奇妙な“くすぐりビデオ”の怖ろしい裏側を暴いたドキュメンタリー映画──『くすぐり』がたどり着いた暗部

映画『くすぐり/TICKLED』公式HPより

Netflixで観られるドキュメンタリー

日本でも浸透しつつある動画配信サービス・Netflixで、地味に存在感を高めているのがドキュメンタリーだ。

そこでは、映画館やビデオなど、従来の公開ルートでは埋没しがちな世界各国の作品が数多く公開されている。たとえば日本でも劇場公開されたメキシコとアメリカの国境の麻薬撲滅自警団を追った『カルテル・ランド』や、北朝鮮に拉致された韓国人映画監督と女優を描いた『将軍様、あなたのために映画を撮ります』などがそうだ。メキシコや北朝鮮の裏の顔を描いたこの両作品は、かなりのインパクトがある(とくに後者は、金正日のプライベートな電話での会話を聴くことができる)。

一方、日本で劇場未公開の作品もNetflixでは多く観ることができる。ドキュメンタリーはそもそも劇場公開されにくいが、Netflixはその公開の場として機能しつつある。

ニュージーランドのドキュメンタリー映画『くすぐり』(原題"Tickled")もそのひとつだ。それは、タイトルからは想像もつかない怖ろしいミステリー映画だった。

謎の「くすぐりガマン選手権」

ニュージーランドのテレビ記者であるデイビッド・ファリアーは、ある日、ネットで「くすぐりガマン選手権」なる珍妙なビデオを見つける。中身はタイトルそのまま、両手足を拘束された若い男性が、他の若い男性に身体中をひたすらくすぐられる映像だ。くすぐられる男性は悶絶しながら笑い、くすぐる男性もそれにつられてニヤニヤしている。一見すると「おバカなビデオ」だ。

そもそもファリアーは、世の中の変わったひとびとを取材するエンタテインメント系の記者だ。過去に扱ってきたのは、たくさんロバを飼っているおばさんなど、ユルくてくだらないものばかり。ネタ探しの末にこのビデオにたどり着いたのだった。

ただ、このくすぐりビデオは何のために創られたのかわからなかった。サイトで募集する挑戦者(男性スポーツマンに限定されていた)には、LAまでの渡航費と4日分の滞在費、さらに1500ドルの報酬が提示されてある。かなり潤沢な予算だが、制作したビデオで稼いでいる形跡もない。しかも、これを毎月開催するアメリカの会社「ジェーン・オブライエン・メディア(JOM)」も、素性が不明だ。

そこでファリアーは、主催者のJOMに取材を申し込む。この段階で、そこに他意はない。彼にとっては、仕事のおもしろネタのひとつだったからだ。しかし、JOMからは意外な答が返ってきた。

「同性愛者の記者と関わるつもりはない」

「同性愛者には絶対に応募してほしくない」

「くすぐりは、完全に異性愛者だけの耐久競技です」

「同性愛は、よく言っても客観的な障害」

「恥を知れ」

「ゲイ野郎(faggot)」

2014年の「ジェーン・オブライエン・メディア」HP(インターネット・アーカイブより)
2014年の「ジェーン・オブライエン・メディア」HP(インターネット・アーカイブより)

それは非常に不可解な反応だ。ファリアー自身はバイセクシュアルであることを公言しており、くすぐりビデオにある種の同性愛的な要素を見出していた。実際、ウェブページの保存サイト・インターネットアーカイブに残る当時のJOMのHPを見ると、そこでは健康的な若い男性が朗らかに微笑んでいる。しかし取材申し込みだけでファリアーは罵倒され、同性愛であることを厳しく非難された。さらに、それから数週間にわたって彼のもとにゲイを罵倒する内容のメールが送られてきた。

あまりにも奇妙な展開だ。しかし、この過剰な反応によって、ファリアーはこの団体に強い関心を持つことになる。

取材を開始してから3週間、彼はその途中経過をブログで公開する。それは大きな反響を呼び、ファリアーはこれをドキュメンタリー作品にすることを決意する。

すると間もなく、JOMの弁護士から一通の封書が届く。その内容は、訴訟を起こし、同時に代理人をニュージーランドに寄越すという内容だった。そして、実際に3人の男性がアメリカからニュージーランドのオークランドにやってくる──。

以上が、映画の冒頭10分の展開だ。

誰が、どうやって、何のために?

