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NBAの元スターを苦しめる銃撃事件

林壮一ノンフィクションライター
将来を嘱望されたロイだったが、ケガに泣かされた。(写真:ロイター/アフロ)

 私がNBA取材を始めた頃、ポートランド・トレイルブレイザーズのエースはブランドン・ロイだった。1984年生まれとレブロン・ジェームズと同じ35歳だが、6シーズンで現役を終えている。

 "KING"レブロンが超高校級選手として2003年にNBA入りしたのに対し、ロイは大学卒業まで地元・ワシントンでプレーした。当初、ロイも高卒ルーキーとしてNBA入りを夢みていた。しかし、プロになるのはまだ早いと判断。強豪大学で鍛えてからNBAプレーヤーとなる道を選ぶ。

 

撮影:著者
撮影:著者

 とはいえ、バスケ中心の生活を送っていたロイは、進学にあたって学業面でかなりの苦労を強いられる。アスリートとしての力量はワシントン大に認められていたが、大学進学する際に一般的な米国人高校生が受ける試験、「SAT」に4度チャレンジしなければ、同大学が定めた基準をクリア出来なかった。しかも、個人レッスンを受けながらである。如何せん、読解力が足りなかったのだ。

 ワシントン大のバスケットボール部に入るためのスコアを取れなければ、短大に行くか、あるいは競技者としての夢を諦めるか? という状況に立たされた。

 ”受験生”だったロイは、湾岸労働者として午前7時から働いた。時給は11ドル。一日のスタートは、汚物の臭いがきついコンテナを水洗いすることであった。雨に打たれ、寒さに凍え、悪臭に顔を歪める日々だった。

 ある日、ロイは年配の同僚から、こんな言葉を吐かれる。

 「兄ちゃん、大学に行けや。チャンスが拡がるぜ。こんな仕事を一生やっていたいとは思わないだろう?」

 この言葉を胸に刻んだロイは、何とかSATをクリアし、晴れてワシントン大に入学する。米国の大学は、いかにアスリートとして優れていても学業成績が悪いと競技を続けられない。成績不振者は、チームから登録を抹消される規則なのだ。NBAにアーリーエントリーする一部の選手には「もはやこの成績では、大学にいられないから」というタイプも見られる。

 入学前のブルーカラーワークで人生の悲哀を学んだロイは、授業も疎かにせず、大学での4年間で全米トップのシューティングガードに成長する。アーリーエントリーはせずに卒業まで大学でプレーし、2006年のドラフト1巡目6位指名をミネソタ・ティンバーウルブスから受ける。ドラフトと同時にトレイルブレイザーズにトレードされ、故郷の隣州にあるチーム~ポートランド・トレイルブレイザーズ~に入団した。

 NBAデビューは、当時、郷里にあったシアトル・ソニックス。堂々の20ポイントを挙げ、存在価値を見せ付ける。このシーズンは57試合に出場し、2試合を除いてスターティングメンバーに名を連ねた。そして、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。翌年からは3季連続でオールスターにも選出される。先日亡くなったコービー・ブライアントが、当時最も危険なライバルとして名を挙げた同じポジションの選手がロイであった。

 が、4シーズン目から故障に苦しめられる。当初は右膝だけだったが、やがて両膝に爆弾を抱え、思い通りのプレーが出来なくなる。6年目を迎える前に引退をアナウンス。1年の調整の後、2012年にティンバーウルブスで復帰を果たすが、膝は満足に回復せず、コートを去った。

撮影:著者
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 そのロイは現在、高校のコーチとして若きバスケットボール選手たちを指導中だ。2016-2017年度に、古里シアトルのナザンハーレ高校に請われ、コーチとしてのキャリアをスタート。元NBAオールスター選手による直接指導に心を躍らせ、7名の精鋭がナザンハーレ高に転校して来た。

 ロイの的確な教えは高校生プレーヤーをグングン伸ばし、同校は29戦全勝でワシントン州チャンピオンとなる。翌シーズン、ロイは母校・ガーフィールド高に移り、このチームも僅か1年で州王者に育て上げた。

 2シーズンにおける指導者ロイの戦績は57勝1敗。その手腕は高く評価され、他州からも彼の下でのプレーを冀う野心家が引っ越して来るようになった。

 NBAでもトップレベルだった技術とメンタルの強さを持ったこのコーチは、アスリートを育てる行為に加え、学業の重要さ、ケガで夢を絶たれた苦い思いを説く。ロイの言葉は、これ以上ないほどの説得力を持ち、高校生選手たちの誰もがその出会いに感謝した。

 しかし……ロイもまた、銃弾を浴びたのだ。ナザンハーレ高でのシーズンが佳境に入った2017年4月29日の21時30分頃、彼はLA郊外で甥や姪たちおよそ20名とバーベキューを楽しんでいた。

 そこに現れた2人の男が、何も言葉を発さずにロイを含めた4名に発砲。生命が断たれるレベルの傷ではなかったが、ロイは太股の裏側を撃たれた。

 事件から3年になろうとする今も、ロイは悪夢に魘され、汗びっしょりで目を覚ますことが度々あるという。犯人は未だに逮捕されていない。「あのまま死んでいてもおかしくなかった……」というトラウマを背負いながら、彼は生きている。

ケガが無ければ、ロイの背番号7が永久欠番となった可能性も…… 撮影:著者
ケガが無ければ、ロイの背番号7が永久欠番となった可能性も…… 撮影:著者

 2月23日、トレイルブレイザーズのホームゲームでは、ハーフタイムにアーティストがロイの絵をその場で書き上げるパフォーマンスを見せた。今でも、同アリーナであるモダ・センターにはロイのユニフォームを着たファンを度々見かける。

 ブランドン・ロイが平穏な暮らしを取り戻すことを、心から祈る。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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