Yahoo!ニュース

日本代表GKが、母校のピッチを訪問

林壮一ノンフィクションライター
(写真:松尾/アフロスポーツ)

 「遅いぞ。髪を整えるのに時間が掛ったのか?」

 シュミット・ダニエルが中央大学のサッカーグラウンドに到着するや否や、ダイレクターの佐藤健が声を掛けた。確かに、練習開始時間の午前7時を10分ほど回っている。

 シュミットが母校を訪れるのは、卒業した2014年以来だ。ベガルタ仙台を経て、現在、ベルギーリーグ1部のシント=トロイデンVVでプレーする彼は、オフを利用して帰国し、中央大学の後輩たちとトレーニングする時間を設けた。

 2018年から日本代表入りして今日までに7試合に出場している198センチのGKは、中大のピッチに入った瞬間、「おぉ懐かしいな。風景が同じだ」と語った。

撮影:筆者
撮影:筆者

 佐藤によって、中大の現役選手たちにシュミットが紹介される。日本代表のGKは、中大生の円に加わると「邪魔しないように頑張ります」と一言告げ、練習に加わった。

 その後1時間強、中央大学多摩キャンパス内のグラウンドに、選手たちの声が木霊する。1対1、2対2、ミニゲームと、シュミットは大学生に交じってプレーした。的確、かつ大声での指示がプロでのキャリアを物語る。

 筆者は、彼が大学4年次に関東大学リーグでプレーする様を何度か取材したが、これほど通る声は発していなかった。

撮影:筆者
撮影:筆者

 自身もGKであり、東北学院高校から中央大学とシュミットと同じ道を歩み、卒業後は住友金属のゴールマウスを守った佐藤健(63)は言った。

 「選手としても、人間としても逞しくなりました。ビックリしましたね。大学時代は、あんなにデカい声での指示は出せなかったですよ。キャリアが彼を大きくして、今の位置にいるんだな、やっぱり違うんだな、と感じます。全て変わりましたね。

 中大に入学した頃は、ポロポロとボールをこぼしていましたが、あれだけのサイズですし、ポテンシャルも高かったので、じっくり時間を掛けて育てようと考えました。日本代表となって、こうして母校を訪れてくれる。学生たちに刺激を与えてくれますね。後輩たちのモチベーションを上げに帰ってきてくれるっていうのは、本当に嬉しいことです」

撮影:筆者
撮影:筆者

 練習メニューをこなした後、ピッチ脇にあるベンチにシュミットと佐藤は並んで腰掛けた。

佐藤健「もう、30になったんか?」

シュミット「はい。2月に。昔、健さんに『お前は、30からだよ』って言われたんですが、本当に、そうですね。自分もそんな気がしています」

 対談も交えながら、まずは佐藤健ダイレクターにシュミットとの出会いから質問した。

佐藤健「高校3年生になる直前に、東北学院高校と中大Bチームが練習試合をやったんです。それで、ダニはこのグラウンドに来ました。一目見て、図抜けている、異質だなと。サイズとキックに可能性を感じました。当時、中大は190センチくらいの大きいGKを採っていたし、ダニもここで育てようということになったんです」

シュミット「練習試合は0-5くらいで負けましたが、終了後に健さんに『お前、中大に来たいか?』って訊かれたので、『はい。来たいです!』って答えて、それで決まりでしたね。当時の僕は、身長194センチでした」

撮影:筆者
撮影:筆者

佐藤健「ダニが入学後は、<今はクソ下手だけどポテンシャルはあるからとにかく伸ばして、大学4年間でプロになれる形を作っていこう>と、川崎フロンターレに預けました。ブラジル人のイッカの指導を受けるようにお願いしたんです。イッカは『ダニと個人契約したい。俺が育てて、俺が売る』なんて言ったんですよ。でも、まだ大学生ですから、それはダメですって応じました。

 明治大学の監督だった神川明彦が関東大学リーグの技術委員長、僕が副委員長をやっていましたから、1年からダニを選抜チームに入れてデンソーカップに出しました。皆、ダニの将来性を買っていたので」

