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元日本暫定ウエルター級チャンプ、坂本大輔

林壮一ノンフィクションライター
撮影:筆者 坂本大輔氏が愛息を通わせている吉野弘幸氏のジムで

 1981年8月6日に千葉県習志野市で生まれた坂本大輔は、幼稚園入園直後からサッカーを始め、Jリーガーになる夢を持っていた。スライディングを得意とする潰し屋のボランチとして、中学生時代に習志野選抜の一員となる。そして迷わずサッカーの名門、習志野市立習志野高等学校に入学した。

 「レギュラーになって活躍し、プロになることを目指していました。1年生大会には右のサイドバックで出場したんです。……が、こりゃあ1軍に行くのは無理だな、と感じてしまって」

 そこで、昔から興味のあったボクシングに転向した。

 「サッカー部で思い悩んでいた折、輪島功一さんの自叙伝を読み、いつかやりたいという思いがあったんですよ。ボクシング部の友人に『どこかジムを紹介してくれよ』って頼んだら、顧問の先生に話を持っていかれ『ボクシング部に入部しろ』って口説かれて、高校2年の5月に転部しました。

 人より遅いスタートでしたから、2倍やってやっと追い付く。3倍やれば追い越せると。とにかく、他の部員の3倍練習することを自分に課しました。習志野高校は定時制もあるのですが、その授業が終わる22時まで自分を追い込みました。20キロくらい走り込んでいましたね。それで、高校3年に上がる直前、ライトウエルター級千葉県大会で優勝することが出来ました。関東大会でも優勝し、全国大会で3位になりました。インターハイも3位でしたが、これは納得いかない判定でしたね。国体は準優勝でした」

 彼の活躍に目を留めた明治大学、早稲田大学、拓殖大学からスカウトを受ける。

 「全額免除だったんで拓大に決めました。親孝行したんです(笑)。でも、大学時代は酒に溺れていました。ボクシングでプロになるよりも、お笑い芸人になることを目指していたんです。それで、吉本興業の養成学校であるNSCに入りました。

 周囲からボクシングをネタにしたお笑いをやれって勧められ、いい体を作って、プロのライセンスを持っていたらインパクトも違うのかなと、角海老宝石ジムからプロデビューしたんです」

撮影:筆者
撮影:筆者

 プロで3戦した頃だった(2勝1分け)。2007年12月27日。坂本にとって忘れたくても忘れられない事件が起こる。

 「23時くらいでした。上野駅の不忍口の改札を出たところで、すれ違った酔っ払いに僕の右肩がぶっつかったんです。『おい、待て』と、因縁をつけられたのですが、こちらは試合前ですから揉めたくなかった。でも、とにかくしつこかったんです。『やめてくれ』と手を払った際に、僕のネックレスが切れ、反射的に手が出てしまいました……深く反省しています」

 一般人なら正当防衛で済んだかもしれない。だが、プロボクサーの拳は凶器である。相手は脳挫傷、頭蓋骨骨折、急性硬膜下血腫に陥る。坂本は過剰防衛で逮捕され、上野警察の留置所で2週間を過ごした。その後、略式起訴され、50万円の罰金を払うことで釈放される。ボクシング界からは、1年間のライセンス停止処分が下った。吉本興業からはクビを宣告された。

 「50万円を工面して迎えに来た母と抱き合って泣きました。あの後ろ姿は忘れられません。親孝行しなければ。絶対にチャンピオンになるんだと自分に言い聞かせました。

 また、角海老ジムの会長が生活費として40万円を手渡し『続けろ』と言ってくれたんです。恩は一生忘れません」

写真:坂本氏提供
写真:坂本氏提供

 リング復帰に向けて汗を流していた頃、トレーナーに「アーロン・プライアーのようなボクシングをしろ」と助言される。

 「接近戦で打ち合うだけのインファイターではなく、フットワークを使うインファイター、打たれても前に出る選手を目指しました。プライアーみたいな柔らかい筋肉を手に入れようと、初動負荷のトレーニングを重ねましたね」

 2017年6月30日、プロ25戦目で日本ウエルター級暫定王座決定戦に勝利し、ベルトを巻く。

 「勝つ自信のある相手でした。でも、ようやくタイトル戦に辿り着いたんだというプレッシャーで、試合前日は眠れなかったんです。2ラウンドに左フックを喰らい、右の目尻を切ってしまった。でも、下がらずにジャブ、ジャブ、ボディーと前に出続けたのが良かったと思います。

 当時35歳で、間もなく36になるという時期でした。33くらいから、自分の衰えを自覚していたんです。ギリギリのタイミングでタイトルを獲ることが出来てよかったな、と、今振り返って感じますね。僕はリングで、全てをやり尽くしたと思っています」

 次戦の同王座統一戦で敗れ、坂本は引退を決める。2018年7月9日がラストマッチ。リングを離れてから、既に6年になろうとしている。現在は、ひとり親家庭に無料でお弁当を配る仕事に就いている。

 「毎日、3人のお弁当を受け取りに来る小学校高学年のお子さんがいるんですよ。彼のお母さんが車椅子だということを知ったりすると、僕もできる事を精一杯やろうと日々思いますね。

 今、プライアーのパネルを見ながら、以前にも増して辛い環境の方をサポートしたいと感じますね」

 プライアーが、「我が友カメダへ」と贈ったパネルは、坂本の自宅の壁に飾られている。天国の亀田昭雄も微笑んでいるに違いない。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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