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不安はリスクの選択であるべきだー不幸な感染者に石を投げる人びとー

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
コロナウイルス(イメージ)(提供:アフロ)

 たった4ヶ月前、クリスマスに浮かれているときに、世界がまさかこんな状況になるとは予想もしなかった。

 さまざまな危険(リスク)が社会に溢れている。殺人や傷害致死など故意に起因する犯罪行為の被害にあって命を落とす人は毎年千数百人、交通事故死者数は最近ようやく3000人台になってきた。ガンでは年間30数万人が亡くなり、インフルエンザのそれは3000人を超えている。

 しかし、今までリスクとうまく折り合いをつけてきた。われわれは世の中に存在するあらゆるリスクの前で立ちすくんでいるわけにはいかない。無視してもよいリスクがあれば、目をつぶらざるをえないリスクもある。強い恐怖や不安に襲われると、どんな行動も萎縮してしまうからである。われわれは、ときにはリスクをかわし、ときには一歩退いて力を蓄え、リスクの低減に役立つならばどんな小さなことでも試してきた。リスクとの闘いは、人類の涙ぐましい努力の歴史である。

 重要なのは、恐怖や不安は〈リスクの選択〉であるべきだということだ。つまり、各人の恐怖や不安が各人のその次のリスクを低減する行動に繋がらなければ、社会の安全と維持、発展にとってまったく意味がない。事故を起こしかけた者はその恐怖を安全運転に繋げ、大病の経験は健康の大切さを気づかせ、災害の記憶は防災に繋がる。不安が次のどのような行動を動機づけるのかが重要である。逆に言えば、次にどのような行動を選択するかによって、リスクに対する恐怖や不安が和らぐのである。

 感染はランダムであり無秩序だ。だからそれに対する恐怖や、とくに認知的不安の深さは理解できる。しかし、不幸な感染者やその家族の家に投石、落書きをするという行為は、リスクの低減に繋がる選択的行為ではなく、排外しか産み出さない最低の行為である。なぜなら、そのような行為を導く視線は、〈汚物〉を視る視線と同質的だからである。この世に人を離れて〈汚物〉など存在しない。なんらかの〈物〉を人が〈汚〉とみなしてはじめて対象が〈汚物〉となる。

 それは、日々命がけで、疫病と闘っているすべての人たちに対する最大の侮辱でもある。(了)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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