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「無罪」に近付いた袴田巌さん

林壮一ノンフィクションライター
(C)「毎日新聞社/アフロ」2023年3月13日支援者とお寺を散歩する袴田さん

 プロボクサーに対する偏見が生んだ冤罪だった。

 1966年6月に静岡県旧清水市で発生した強盗殺人、および放火事件の犯人として、静岡県警は袴田巌さん(87)を逮捕。袴田さんは無罪を主張しながらも、被害者一家4名を殺害し、現金37万円を奪ったとして、1968年9月に静岡地裁で死刑判決を受ける。その後の控訴、上告も棄却された。が、袴田さん、袴田さんの実姉(90)、そして弁護団は、清水警察署の杜撰な取り調べを追及しながら再審請求を続け、この3月21日に更なる再審開始が決まった。

 この件について、浅川拓也弁護士(39)からコメントを得た。

浅川拓也弁護士  写真:本人提供
浅川拓也弁護士  写真:本人提供

 「捜査機関が袴田さんを犯人として決め打ちしたうえで捜査をしていた印象です。根底に、ボクサーに対する偏見があったのかもしれません。ボクシングを単なる殴り合いと捉えている人と、崇高なスポーツとして理解している人がいますよね。私はスポーツの面を重視して見ていて、ボクシングが好きです。井上尚弥チャンピオンしかり、村田諒太氏しかり、田口良一氏しかり、プロボクサーは人格的にも優れている選手が多く、今や粗暴さを売りにするタイプの選手があまりいないんじゃないでしょうか。

 ボクサーは乱暴なヤツ、暴力を犯すヤツという見方は大間違いで、そういうことを生業にしている人こそ、何かトラブルがあった場合も相手を傷つけない方法で解決すると思います。ボクサーは、一般人に暴力を振るうという発想にならないんじゃないでしょうか。時に問題を起こす人もいますが、それは珍しいこととボクサーの負っている社会的責任からピックアップされるのであって、世の中、ボクシングをしていない人の方がよっぽど事件を起こしている訳です。

 あの時代の静岡県警は、バイアスが掛った目でしか見ていなかったのかなと。取り調べというのは、どんなに心の強い人、元プロボクサーであっても、毎日毎日『お前がやったんだろう』と言われたら、いつの日か迎合してしまうというか、本当にやっていなかったとしても否定し続けるのは相当難しいと思います。検察や警察等の捜査機関は、間違ったことをしっかりと認めて、それをどう活かすかという方向にシフトしてほしいです。大いに反省して、捜査の方法、取り組み方を見直すべきです」

袴田さんの実姉、秀子さん(90)
袴田さんの実姉、秀子さん(90)写真:アフロスポーツ

 英国のガーディアン紙は、「45年間の死刑囚生活を経て、再審が認められた」と報じたが、その年月についても浅川弁護士は語った。

 「なかなか言葉にするのは難しいですが、それだけの年月を無駄に過ごさざるを得なかった袴田さんは、ただただ辛かっただろうなと。いつ執行されるかも分からない恐怖にずっと晒されていた訳ですよね。元プロボクサーの方ですから、強靭な精神をお持ちだとお察ししますが、取り調べに関しても、最初から犯人だと決めつけられる中で取調べに耐え、しかし、誰も自分を信じてくれないような状況で供述を変えざるを得ず……ほんとにつらく心が折れるような思いだったでしょうね。

 死刑囚として取り扱われて、『自分はやっていない』『俺は違う』と言う場面さえ奪われてしまった。毎日、廊下でコツコツという靴音が聞こえてきたら、『今日は俺が執行か』と思うような日々に絶望していたのではないでしょうか。

写真:アフロ

 第2次再審請求はお姉さんがされているんですよね。ご本人は2008年に最高裁が特別抗告を棄却し、第1次再審請求が終了した時点でこれまでの経緯からもかなり精神的に滅入ってしまっていたんだろうと感じます。

 お金だったら、返還するなどの手段で手当てすることも可能だと思うのですが、時間はどうやっても取り戻せないじゃないですか。一人の人間の時間と心を奪ったということは、この国が犯した罪といっても過言ではありません。この反省を生かさなければ、何も反省していないことと同じです。国民で同じことが起きないような制度を考えていかねばならないと私は考えます。せめて再審で、袴田さんが安心できるような形で早期の解決をしてほしいですね」

東京高検の特別抗告断念は当然のことだ
東京高検の特別抗告断念は当然のことだ写真:西村尚己/アフロ

 今回の冤罪事件は、「日本の検察は平然と捏造する」ことを世に知らしめた。浅川弁護士は言う。

 「権力を行使する機関自らが『犯人も証拠もいくらでも、でっち上げが出来る』ほどの力を持っていると国民が知る機会になりました。冤罪が起こってしまう、捏造が起こり得るということを知らしめた事件です。

 私が法律を学んだ時に、冤罪の何がダメか教わりました。冤罪が起きることで袴田さんのように罪を犯していない人に対して最悪の場合、国家が命まで取ってしまうという刑罰を与える制度なんです。それと同時に、真犯人を逃がしてしまうことでもあります。つまり、被害者にとっても冤罪で捕らえられた人にとっても、最悪の結果となってしまいます。

 だからこそ、本当に慎重にならなければいけない。それこそ、国家機関である捜査機関が、慎重に慎重にならなきゃいけない。真犯人が野に放たれたままになっている社会にとっても最悪な状況が続くこととなります。それにもかかわらず、捜査機関が自ら犯人を誤るような証拠を作ったとすれば、最悪な状況を捜査機関自ら生み出したこととなり本末転倒です」

東京高検の山元裕史次席検事は「特別抗告しないこととした」という文書コメントの前に「承服しがたい点がある」と記した
東京高検の山元裕史次席検事は「特別抗告しないこととした」という文書コメントの前に「承服しがたい点がある」と記した写真:西村尚己/アフロ

 ボクサーに対する僻見による犠牲者となった袴田巌さんだが、近く無実が認められるだろう。その一方で、真犯人はどこにいるのか、また、冤罪を生み、袴田さんを苦しめた検察側はどう責任を取るのかという課題も残っている。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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