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洲本5人殺害事件 「何がなんだか分からない状態で」死刑判決

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(提供:アフロ)

■はじめに

淡路島の洲本で5人を殺害した被告人に対して、死刑判決が下されました(神戸地裁平成29年3月22日判決)。

洲本市5人殺害、平野被告に死刑判決…神戸地裁

兵庫・洲本5人刺殺事件 平野被告に死刑判決 即日控訴

洲本5人刺殺事件

この事件は、被告人がもっている特異な世界観が犯行に影響したと見られる点が特徴です。裁判員裁判で審理されましたが、裁判員の中には、法廷で被告人の口から次から次へと語られた信じがたい話に、

何が何だか全く分からない状態でした

と述べられた方もいたようで、犯行に対する量刑の問題以前に、そもそも被告人に対して刑事責任を問うことができるのかということが問題になったという意味で、極めて難しい事件だったといえます。そして、責任能力が肯定されれば、死刑以外の選択はまずありえない事件でした。

ただ、言葉尻をとらえるようで申し訳ないのですが、「何が何だか分からない状態で」死刑判決が下されたとすれば、それはそれで問題ではないかと思うわけです。

■刑事責任とは

刑事責任とは、物事の是非・善悪を理解し、それに従って自分の行動をコントロールできる状態にあったことを意味します。つまり、犯罪行為を、犯罪行為だと知りながら、それを自らの自由な意思によって決断したその意思決定が〈責任〉あるいは〈刑事責任〉と理解されています。

このような〈自由な決断〉が刑罰の前提とされているのは、刑罰に〈非難〉という要素が含まれているからです。〈非難〉とは、行為者に対して「なぜ、そのような事をしたのか」と問うことです。それは、犯罪を犯した者に対して、刑罰という肉体的な苦痛を通じてこのような問いを発することで、自分が行った行為の道義的な意味に気づかせ、内省の重大な契機となるように働きかけるためです。

自由な意思決定とは、何ものによっても強制されていないということです。たとえば、「目の前の者を殺さないと、お前を殺す」とピストルを突きつけられて殺人を犯した場合、その人は殺人を回避するためには自分が死ぬ以外に選択の余地がないような状況下にあったわけですから、殺人について自由な意思決定を下したとはいえません。また、ある人が自分を殺そうとしているとの病的な強い妄想に支配されて、正当防衛のつもりで殺人を犯した場合にも、その人に対して〈なぜ、そのようなことをしたのか〉と問うことは無意味です。 なぜなら、その人は、その行為が道義的にもまったく正しいことだと信じ切っているからです。

■被告人の場合はどうだったのか

本件の被告人も、犯行時にこのような状況にあったのかどうかということが問題になりました。

報道等によると、被告人は、精神障害の治療のために精神刺激薬を長期間、大量に服用したことによって、薬剤性精神病に罹(り)患し、その症状として強い幻覚・妄想等に支配されていたようです。

被告人は、みずからの不可解な体験をインターネットや書籍などで調べるうち、日本の政府やその工作員らが一体となって、「電磁波兵器・精神工学兵器」を使用して直接個人に攻撃を加える、「精神工学戦争」を行なっているという思想をもつに至りました。

そして、自分がこうむっている被害・苦痛も、これが原因であり、被害に遭われた近隣の住民の方々が、自分を攻撃する工作員であるとの妄想を抱くに至り、被害者一家への報復と国家ぐるみで隠蔽されている「精神工学戦争」の事実を裁判の場で明らかにするために、被害者らの殺害を決意し、実行したのでした。

■精神科医の鑑定意見の意味

従来からも被告人の責任能力が問題になるケースでは、精神科医による鑑定が証拠として裁判所に提出されてきました。ただ、責任能力(心神喪失・心神耗弱)は法律的判断ですので、裁判官は精神医学の専門家による鑑定に拘束されることはありません。しかし、この判断構造は、法律家以外の一般人にとっては分かりづらいものです。精神科医の間でも責任の判断が分かれるときもありますし、精神科医と裁判官の判断が食い違うことももちろんあります。そのような場合に、裁判官の判断に一般人が違和感をもつこともあります。

