Yahoo!ニュース

「死ね!」は侮辱か?

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:イメージマート)

■はじめに

 侮辱罪(刑法231条)の法定刑を、「拘留(30日未満)または科料(千円以上1万円未満)」から、「1年以下の懲役もしくは禁錮、30万円以下の罰金、または拘留もしくは科料」へと引き上げる改正刑法が成立しました。

 背景には、とくにネット上での誹ぼう中傷対策を強化する狙いがありますが、以前からの侮辱罪に関する一般的な理解を前提にする限り、ネット上の表現だからといって侮辱罪の範囲がそれほど広がるわけではありません。

 むしろ、「侮辱」という言葉じたいがそれほど明確な内容をもっているわけではなく、しかも侮辱罪が殺人罪や強盗罪などに比べて軽い犯罪ですので、犯罪の成否が警察の裁量にかかる部分もあり、表現に対する萎縮効果が懸念されています。

 したがって、改めて侮辱とはなにかを確認しておくことは意味のあることだと思います。

■名誉毀損と侮辱の違い

 「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損」(刑法23条1項)した場合が名誉毀損罪、「事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱」(刑法231条)した場合が侮辱罪です。

  • このルーツは、明治8年の讒謗律(ざんぼうりつ)という法律にあります。条文は次のようになっていました。(原文は漢文調)
  • およそ事実の有無は関係ない。人の栄誉を害する事実を摘発し公にすることを讒毀(ざんき)という。事実を挙げずに悪名をもって人に加え公にすることを誹謗(ひぼう)という。

 名誉毀損罪も侮辱罪も、ともに「公然」と行なわれることが条件で、たとえば1対1の電話でのやりとりのようなプライベートな場面では、いくら相手を罵倒しても名誉毀損も侮辱も成立しません。

 また、名誉毀損と侮辱を分けるものは、「事実の摘示」、つまり、具体的な事実を示したのかどうかということです。これは、具体的な事実を挙げて相手を誹ぼう中傷する場合に名誉がもっとも傷つくからだとされています。

  • たとえば、政治家Aに対して「B国の外交官から百万円の賄賂をもらって国の防衛秘密を漏らしたAは売国奴だ」という場合と、事実を示さずに抽象的に「Aは売国奴だ」という場合を比べると明らかだと思います。

 このように名誉毀損と侮辱とは、事実を示しているかどうかの違いだけであって、刑法が行為を犯罪として罰することで守ろうとしている利益(保護法益)は両罪において同じだと理解されています。

■名誉とは何か

 そこで、「名誉」とは何かが改めて問題になりますが、名誉とは社会がその人に下している客観的な評価だと理解されています。

 人間、だれしもプライドを持っていますが、それは人によってさまざまですし、こだわりの強さも違います。処罰という問題になると、どうしても客観的なものであることが望ましく、侮辱罪でも、名誉毀損罪と同じく客観的な社会の評価が保護されていると理解されています。

 したがって、侮辱罪で処罰される行為としては、少なくとも被害者の社会的地位や立場を傷つけるような内容でなければならないということになります。

  • 歌手に「下手くそ!」といえば侮辱罪ですが、カラオケで歌う大学教授に「下手くそ!」といっても侮辱罪ではありません。

 つまり、刑法でいう侮辱とは、人格に対する軽蔑の表現ではなく、その人の地位や立場に関してその人が社会の一員であることに対して危険を与えるような表現行為でなければならないと思います。

 たとえば、「死ね」という書き込み。

 確かに、このような言葉が自分に機関銃のように向けられたとしたら、かなり落ち込むことは間違いありません。しかし、それが侮辱罪かといえば微妙なものがあります。なぜなら、その表現によってその人の社会的地位や立場が脅かされるかといえば、無条件にそうだといえる場合はほとんどないのではないかと思われるからです(もちろん、文脈によっては脅迫罪になる場合があります)。

 この限界はあいまいであることは否定できませんが、刑罰を科す行為をより分ける以上、その適用が広がるような発想には注意すべきだと思います。

■被害者の精神的被害と侮辱罪

 ネットでの書き込みには本当にひどいものがあります。言われた人は、よほどタフな人でない限り精神的に落ち込むだろうと思うこともあります。しかし、表現行為について被害者の精神的被害を強調するあまり、侮辱罪の保護法益は主観的な名誉感情だとする理解に傾くことには警戒が必要です。

 たとえば、上の例(政治家Aに対して「B国の外交官から百万円の賄賂をもらって国の防衛秘密を漏らしたAは売国奴だ」と公に書いた)でいえば、この表現については具体的な事実を挙げて政治家としてのAを批判していますので名誉毀損が問題になりますが、刑法230条の2で、当該事実に(1)公共性があり、(2)公益目的でなされていれば、(3)真実であることが証明されれば、正当な表現行為だとされて名誉毀損にはなりません(選挙で選ばれた政治家の場合は、事実の真実性だけが問題になります)。

 しかし、侮辱罪は主観的な名誉感情を保護するのだと理解した場合には、表現じたいは正当な批判として許される場合であっても、言葉使いなどから別途侮辱罪の成否が問題になり、上の例でいえば侮辱罪は成立するということになるおそれがあります。

■まとめ

 侮辱罪の加重された法定刑が酷い書き込みに対して抑止力がないとはいいませんが、その適用事例は案外限られたものとならざるをえないのではないかと思います。そうすると、何のための重罰化なのかという根本的な疑念が湧いてきます。

 ネットにおける酷い書き込みなどについては、刑罰よりもむしろ不法行為による発信者情報の開示や損害賠償手続きの迅速化、簡易化、さらに相談機関の充実などの細かな被害者支援が有効だと思います。(了)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

園田寿の最近の記事