この奇妙なドキュメンタリーを観ているとき、常に頭にたたずむのは3つの疑問だ。

「誰が、どうやって、何のためにそのビデオを創っているのか?」──この作品のミステリー的な面白さはここにある。ファリアー監督は徐々に真相に迫っていく。

ひとつ目の「誰が?」という部分は、主催者が何者かを探るプロセスだ。手がかりは多くないので、張り込みやネットサイトの階層を探るなど、地道な調査を続ける。そして早い段階で撮影スタジオにたどり着くなどし、主催者が90年代から女性を名乗っていることを確認する。

「どうやって?」と「何のために?」という点は、要はビデオ制作の資金源と目的のことだ。JOMは、撮影したくすぐりビデオを販売している様子がない。HPでも広告を取っていない。よって、ビジネスかどうか判然としない。にもかかわらず、1500ドルの報酬や渡航費などの経費がどこから出ているのかわからない。闇組織? マフィア? あるいは政府の極秘任務?

この点を調査する過程で明らかとなったのは、JOMは過去に出演した若者(未成年者も含む)や通っている大学や職場などに対し、ネットで執拗な嫌がらせをしていたことだ。くすぐりビデオをYouTubeをはじめ動画サイトに、「くすぐり好き」「性的倒錯者」「ゲイで縛られるのが好き」とのキャプションを付けてアップロードしたり、大学にサイバー攻撃をしたりしていた。結果、ある出演者の男性は仕事を失うまでとなった。

当初ファリアーに送ってきメールと同様、こうした行動からはゲイフォビア(同性愛嫌悪)が強くうかがえる。

誰が、どうやって、何のために、「くすぐり選手権」を開催しているのか?──ファリアーは徐々にその謎を解き明かし、そして最終的に驚くべき真相に行き当たる。

予想外の展開に

▼ここからは映画の結末に触れます▼

わざわざアメリカに渡って取材を続けていたファリアーは、なんとかJOMの主催者の素性を突き止める。

女性を名乗っていたが、実はその人物は法律事務所の顧問を務めるデイビッド・ダマートという50代の男性で、以前は高校の教頭を務めていたことが明らかとなる。しかも、過去に別名でくすぐりビデオを制作していたとき、亡くなった女性の社会保障番号を不正に取得したことで、実刑を食らっていた。映画の最後では、張り込みをしたうえでファリアーはダマート本人を直撃している。

「誰が?」という疑問は明らかとなった。残るはふたつの疑問──「どうやって?」「何のために?」だ。このうち、前者には答が出た。どうやら資金源は、親の遺産だった。ダマートの親はかなり裕福で、彼はそれを相続して、財団までやっていた。要は金持ちのボンボンであり、表向きには名士だった。

しかし後者の疑問──「何のために?」は、結局最後まで判然としない。マニア向けのビジネスであれば、ビデオが流通した証拠がそれなりに出てくるはずだが、やはりそうではないようだ。またポルノビデオと異なり、このくすぐりビデオはYouTubeでも公開されていたようにレイティングにも引っかからないので、一見ポルノには該当しない。たとえフェチビデオだとしても、裏でこそこそやる理由があまりない。よって、裏ビジネスの可能性は薄い。

となると、金持ちのボンボンが多額の予算で趣味のフェティッシュビデオを制作し、騙された若者を執拗にイジメている──ということになる。

監督のファリアーも当事者からビデオの用途を聞き出せなかったので、結論を明確に提示してはいない。しかし、映画の最後に主催者ダマートの継母への電話取材をし、人となりを聞き出した。それは、かなりのヒントとなる。