シュミット「中大では試合に出ていなかったですけれどね。2年、3年ではイタリアとスペインに遠征しました」

撮影:筆者
撮影:筆者

佐藤健「自覚を持たせ、経験を積ませようと。周囲にいた全員が協力してくれましたよ。そうやって、少しずつ成長してきたんです。

 ダニの一学年上に、今、ヴァンフォーレ甲府にいる岡西宏祐がいたんです。彼もプロに行かせたかったので、使いながら育てていました。3年生までのダニは、岡西のサブでしたが、精神的に安定していましたね。フロンターレで鍛えてもらっている分、我慢してくれました。ただ、2年次の総理大臣杯ではダニをメインに起用して決勝まで行ったんです。そこで自信を持ったでしょうね。岡西とは切磋琢磨する関係でした」

撮影:筆者
撮影:筆者

シュミット「試合に出られない悔しさはもちろんありましたが、健さんの言葉通り、フロンターレや関東選抜など、自分にしか出来ない経験をさせてもらっていると感じていました」

佐藤健「でも、最後に何でベガルタ仙台に行くんだ? って話になったんですよ。フロンターレは『まぁ、ダニの地元だから行きたいだろうな。いいよ』って言ってくれたんです」

シュミット「でもあの時、選択肢はベガルタしか無かったですよ。フロンターレからのオファーは無かったです」

写真:YUTAKA/アフロスポーツ

佐藤健「いや、あったよ。言ったよ、俺」

シュミット「嘘だ。絶対に無いですよ」

佐藤健「本当だよ。フロンターレとどっちに行くんだ? て訊いたもの。そうしたら『ベガルタです』って答えたじゃないか」

シュミット「えーっ。絶対に言ってませんよ」

佐藤健「あれだけずっと練習に行って、強化指定にもなってさ、呼ばれない訳ないじゃん。俺は、嘘だろうって思ったもん。まぁ、仙台に入団したから海外に行きたくなったのかもしれないから、それはそれでいいけどさ」

シュミット「そうでしたっけ? まったく記憶に無いです(笑)」

撮影:筆者
撮影:筆者

佐藤健「まぁ、ここまでは順調というか、我々が思い描いたように育ってくれました。個人的な希望としては、ブンデスリーガかプレミアリーグでやってもらいたいですね。そこで、もう一つ上のランクの自分になって、代表でプレーしてほしいです」

シュミット「僕もそう思っています」

撮影:筆者
撮影:筆者

佐藤健「ダニは間違いなく40歳までプレー出来ます。もしかしたら、45までやれるかもしれません。だから、体もテクニックも鍛えられるところに行って、スケールの違うキーパーになってほしいですね」

シュミット「自分では、どのくらい伸びたかなんて分からないじゃないですか。大学時代と比較して客観視してくれる人なんて、健さんくらいしかいないし、改めて自信になったというか。それを確認するって大事ですよね。

 今日、中大の選手と日本代表の選手に大きな差は無いと感じました。皆、いいものを持っています。今後、自分が磨いてきた個を、どの環境でも出せるかどうかですね。それプラス、自分で目標を定めて、毎日向上心を持ってやれるかどうかが大事になってきます。

 僕も中大の選手たちに追いつかれないように、そして本気で目標だって思ってもらえるような選手になりたいです」

写真:YUTAKA/アフロスポーツ

 最後に、11月に開幕となるカタールW杯について質問した。

佐藤健「ワールドカップに行くっていうのは、サッカーマンとして最高の栄誉ですよね。プレッシャーも大変だと思いますが、選ばれた本人しか味わえないものです。そういうなかで1試合でも出場して、味わった経験を後輩や周囲に教えてもらいたいですね」

シュミット「ワールドカップは自分の目標として常にありましたし、そこに選ばれるというのは、サッカー人としてこれ以上ない喜びです。まずメンバーに入るために、毎日成長できるように、残りの数カ月を頑張りたいです。そのうえで、まだスタメンを奪うチャンスもあると思うので、健さんや中大の皆さんに誇りに感じてもらえるよう、努力を続けます」

写真:西村尚己/アフロスポーツ

 自身の出発点とも呼べる場所に立ち返ったシュミット。次の戦いで何を見せるか。カタールW杯でも活躍を期待したい。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

林壮一の最近の記事