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37歳の挑戦者を包んだ万雷の拍手

林壮一ノンフィクションライター
撮影:筆者

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

 「初めてボクシングを生観戦しましたが、最高でした。私、本当に関根翔馬選手に感動しましたよ。”37歳の咬ませ犬”と言われながらも、己と戦い、色んなものを乗り越えてリングに上がった。そして、熱く攻め続けた。

 最後はKOで敗れましたが、リングから降りてファンや仲間に『すみませんでした』と頭を下げてね…。負けはしましたが、万雷の拍手を浴びながら、『よくやった!』という声を背に浴びてロッカールームに消えていった。あの姿に胸が熱くなりました。まだ余韻が残っていますよ」

撮影:山口裕朗
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 青コーナー側のリングサイドで戦況を見詰めたJBC株式会社の代表取締役、加藤伸彦氏は後楽園ホールを去る折、そう語った。

 JBCと聞くとJapan Boxing Commissionを連想される方もいらっしゃるだろうが、加藤氏が経営するJBCは、医療機器、産業機器用(防衛産業向けのミルスペック含む)の半導体等の仕入れ販売、電子機器、アパレル製品、生活雑貨品の輸出入や、車両の修理販売を手掛ける社である。

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

 12月12日、後楽園ホールで催された日本スーパーライト級タイトルマッチで、6位のチャレンジャー、関根翔馬は4回1分24秒でKO負けを喫した。19歳でワタナベジムに入門し、苦節18年、ようやく掴んだ晴れ舞台だった。

 一年前、関根は「ボクサー定年」でリングを去る筈だった。が、これまた<咬ませ犬>とされた試合で金星を挙げ、念願の日本タイトル入り。そしてルール改正もあって、今回「安牌」としてチャンピオン陣営から指名を受けた。

撮影:山口裕朗
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 ~咬ませ犬が番狂わせでチャンピオンを喰う~

 ジムで最年長のプロ選手である関根は、劣勢を予想されながらもUPSETでベルトを掴んだ世界タイトルマッチを繰り返し見て、自らを奮い立たせる。そんな様に、ジムの同僚やトレーナーたちも突き動かされ、一丸となって日本6位をサポートした。

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

 ワタナベジムOBであり、現在はトレーナーを務める小林尚睦は試合前、こう言って挑戦者を送り出した。

 「今までやってきた全てを出し切ってこい! どんどん前に出て攻めろ!!」

 その言葉通り、関根は果敢に攻めた。得意の右フックを上下にヒットし、ペースを掴みかけた局面もあった。

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

 加藤氏と共に、リングサイドで観戦した元日本大学ボクシング部主将、坂斎徹氏も振り返る。

 「チャンピオンは、いつでも倒せるというようなスタイルで戦いましたが、関根選手の頑張りに、結構被弾しましたね。上を目指すなら、プロとして初回からもっとアグレッシブに戦うべきだったのではないでしょうか。

 挑戦者の勇気が評価される試合でした。関根のファイトは素晴らしかった。逆にこちらが力をもらいましたよ」

撮影:山口裕朗
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 加藤氏も言った。

 「関根選手は正直で、かつ、真っ直ぐでしたよね。人柄が滲み出ています。人間としてチャンピオンだと思います。彼を目にすることが出来て、私は心から幸せを感じていますよ」

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

 関根翔馬は敗れながらも、その生き方で周囲の心を動かしたのだ。試合後の控室で小林トレーナーは、次のように声をかけた。

 「凄くいい試合だった。興奮したよ。勝つ可能性を感じさせてくれる戦いだった」

 37歳の挑戦者は、生き切ったのだ。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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