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宝塚市の英断―公文書における「身体障害」の表記を「身体障碍」に変更することに―

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 兵庫県宝塚市が、公文書における「身体障害」あるいは「身体障がい」の表記から、「身体障碍」に変更するというニュース。

兵庫県宝塚市が障害者政策などに関する公文書に「障碍」の表記を使う方針を決めたことが4日、市関係者への取材で分かった。市によると、常用漢字表にない「碍」の文字を公的に使用する自治体は全国初とみられ、4月から運用を始める。

出典:共同通信:公文書に「障碍」使用へ、宝塚市 全国初、4月から運用

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 「身体障害」は、むかしは「身体障礙(がい)」と書かれていました。ところが、戦後の国語改革で「礙(がい)」、あるいは「礙」の異体字である「碍(がい)」が当用漢字(常用漢字)に含まれなくなったため、「害」という字が使われ、「身体障害」と表記されるようになりました。

 しかし、「害」とは、「害悪」や「害毒」といった言葉のように、マイナスの意味が非常に強い言葉だといえます。そこで、ハンディキャップのある人びとを「身体障害者」と表記することの違和感から、「身体障がい者」とひらがな表記にすることが一般化してきました。

 今回、宝塚市が公文書に「身体障碍」と表記することを決定したということですが、これはまったく正しい考え方だと思います。

 もともと「礙(碍)」とは、〈旅人が山道で行く手に大きな石があって通れず、さてどうしようかと悩んでいる様子〉という意味だと、どこかで読んだことがあります。つまり、その人の外にあって、その人の行動を制約するものが〈害〉なのです。たとえば、車椅子の人が電車に乗ろうとして、その駅には階段しかなかったとします。そのとき、その人にとっての〈障害〉は、その人の内にある〈歩けないという事情〉なのではなく、その人の外、つまり駅の構造にあるわけです。たかが漢字表記の問題ではないかという人がいるかもしれませんが、決してそうではなく、言葉はその背後にある考え方を表します。役所はともすれば形式的なルールにとらわれがちですが、宝塚市の決定はまさに英断だと思います(他にも広がることを期待します)。

 なお、「障礙」の表記は、刑法にも関係があります。

 明治13年の旧刑法における未遂犯の規定は、「第112条 罪ヲ犯サントシテ已(すで)ニ其(その)事ヲ行フト雖(言えど)モ犯人意外ノ障礙(しようがい)若クハ舛錯(せんさく)ニ因リ未(いま)タ遂(と)ケサル時ハ已ニ遂ケタル者ノ刑ニ一等又ハ二等ヲ減ス」となっていました。これは、〈犯罪を犯そうとして実行に着手したが、予想外の障礙や精神錯乱によって遂げなかった場合は、既遂犯に比べて刑を一段階あるいは二段階減軽する〉という意味です。

 未遂犯には、(殺人のために振り上げた日本刀を、道義的な反省から元にもどした場合のように)自らの意思で犯行を止めた「中止未遂」と、それ以外の障害によって既遂に至らなかった「障害未遂」とがありますが、むかしの刑法の教科書や論文では、障害未遂は「障礙未遂」あるいは「障碍未遂」と表記されていました。

 今後、法律の世界でも障害未遂が障礙未遂と表記されることによって、未遂犯の考え方がよりはっきりするのではないかと思います。(了)

*宝塚市役所健康福祉部障害福祉課に電話で問い合わせたところ、今回の決定は現時点では最終決定ではないとのことでした。

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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