観賞者にはファリアーが取材で得たこれらの情報が投げ出され、その解釈が委ねられる。そのときポイントとなるのは、以下だ。

  • 親の遺産を使い、多額の予算で「くすぐりビデオ」を個人的に制作している
  • 所属は法律事務所で、すぐに訴訟をちらつかせて脅す
  • 出演者や元関係者を執拗にネットで攻撃をする(悪評をネットで撒き散らすなど)
  • 周囲との縁がほとんど切れており、高級住宅街でひっそりと暮らしている(孤独)
  • 強いゲイフォビア(同性愛嫌悪)
  • 多重人格ではないか(継母情報)
  • 女性の恋人がいた様子が一度もない(継母情報)
  • 亡くなった継父は孫を欲しがったが、彼がゲイなら受け入れるという姿勢(継母情報)
  • 幼少期にずっとイジメられていた(継母情報)
  • 実母が異常に過保護で、怪我をすることを極端に恐れていた(継母情報)
  • 元教師だったが追放された(継母情報)
  • 継母も彼を怖がっている(継母情報)

このドキュメンタリーで明らかになったこれらのポイントは、「何のために?」という疑問を解消する推理のために、それなりのヒントとなる。

サディストの権威主義者

ダマートは個人的に「くすぐりビデオ」を制作し、関係者をネットで執拗に攻撃するなどして信頼を失い、そして利害関係を考えない過剰反応によって自滅した。そうした彼は、一般的には「サイコパス」などと括られるかもしれない。ただこの映画からは、それ以上に主催者ダマートのパーソナリティーが具体的に推理できる。

ひとつは、かなり特殊なサディストであることだ。この映画では、前半部分で他のくすぐりビデオ制作者も取材しているが、そこではくすぐりがSM的なフェティシズムだと説明される。それが性的なものかどうかは不明だが、(このケースであれば)要は両手足を拘束されて自由に動けない男性を、男性がもてあそぶ。つまり、男性が男性を服従させる。

ただ、この他のビデオ制作者は、堂々としている。それは自分がマニアックな趣味であることを自覚しているマニアだからだろう。それに対し、ダマートは女性に偽装し、素性がばれることをかなり警戒していた。自意識過剰なほどに。

同時に、このサディズム志向からはダマートがかなりの権威主義的パーソナリティーであることも読み取れる。監督のファリアーは、ダマートの特徴を「権力、支配、嫌がらせ」とまとめるが、それらは典型的な権威主義者のそれでもある。そもそも「サディズム/マゾヒズム」という用語は、権威主義研究によって広まった。

権威主義的パーソナリティーとは、そもそもは心理学の分野でナチス支持者の研究として始まった。具体的には、エーリッヒ・フロムと、それを踏まえたテオドール・アドルノの研究として続き、心理学や社会心理学では現在も注目される基礎的な概念だ。最近でも、『社会はなぜ左と右にわかれるのか』のジョナサン・ハイトが、調査したうえでトランプ支持者を権威主義者と断じたのが記憶に新しい。

権威主義的パーソナリティーの特徴は、孤独や無力感に対する解消として顕現する。サディズム傾向は他者を支配することを志向し、マゾヒズム傾向は他者に支配されることを志向する。両者は強いパワー(権力)を軸としている点で、コインの裏表だ。フロムは、この心理的傾向がナチズムを生んだと分析した。ざっくりその傾向を描写すれば、孤独感が強く、自分よりも強い者にはペコペコし、弱い者には強くあたるタイプがそうだ。

過剰反応による自滅

次にダマートの気質を構成する環境として挙げられるのは、ネットへの強い依存だ。これは、彼の強い孤独感とも関連する。このドキュメンタリー映画のきっかけは、監督に対する罵倒メールだったが、そもそも監督には他意はなく単なる好奇心だった。攻撃的なメールを送ったことで、かえってダマートは怪しまれてしまった。

この作品の存在自体、ひとりのマニアが過剰にジャーナリストを刺激した結果であり、完全にやぶへび状況だと言える。ダマートがもし趣味でビデオ撮影しているだけならば、無視すればいいだけだ。こうした利害関係を計算できないゆえのダマートの感情的な暴走は、身近なところに彼を諭すことができる家族や友人がいないことを示唆している。コミュニケーション研究的に言えば、彼には身近なインフルエンサー(影響者)がいなかった。

