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出川哲朗氏がマリエ氏を名誉毀損罪で告訴したらどうなるか

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
出川哲朗氏(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

■はじめに

 事の発端は、ファッションモデルであるマリエ氏が4月4日にインスタグラムで行った告白です。

 告白の内容は、彼女が15年前にある番組に出た際に、司会の元お笑いタレントS氏から「枕営業」(性的関係を結ぶことによって仕事を有利にしようとする営業方法のこと)に応じるように誘われ、そのときに周りにいたお笑いタレントの出川哲朗氏らがそれを止めるどころか逆に勧めるような言動を行ったというものです。彼女がそれをきっぱりと断ると、S氏が司会を務めていた人気番組を降板させられたということです。マリエ氏は、今でも彼らを許すことができないし、同じ思いをする女性が出てほしくないと訴えています。

 報道によると、出川氏やS氏はこの事実を否定しているということですが、そうならば出川氏がマリエ氏を名誉毀損で訴えることもありえないことではなく、そうなった場合にこれが法的にどうなるのかを考えてみたいと思います。

 なお、法的に訴える場合、損害賠償や謝罪広告などを求める民事裁判と、警察や検察に処罰を求める刑事裁判とがありますが、判断の枠組みは基本的に同じですので、以下では刑事裁判を念頭において説明します。

■法的な判断の枠組み

 まず、マリエ氏の発言が名誉毀損罪に該当するのかが問題です。

 名誉毀損罪は刑法230条1項で次のように規定されています。

第230条1項 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。

 成立の要件は、(1)公然と、(2)事実を示して、(3)人の名誉を毀損すること、です。その事実が真実かどうかは、(とりあえず)問題ではありません。

 具体的に見ていきます。

 (1) 「公然」というのは、「不特定または多数」の意味です。つまり、不特定の人が対象ならば一人でも「公然」ですし、特定の人が対象であっても多数(だいたい数人以上)ならば「公然」です(たとえば家族の団らんの場のような場合が非公然の典型です)。

 マリエ氏の場合は、インスタグラムという不特定の人が見ることのできる場で発言していますので、「公然性」は肯定されます。

 (2) 次に、「事実の摘示」とは、「(名誉の低下につながるような)具体的な事実を示して」という意味です。

 マリエ氏の場合は、出川氏がS氏の枕営業の誘いを止めるどころかそれを勧めたという、いわばセクハラを行ったという主張ですので、具体的な事実を示していることになります。

 (3) 「人の名誉を毀損した」とは、「人の社会的な地位や評価を低下させた」ということです。セクハラは社会問題となっており、具体的にセクハラを行ったということは、その人の社会的評価に強く影響しますので、名誉が傷ついたといえます(実際に、出川氏はTV出演が激減したという報道もありました)。

 以上から、マリエ氏の発言は、刑法230条1項に該当する名誉毀損行為だということになります。

 しかし、刑法230条1項に該当すればただちに処罰されるのかといえばそうではありません。マリエ氏は枕営業という反倫理的で不当な慣習を告発する意志で上記のような発言を行っていると思われますので、このような発言を行うことはむしろ正しいのではないかという考えが出てきます。

 このような観点から人の名誉の保護と表現の自由の関係を規律するのが、次の刑法230条の2第1項の条文です。

第230条の2 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専(もっぱ)ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。(太字は筆者)

■刑法230条の2第1項による抗弁

 刑法230条1項は、名誉毀損行為があった場合、その事実があろうとなかろうと処罰するという、表現行為にたいへん厳しい内容になっていて、真実を述べて世の中の間違いを正す行為も処罰の対象としています。これは、明治8年の「讒謗律(ざんぼうりつ)」という法律に由来します。

讒謗律第1条 「凡ソ事実ノ有無ヲ論セス人ノ栄誉ヲ害スヘキノ行事ヲ摘発公布スル者之ヲ讒毀(ざんき)トス。〈以下略〉」(口語訳=およそ事実の有無を問わず人の名誉を害する事実を公表するものを讒毀とする。)

  • 注:讒謗律の「」とは、かげ口を言って人を陥れること。難しい字ですね。

 明治8年といえば、官吏や政府を批判する自由民権運動が盛んなときで、その言論を抑えるために政府はおよそいっさいの批判を許さず処罰するという強い態度に出ました。これが刑法230条1項にそのまま引き継がれたのです。

 しかし、第二次世界大戦後に新憲法が制定され、第21条1項(「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」)で表現の自由が保障された結果、刑法230条1項もさすがにこのままでは憲法に矛盾するとして、(1)公共性、(2)公益性、(3)真実性を要件として、人を批判する自由が認められたわけです。これが刑法230条の2です。この要件は以下のとおりです。

(1) 公共の利害に関する事実

 これは、その事実が社会一般の利害に影響を与えるという意味です。私人の一般的にはプライベートな行動であっても、政治家や大企業の幹部などのように、その人の行動が社会に大きな影響力をもっている場合には公共性が認められる場合があります。

(2) 目的の公益性

 次に、その事実を公表するにいたった目的が公益のためであることが必要です。ただし、目的という主観内容によって事実の(客観的な)公共性が影響を受けることはないので、この要件は不要だという見解もありますが、条文に書かれていることを無視することは妥当ではなく、この要件は、表現の具体的な内容によって、無駄に論争をしかけるとか、感情的対立をあおり混乱させるためであるような無責任な言論は制限されるという趣旨だと解釈されます。

(3) 事実の真実性

 以上の要件が肯定されて初めて法廷で事実の真実性を証明することが被告に許されます(順序が逆になると、公共性のない事実の真実性が法廷で証明され、プライバシーが決定的に傷つく可能性があります)。ただし、この証明は犯罪事実を証明する場合のような高度の証明(合理的な疑いを超える証明)までは要求されていません。

■マリエ氏はどう反論できるか

 名誉毀損罪の法的な枠組みは以上のとおりです。かりに出川氏がマリエ氏を名誉毀損罪で告訴し、刑事裁判にでもなった場合には、当然マリエ氏は刑法230条の2第1項を根拠に、名誉毀損罪にはならないという抗弁を行うことが可能性として考えられます。そこで、刑法230条の2第1項の要件を当てはめてみます。

 第一に、事実の公共性ですが、これはセクハラ行為があったということで、しかも一タレントの行為にとどまらず、元有名タレントのS氏にも関係することで、芸能界の裏でこのような悪しき慣行があったという主張ですので、社会全体の重大な関心事であるといえるでしょう。したがって、第一の要件はクリアされていると考えられます。

 第ニに、目的の公益性ですが、「枕営業」という悪しき慣行を告発し、同じ思いをする女性が出てほしくないという動機ならば、目的の公益性も肯定されるでしょう。ただし、一部では彼女が近々出版を準備しており、その中でこの事実にも触れているので、出版広告の意図があったという報道もあります。

 しかし、条文では「専ら公益を図る目的」があればよいとされており、「専ら」というのは主たる動機という意味ですので、かりにそこに私的な動機が副次的に含まれていたとしても、主たる動機が悪しき慣行を告発するということであったということを否定する理由にはならないと思います。

 第三に、真実性の証明ですが、このケースではこれが一番の問題だと思います。出川氏の言動は密室での出来事ですし、録音などがあれば別ですが、その場に複数の人がいたとしても、彼らが証人として「出川氏のセクハラ行為があった」ということを証言するかといえばかなり難しいのではないかと思われます。

 そして、この点が証明されない限り、マリエ氏は名誉毀損罪の成立を反論することはできないことになります。(了)

【参考】

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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