性的意図不要の最高裁判決―弁護人として大法廷で行った弁論の要旨です―

判決の日、最高裁正面玄関前で

 2017年11月29日、最高裁は、強制わいせつ罪において〈性的意図〉が必要であるとしていた昭和45年判決を、47年ぶりに変更しました(全文)。以下は、私が本件の弁護人の一人として大法廷で行った弁論の要旨です。参考資料として、ここに掲載します。

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平成29年9月27日

最高裁判所大法廷 御中

弁護人弁護士 園田 寿

弁 論 要 旨

■1■ はじめに

 本件は、被告人が、13歳未満の女児にわいせつ行為を行ったとして起訴された事案である。第一審、第二審ともに、被告人に「性的意図」があったとは認定しがたいとしながらも、強制わいせつ罪(刑法176条)の成立が肯定された。

 しかし、最高裁は、以前から強制わいせつ罪が成立するためには、行為者において〈性的意図〉が必要であるとしている。先例となった最高裁昭和45年1月29日判決(以下では〈昭和45年判決〉と略す)では、被害女性を報復目的で裸にして、写真を撮った被告人に対して、性欲を満たすという性的意図がなかったとして、強制わいせつ罪の成立が否定されていたのだった。

 この判決を契機に、「わいせつ」の判断にあたって、行為者に「性的意図」を要件とする〈必要説〉と、それを不要とする〈不要説〉とが対立してきた。そして、本件の控訴審は後者に立って、被告人の行為は「客観的に被害女児に対するわいせつな行為である」と評価したのであった。

 しかし、行為者の性的意図に言及することなく、本件のような低年齢の女児に対する加害行為を客観的に〈わいせつ〉と評価することはできないのではないだろうか。これが、われわれの問題意識である。

■2■ わいせつ行為とは何か?

1.客観的にわいせつと評価される行為は問題ない

 まず、客観的に法に違反しない行為ならば、行為者に反倫理的な動機があることを理由に、それを犯罪だと評価するべきではない。たとえば、客観的には適切な治療行為とされる医療行為を行いながら、医師が内心では性的満足を得ていたとしても、外形上その行為には規範違反性が認められないので、その行為を「わいせつ行為」とすることはできない。これは近代刑法の「行為主義」あるいは「法と道徳の峻別」という原理からの当然の帰結である。

 逆に、客観的に「わいせつ行為」と評価され、行為者が故意にその行為を行っているならば、行為者は「わいせつ」という行為の意味を認識してその行為を行っているのであるから、行為者に重ねて性的意図を要求することは無意味である。この場合の性的意図は、行為の違法性に影響を与えるものとはいえない。

 たとえば、刑法92条1項の外国国章損壊罪は、「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者」と規定している。外国の国旗や国章に対して損壊や除去、汚損の行為を行うことは、それは客観的に「侮辱」を意味するので、行為者に重ねて同じ「侮辱目的」を要求することは無意味である。つまり、ここでは行為そのものから「侮辱の目的」が認定されるので、「侮辱する目的」は外国国章損壊罪の故意と同じであるといえる。

 このように考えると、〈昭和45年判決〉の被告人も、報復の目的で被害者に対して性的しゅう恥心を与えるために、被害者を裸にし写真に撮っているのであるから、行為者に特に性的意図があったのかどうかを改めて問うことは意味のあることではなく、単純に強制わいせつ罪を認めることで良かったのではないかと思う。学説においても、このように理解する見解も少なくない。

 しかし、行為者に特殊な性癖があり、それが犯行動機になっている場合には、事情が異なるのである。

2.特殊な性癖がある場合が問題

 まず、強制わいせつ罪における「わいせつ行為」とは、(ニュアンスの違いはあるが)基本的に公然わいせつ罪(刑法174条)やわいせつ物公然陳列罪(刑法175条)における「わいせつ」と同じものと考えられており、「いたずらに性欲を興奮または刺激せしめ、かつ、普通人の正常なしゅう恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」行為だとされている。