そこで、最高裁は、高度に専門的な議論に関する裁判員の負担軽減の意味からも、精神科医の鑑定意見等については、鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり、鑑定の前提条件に問題があったりするなど、これを採用し得ない合理的な事情が認められるのでない限り、裁判所は、その意見を十分に尊重しなければならないとしています(最高裁平成20年4月25日判決)。この判決によって、裁判所による専門家の鑑定意見に対する比重の置き方に変化が生じたと見ることができます。

本件でも、2名の精神科医が鑑定人として意見を述べられています。

被告人の特異な世界観については、妄想であるとするD医師と、それを否定されたM医師とで判断が分かれましたが、両医師とも、特異な世界観が形成されるにいたった原因は、精神障害だけではなく、インターネットや書物の影響、被告人の本来の性格、生育歴などが考えられるという点では一致しています。

そして、犯行時の精神状況については、次のように判断されています。

  • 本件犯行については、被告人は犯行当時切迫した恐怖を感じていたわけではなく、直接的に殺害を促すような幻覚・妄想等の症状があったわけでもない。
  • 被告人は、自分の行為が殺人として犯罪になり、逮捕され裁判を受けることになると認識していた。
  • 犯行前の生活の様子や逮捕時の落ち着いた言動などから、犯行当時の被告人の病状はそれほど悪化しておらず、被害者らの殺害を決意し、実行したその意思決定と行動の過程には、病気の症状は大きな影響を与えていない。

裁判所としては、上記の最高裁判例の線に沿って、このような専門家による鑑定意見を「尊重」したものだと思われます。

そして、結論として、完全責任能力を認めています。

「以上によれば、犯行の動機の前提となる被害者一家らが工作員であり、被告人が攻撃を受けているという認識は妄想であり、そこには薬剤l性精神病の影響があるが、そこから殺害という手段に出ることを決意した思考過程においては、被告人の世界観を前提とする誇大感、正義感、被害者一家らに対する悪感情など被告人自身の正常な心理が作用しており、病気の影響は小さい。殺害の実行についても、病気の影響はほとんど見られない。したがって、被告人は各犯行当時、心神喪失や心神耗弱の状態にあった疑いはなく、完全責任能力の状態にあったといえる。」(太字は筆者)

出典:判決書

■コメント

以上が、この事件についての裁判所の判断の概要です。

私はもちろん精神医学の専門家ではありませんので、被告人の病状や病気が精神に及ぼした影響などについて判断する能力はありません。ただ、判決文を読むと、冒頭に引用した、裁判員の方の「何が何だか全く分からない状態でした」という気持ちは理解できる気がします。

判決文の中で被告人の犯行動機は、次のように説明されています。

被害者らが被告人に対して電磁波攻撃を行なっている工作員であって、彼らに対して報復し、特殊兵器によるこのような攻撃が現実に行われているということを世間に明らかにするということであり、薬剤性精神病の影響によって、被害者らに悪感情を抱くのもやむを得ない面があり、日常的に攻撃を受けていたと考えていたことから、誤想防衛に近い側面も否定できない。

裁判所は、このように特異な世界観が犯行の裏に存在することを認め、誤想防衛に近い犯行だとしながら、他方で、犯行(殺害の決意)への病気の影響は乏しく、殺人は正常な精神状況で行われているとも判断しています。

私には、その論理には溝があるような気がします。

裁判所が死刑を選択した理由の一つに、被告人が法廷において被害者らに対し一度も謝罪の言葉を述ペておらず、いまだに被害者らをテロリストと呼ぶなど侮辱し、自己の犯行を「天誅」といって正当化し続けるなどの点を指摘し、まったく反省しておらず、更生可能性が乏しいといった点を強調しています。

しかし、素人的に考えても、このような被告人の態度は、それだけ病気による影響が深刻なのではないかと思えるのです。

被告人側は控訴しましたが、控訴審が責任能力についてどう判断するかは予断を許しません。しかし、もし死刑判決が維持されるならば、上のような論理の溝が埋められることを願うものです。(了)

関連するものとして、次の拙稿をお読みいただければ幸いです。

精神障害と刑法

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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