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青少年のスマホ利用、家庭・学校でのルール作りの支援を県民に義務化する兵庫県の条例

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:アフロ)

■はじめに

今、青少年のスマホ利用について、兵庫県青少年愛護条例の改正が議論されています。改正点は、青少年のスマホ・ネット利用に関して、友だちや親子間などにおいて〈利用時間〉や〈利用方法〉に関するルールづくりが行われるよう、そのための支援を県民に義務づけるものです(ただし、罰則はありません)。

青少年のインターネットの利用に関する基準づくり(第24条の5として新たに追加)

(1) 学校、県民(地域)、事業者、保護者等を含むすべての人々に、青少年がインターネットを利用することに伴う危険性や、過度に利用した際の弊害等について認識するとともに、青少年のインターネットの利用に関する基準づくりが行われるよう、支援に努めることを義務づけます

(2) 基準に含むべき事項は、次の内容とします。

a. 過度の利用等を防止するための利用時間に関する事項

b. 危険等を防止するための利用方法に関する事項

出典:青少年愛護条例の改正について(改正骨子案)

青少年のスマホ利用についてさまざまな問題が生じていることは周知のことであり、何らかの対策が必要となっているという認識については反対するものではありません。ただ、そのために条例で、(罰則はないにしても)県民に対してこのような義務規定を設けることは妥当なのでしょうか。

最近は、このように感情的で宣言的な立法が目につきますので、妥当な立法とは何かという点から、今回の条例における県民に対する(罰則のない)義務規定の追加について考えたいと思います。

■最近の立法の特徴

まず、立法とは、「社会は、こうあるべきだ」あるいは「こうあってほしい」という立法者の願望(理想)を実現する手段です。そのために立法においては、条文の中に(人に対して一定の動作を促すための)「禁止」や「命令」を散りばめて、条文の体系が創られます。

ところが、最近の傾向として、直接、法律事項に関わるとは言いがたい宣言的規定からなる「~基本法」や「~推進法」といった法律が多く目につきます。

高齢社会対策基本法

スポーツ基本法

いじめ防止対策推進法

自然再生推進法

女性活躍推進法など

このような傾向については、立法が民意に素早く応答しているのであって、〈立法の民主化の促進〉であると積極的に評価する意見もあります。また、価値観が多様化し、社会が複雑化するにともなって、一定の行政分野における政策の大きな基本的方向を定めることがますます重要になってきていることも事実だと思います。

しかし、他方で、このような立法においては、その内容は抽象的なものにとどまっており、大半がいわゆる訓示規定で構成されています。だから、それは具体的な裁判のよりどころとなるものではなく、そもそも〈法〉としての資格があるのかどうかも問題であり、そのようなもので国民の行動を義務づけることは問題ではないかと思われます。

つまり、このような立法が多用化されますと、国民の「法に対する信頼性」「遵法(じゅんぽう)精神」「個人や家庭などの自律性」「道徳の規範力」などが低下していく危険性があり、必ずしも良い傾向とはいいがたいのではないかと思います。さらに、立法それじたいが、場当たり的なその場しのぎの方策になるおそれがあります。

■妥当な立法を考えるための手がかり

では、妥当な立法であるためには、どのような点に留意すべきでしょうか。

・法律事項か否か

立法には、そもそも「できること」と「できないこと」があります。上で述べたように、立法とは〈あるべき価値の選択〉ですから、立法者は当然価値の問題にコミットせざるを得ませんが、そこには自ずと限界があります。

特に、基本的に個人の価値観に委ねられるような事項については、個人の人生観や世界観を他者が決めることができない以上、権力はできるだけ中立的に振る舞うべきであり、権力がそれに介入できるのは、たとえ訓示的な形であっても重要な公共の利害に関わる事項に限定されるべきです。これは《法と道徳の峻別(しゅんべつ)》という、近代法の大原則です。

したがって、心の問題やプライベートな問題にもかかわらず、被害者や青少年の保護のために権力の介入が許されるのは、基本的に暴力や人権侵害など、放置することが国全体の秩序に関わるような問題に限られるべきです。児童虐待や児童ポルノ、DV、ストーキング、リベンジ・ポルノなどの問題について現在では法規制がなされていますが、それはこのような観点から支持することができます。

・立法事実

思いつき、世論に対する無条件反射、感情などではなく、根拠に基づいた立法であることが立法の「質」を高めることにつながります。これが、いわゆる〈立法事実の問題〉といわれる論点です。

立法事実は、なぜ今そのような立法が必要となるのかという疑問に答えるものであり、立法という作業を正当化する基礎です。それは、社会的、経済的、政治的な事実です。立法の際にはつねにその検討が必要不可欠となります。

・実効性

実効性を持たないか、実効性の薄い法律は、法的適格性において問題となります。この実効性は、内容的側面実現可能性という側面から問題になります。

第一に、立法の内容が、一般の人びとの現実的な要求や法感情と乖離(かいり)していないことが重要です。どんなに理想的な内容のものであっても、一般の人びとの支持を得られない法は〈生きた法〉としては存在できません。そのような法は、逆に社会的な混乱や社会が進化するための阻害要因になりかねません。つまり、立法が観念的・理想的な目標に走りすぎてはいないかどうか、社会的に受容されるものなのかどうかなどの検討を十分に行う必要があります。

第二に、法が理想とするところのものを現実に実現することが難しいならば、それは立法者の単なる願望であって、そのような法が創られることは、一般の人びとの遵法精神を低下させる危険性があります。理念的なものは、法の前文や目的規定、理念規定などにとどまるべきであり、情緒的、感情的な文言が個々の条文の中に盛り込まれるべきではありません。なぜなら、権利や義務と直接結びつかないような規定であっても、他の条文に影響を与え、法律全体の性格にも影響を及ぼすことがあるからです。

■兵庫県愛護条例の改正について

青少年保護のためといえば何でも立法化が許されるわけではなく、家族や教育機関等の自律性への配慮が求められます。確かに、子どもたちの行動に対する家庭の機能低下や地域社会の連帯感の希薄化などからすれば、本来家族内で処理されるべき問題に公権力がある程度かかわっていく必要性は否定できない面はあります。しかし、スマホの利用時間、利用方法に対してルール化することは、子どもたちの自律性を軽く見た過剰な規制ではないでしょうか。学校内はともかく、学校の外、家庭内で、利用時間や利用方法などをルール化しても、それが守られているかどうかを確かめることはほとんど不可能です。アイデアは良くても、実行性が低ければ、実効性も疑問に思えます。したがって、そのようなルール化に対する支援について、県民を義務づけることも妥当とは言えません。

また、かりにルール化されている方が子どもたちに注意しやすいという理由があれば、それは本末転倒の議論です。スマホやネット利用に関する教育と啓発を充実させ、青少年の自律性を育てる方策に力点を置くことこそが望まれます。この問題は、社会の多様性や将来の社会のあり方にもかかわってくるものだけに、慎重な議論と冷静な対応が必要だと思います。(了)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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