Yahoo!ニュース

人事と人材業界の間の深くて暗い溝〜両者が信頼関係を構築することで日本の人材の可能性は最大化する〜

曽和利光人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長
飛んで飛べない溝ではない。(写真:アフロ)

■「近くて遠い」人事と人材業界

私は新卒でリクルートに入社し、20年近く人材業界の傍にいたのですが、主に自社の人事の実務を長年経験して参りました。そして10年前に人材会社を立ち上げ、これまでの人事の側での経験と、人材業界に入ってからの経験を背景に感じたこと、考えることを述べさせていただきます。

それは、「人事と人材業界は、近くて遠い、遠くて近い」ということです。

■両者の方向性は同じはず

人事と人材業界は、大きく見れば、産業界全体の適材適所を担っているという意味で同じ方向を向いています。相対的には、人事は自社最適、人材業界は社会最適もしくはキャンディデイトの個人側最適を考えているわけですが、働く人の可能性を最大化し高いパフォーマンスを上げてもらえるような(あるいは幸せになってもらえるような)マッチングをすることで、産業界全体の生産性を向上させるという同じ大切な役割を持っています。

また、私の会社では「採用アウトソーサー」(アセスメントや受付、応募者コミュニケーション等の代行)という、両者の中間にあるような仕事を現在していることもあってよく感じるのですが、人事と人材ビジネスの業務の境界線自体も明確ではありません。ほとんど内製化して自社人事で業務をやっている会社もあれば、逆の会社も沢山あります。

このように、人事と人材業界は、基本的には「人材の最適配置」という同じ方向に向かうプロセスの「前工程」と「後工程」とでも言っていい連続性のある仕事であり、業務の類似性も相当高いと思います。そういう意味で両者は本質的には大変近い仕事と言えます。

■人事はリスクを最小化したがる

しかし、両者を経験してみて、結構違うと思うこともいくつかありました。一つには、リスクに対する姿勢が違うということです。

人事で採用責任者をしていた時、(もちろん極端な言い方なのですが)「いい人を落としても良いから、合わない人を採るな」と事あるごとにメンバーに言っていました。ミスマッチが起こった場合、会社と個人の双方に深い痛手を長年もたらすことがわかっていたからです。そのため、「採用基準を下げない」という大義名分の下、本来は取るべきリスクを取らずに、言い訳のつく採用だけをしてしまう傾向もあったように思います。これは反省すべき点とも思っています。

人材業界から見ると、こうした考えは保守的に見えるかもしれません。例えば誰かが今までの経験とは畑違いの道に進んでキャリアチェンジをしようと思えば、リスクは当然つきものです。産業界全体の人材の最適配置を考えるためには、衰退業界から成長業界への人材のシフトは必須で、勇気を持ってキャリアチェンジしてくれる人材が多数輩出されなければなりません。それを支援するのが人材業界の使命の一つとも言えます。

ですから、人事からのオーダーそのままに人材を紹介するのではなく、候補者のポテンシャルを見抜いて、人事が想定しなかったようなタイプの人材の採用の提案ができなければならないのだろうと思います。人材業界の一員として人事の側を見ていると、「このようなポテンシャルがある人を落とすのか・・・」と思うこともよくあります。しかし、それはミスマッチの際の実害を受ける人事(と候補者)に、勇気を持ってリスクテイクをさせるようなきちんとした提案ができていなかったのだと反省しています。

■人事は自社のプロだが、市場に疎いこともある

もう一つは、持っている情報の性質の違いです。

人事は当然ながら、自社の事業や組織、成員の状態や、どんな人が自社に合うのかについて詳しい情報を持っています。その一方、労働市場にどんな人がどれぐらいいて、採用上の競合となる会社と比較して自社が相対的にどれぐらいのポジションにいるのかについては、実はそれほどわかっていません。

そのため、人事の話す言葉は、自社最適化されている「方言」であることが多く、求める人材像の表現も、その会社特有の歴史や現状を踏まえた含みのある言葉づかいをし、同じ言葉でも会社によって意味することが違うことがあります。

例えば、人事がよく使う「地頭(じあたま)」という言葉は、ある会社では「論理的思考能力」のことを言い、ある会社では「曖昧なリアルから物事の本質を抽象化できる(「場・空気が読める」など)」ことを、またある会社では「短期間で物事を学習する力」を指すなど、様々な意味で使われています。

また、労働市場の実態にはあまり明るくないため、特定レベルの人材の採用難易度について明確な感覚を持っていないことがあります。そのため、現実的でない高い採用条件を出してしまいがちになります。

■人材業界は、市場全体について俯瞰できる

人材業界の方々は(自分の出身業界や長年担当している業界についてはその限りではないと思いますが)各社の実情にはあまり詳しくないのは当然です。

しかし、労働市場にいる人々の状況には詳しく、全体が見えているはずなので、本来は人事に対して、「方言」を正して「標準語」で人材要件を翻訳したり、各社の人事の持っている現実的でない採用条件を適切なものに改善する提案ができたりすると、人事にとっては大変価値の高いものになるはずです。

ただ、成功報酬が基本の現在の人材業界ですと、苦労しても特定の会社の人事の視線を修正するインセンティブが働かない場合もあり、一部を除いて多くの人材業界の会社では(弊社も含め)なかなかできていないのが実情ではないでしょうか。

■どんどん交流が進めばよい

このように、本当に微妙な差ではあるのですが、リスクへの姿勢や持っている情報の性質が違うことで、人事と人材業界の間にはすれ違いが時に存在し、うまくかみ合わないことで、まれに不信感のスパイラルを生み出しているような気がします。

しかし、両者は本質的には同じ方向を向いています。お互いに持っているものを出し合うことで、社会に対してその役割を最も適切に果たせるはずです。そのためには、人事と人材業界間の人材交流(転職含め)が今よりももっと起こればよいと思いますし、一時の利害や誤解を超えて腹を割って話し合うことで、今よりさらに深い信頼を築くことができればよいと思っています。

双方を経験した私としては、ネットワークのハブになって、両者の更なる信頼関係の構築に、微力ながら貢献したいと思っています。

人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長

愛知県豊田市生まれ、関西育ち。灘高等学校、京都大学教育学部教育心理学科。在学中は関西の大手進学塾にて数学講師。卒業後、リクルート、ライフネット生命などで採用や人事の責任者を務める。その後、人事コンサルティング会社人材研究所を設立。日系大手企業から外資系企業、メガベンチャー、老舗企業、中小・スタートアップ、官公庁等、多くの組織に向けて人事や採用についてのコンサルティングや研修、講演、執筆活動を行っている。著書に「人事と採用のセオリー」「人と組織のマネジメントバイアス」「できる人事とダメ人事の習慣」「コミュ障のための面接マニュアル」「悪人の作った会社はなぜ伸びるのか?」他。

曽和利光の最近の記事