞きたいなどのプロセスにも生徒が参画したり、生徒が意見を表明してルールを作ったりしていくことも、大切な学びのプロセスになると思います。

菅義偉氏だけでなく、政治家にはそれぞれ尽力されてきた政策課題があります。

これらの課題を掘り下げる中で、菅前総理に話を聞きたいというプロセスが教員と生徒でしっかり共有され、学校・教育委員会の連携で情報発信や報道への事前説明等が丁寧にされていれば、今回のような講演会は実施可能とも思えます(繰り返しになりますが時期の選択は良くなかったですが)。

これらのポイントを実現できれば、菅直人元総理だろうが菅義偉前総理だろうが、そのほかの国・地方の現職議員を招こうが、生徒自身が主権者教育の目的を実践し、民主主義の担い手となっていく取り組みが進むと考えます。

最後にしつこく繰り返しておきます。

学校は政治家の宣伝の場ではありません。

政治家・教育委員会・学校そして生徒・保護者も含め、すべての関係者が政治的中立性を遵守することが、主権者教育・シティズンシップ教育の大前提です。

日本大学教授・こども家庭庁こども家庭審議会部会委員

末冨 芳(すえとみ かおり)、専門は教育行政学、教育財政学。子どもの貧困対策は「すべての子ども・若者のウェルビーイング(幸せ)」がゴール、という理論的立場のもと、2014年より内閣府・子どもの貧困対策に有識者として参画。教育費問題を研究。家計教育費負担に依存しつづけ成熟期を通り過ぎた日本の教育政策を、格差・貧困の改善という視点から分析し共に改善するというアクティビスト型の研究活動も展開。多様な教育機会や教育のイノベーション、学校内居場所カフェも研究対象とする。主著に『教育費の政治経済学』(勁草書房)、『子どもの貧困対策と教育支援』(明石書店,編著)など。

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