 問題は、この定義はいったい誰を基準とすべきなのかという点である。

 強制わいせつ罪が被害者の性的自由を保護するものだとするならば、出発点としては被害者の感情を基準とすべきだということになる。しかし、そうすると場合によっては被害者が過剰に性的しゅう恥心を感じる場合(たとえば、手が触れただけでも強い性的しゅう恥心を感じる場合もありうる)にも犯罪性が問題となるので、客観的な限定を付して、社会の一般人が「わいせつ」と評価するようなものである必要があるとされている。

 しかし、そうすると今度は逆に、一般人にとっておよそ性的な意味を読み取ることができないような違法行為が行われ、しかも行為者には特殊な性癖があって、彼にとってはそれが性的意味を有する行為であり、その行為によって性的満足を得ようとしている場合をどのように考えるべきかという問題が生じる。

 たとえば、犯人に特殊な性癖(SM嗜好やフェティシズムなど)があり、客観的には単なる暴行や傷害などとしか評価できないが、彼がそれによって性的満足を求めているような場合が考えられる。そこでは、「女性の嘔吐する姿に性的興奮を覚える者が、女性の口に無理やり指を突っ込んで嘔吐させる行為」や「靴フェチの犯人が女性から無理やり靴を脱がす行為」、「あらかじめビンに入れた自分の精液を通りすがりの女性にふりかける行為」など、一般人の感覚からすればおよそ〈性的行為〉とは評価できないような行為が問題になる。

 〈性的意図不要説〉に立つならば、このようなケースは単なる傷害罪や暴行罪、器物損壊罪として処理されることになるが、異常な性癖が犯行の動機になっているだけに、犯罪の評価および処罰においてそれを無視することは妥当ではない。

 「低年齢の児童に対する強制わいせつ行為」もそうである。

 このような行為について行為者の「小児性欲」という異常な性癖ないしは性的意図を考慮することなく、従来のわいせつの定義に立脚し、客観的に「普通人」の感覚で評価するならば、これらの行為は決して「わいせつ」と評価できるものではない。これらは児童に対するおぞましい虐待行為そのものであるが、行為者の異常な性癖に言及しないならば、わいせつといった性的な文脈に位置づけられるようなものではない。

 これらの行為に「性的な意味」を付与するのは、一般人がおよそ性の対象とすることのない児童に対する行為者の異常な性癖や性的意図だといえる。

 警察統計によると、0歳~5歳までの乳幼児に対する性犯罪が年間数十件ほど認知されており、そのような場合、児童の性的しゅう恥心や性的自由(性的自己決定権)が問題となっているとはいえず、もっぱら犯人の性癖や性的意図が問題になっているといわざるをえない。

 要するに、行為者に特殊な性癖がある場合、強制わいせつ罪の保護法益いかんにかかわらず、彼の性的意図に言及することなく、客観的な、一般人を基準にした評価で「わいせつ」の内容を定義することはできないのではないだろうか。 ここでは、行為者の「性的意図」は故意とは別の「超過的内心傾向」と考えるべきなのである。

■3■ まとめ

 以上、強制わいせつ罪には、(1)行為者の〈性的意図〉が「(構成要件要素の)意味の認識」として故意と一致する場合と、(2)〈性的意図〉が故意を超えて「超過的内心傾向」として問題となる場合の2種類が存在するということになる。〈昭和45年判決〉の事案は前者であり、本件は、後者の観点から問題とされるべきケースである。

 そして、被害者が13歳未満である場合、構成要件的には、行為のわいせつ性そのものが犯罪性を根拠づけることになるが、原審及び原々審は、裁判所自らが認定に疑いが残るとした「行為者の性的意図」を無意識のうちに前提として、わいせつ性を認定したのではないだろうか。本件では、「性的意図」を否定しながら、行為のわいせつ性を認定することはできないのである。

 最後に蛇足ながら、〈性的意図〉を裁判において正面から認定することは、その後の矯正処遇においても効果的なことだと思われる。なぜなら、異常な性癖によって違法に性的満足を得ようとする者は性犯罪を繰り返す可能性が高いので、自らの偏った性癖を自覚させて、適切な矯正プログラムを受けさせる必要性もそれだけ高いと思われるからである。

以上