もうひとつの特徴は、あの極端なゲイフォビアと、ダマートの継母がうかがわせた彼自身がゲイである可能性だ。実際ダマートがゲイだったかどうかは不明だが(主要スタッフには元ゲイポルノ監督もいるが)、構図としては「ゲイ向けのようなビデオを個人的に制作している人物が、ゲイを極端に嫌悪している」ということになる。もしかしたら、彼は自分がゲイであることを認められず、ひどく抑圧していたのかもしれない。つまり、精神医学における強い「否認」の状態が推測される。

もうひとつの可能性として考えられるのは、募集されていた若い男性がスポーツマン(athlete)であることから、イジメられっ子の復讐ということだ。アメリカの学校では、ジョックスと呼ばれる体育会系がヒエラルキーのトップに君臨している。ダマートがやったことは、こうした彼らをカネと「くすぐり」によって支配することだ。トラウマの克服として最悪のあり方だが。

サディスト(権威主義的パーソナリティー)、ネット依存、ゲイ否認、元イジメられっ子──この4つはもちろん推理にしかすぎない。

ただし、そこでひとつだけ明確に確認できることは、彼が利害関係を考えずにした過剰反応によって自滅したことだ。つまり、感情の高まりを抑えることができなかった。

「サイコホラー」とも評されるこの映画の得体の知れない怖さは、この点にある。親の遺産で密かにフェチビデオを個人制作していた50代の元教師が、利害関係を無視して感情を暴走させ、そしてジャーナリストの対象となって自滅する──それが怖いのは、ダマートを連想させるような、後先を考えずに感情を暴走させる人物が、ネットで多く可視化されるようになったからだ。だからこそ、彼のような存在もよりリアルに感じられるようになった。その点において、この映画はネット時代のドキュメンタリーだと言える。

映画のもうひとつの結末

2014年から撮影が開始されたこの映画は、2016年3月にサンダンス映画祭で絶賛され、5月から8月にかけてニュージーランドやアメリカ、ヨーロッパなどで公開された。

このとき、ひとつの出来事があった。アメリカでの公開初日である6月17日、ダマートやJOMのスタッフがLAのプレミア上映に現れたのである。もちろん抗議のためだ。彼らは法的措置をちらつかせながら恫喝をしてきた(※1)。

さらにそれから1年後、もうひとつの重大な事態が生じた。それはつい最近、2017年の3月13日のことだ。

ダマートが突然死んだのである。

『ニューヨーク・タイムズ』の訃報記事(それは彼の社会的地位が高いことを意味するが)には「died suddenly」とあり、詳しい死因は不明だが突然の死だったようだ(※2)。フィクションと異なり、現実の結末はあっけないものだった。

このドキュメンタリー映画は、観ている者それぞれにさまざまなこと考えさせる。ダマートはたしかに病的ではあるが、彼の激しいゲイフォビアやネットでの他者への執拗な攻撃は、アメリカ的というよりも、先進国に共通して見られる現代性を感じさせる。視野を大きく広げれば、トランプ大統領が誕生した背景のひとつとしても捉えることが可能だろう。

監督のファリアーがバイセクシュアルであることを隠してないように、性的マイノリティであること自体が、誰にとっても必ずしも社会的な抑圧にはなるとは限らない。先日のゴールデンウィークにも「東京レインボープライド」が開催されたように、社会的な受け入れ姿勢は広がっている。現代は、性的マイノリティに対する姿勢が刻一刻と変化している過渡期にあると言えるだろう。

ダマートの「くすぐりビデオ」と彼の過剰な反応は、もしかしたらそのプロセスで生じた現象と捉えることが可能かもしれない。抑圧された存在が、解放に向かう社会に対して、自らの立場に無自覚なまま抑圧する側に立ち続けようとする──それはさまざまな闘争の場で歴史的に見られたものだ。

最後に、この傑作に多くの不満はないが、ひとつだけ疑問は残されたままだ。ファリアー監督にさらなるオーダーがあるとするならば、やはりくすぐりビデオが制作されていた目的=「何のために?」を明らかにすることだろう。同時にそれは、ダマートがなぜ死んでしまったのかを明らかにすることとも関連するかもしれない。ぜひ続編を創って欲しい。

■この記事の続き

ドキュメンタリー映画で告発された“くすぐりビデオ”の黒幕、そのサイドストーリー(2017年7月29日)

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