Yahoo!ニュース

続編 NBA選手が射殺されて間もなく10年……

林壮一ノンフィクションライター
プロで活躍し始めた頃、ライトはどんな人生を思い描いていたのだろうか(写真:ロイター/アフロ)

 NBA選手として8年のキャリアの間に、クリーブランド・キャバリアーズ、フィラデルフィア・セブンティシクサーズ、ニュージャージー・ネッツでプレーしたロイ・ヒンソン。彼は若い選手たちの現状を嘆く。

 「NBA選手として大金を稼ぎ、注目されると、どうしても派手な生活を覚えてしまう。悲しいかな、引退後、60%の選手が5年以内に破産に追い込まれているんだ」

 2010年7月に射殺されたロレンゼン・ライトもジャラジャラとしたネックレス、ピカピカのブレスレット&時計に身を包み、豪邸、高級車購入と散財ぶりが目立った。NBA選手として、5500万ドルをコート上で稼ぎだしたとされる。しかし、現役選手だった2008年に、それらを差し押さえられている。

 私は別件で2度、ライトが殺害された土地、テネシー州メンフィスを訪れたことがある。1度目はエルビス・プレスリーの足跡を辿るため、2度目は統一世界ヘビー級タイトルマッチ、レノックス・ルイスvs.マイク・タイソン戦を取材するためであった。

 貧しいエリアでは、何人もが道端に座り込んでいた。レンタカーでそんな周辺を走るとマリファナと思しき臭いが鼻を衝いた。現地警察も、大規模なドラッグカルテルの存在を認め、それらの輩とライトが接触した可能性があると見ている。

 ある幹部警官は言う。

 「私が思うに、ライトがこのような形で殺害されたのは、一つのメッセージの可能性があるということです。ドラッグ売買で複雑な問題が生じたかもしれないし、ライトという金持ちの著名人が関わっていたから、見せしめの意味合いもあるのではないかと…」

 捜査上、まず疑われたのがライトの元妻であるシャラだった。13年間共に生活し、ライトとの間に6人の子供をもうけたが、2010年2月に離婚。シャラはアトランタに引っ越すが、ライトは子供に会うため、頻繁にメンフィスからアトランタに通っていた。

 明らかにされたのは、シャラが首謀者となって2人の男性と共にアトランタのシャラ宅でライト殺害を企てたことだ。しかし、未遂に終わったため、メンフィスの森で2度目の犯行に及んだ。シャラは2017年12月15日に元夫殺害の容疑で逮捕されたが、当初「ロレンゼンは7月18日の午後10時半に(遺体が発見される10日前)に、ドラッグと20万ドルのキャッシュを持って家を出て行った」と証言していた。

 シャラはライトが射殺される5カ月前、100万ドルの死亡保険を元夫にかけ、自分を受取人としたことも公になった。そのカネを得ると、32万ドル強の家を購入。ニューヨーク観光にも毎週のように行っていた。そして、ライト殺害を題材とした小説『Mr. Tell Me Anything』を上梓したのだから恐れ入る。

 10月26日の公判を控えるビリー・レイ・ターナーは、シャラが雇ったヒットマンだったのか、ドラッグカルテルの一員だったのか? 検察側は真実に近付こうとするであろう。が、米国の闇社会は[仲間を売った]と判断された瞬間、刑務所内でも抹殺されるのが不文律だ。ターナーが全てを述べるようには、とても思えない。

 ライトの父親は、ユニフォーム姿の息子の等身大ポスターを自宅に飾り、毎日声をかけている。母親は「私が生きている間に解決してほしい」と諦めたように語る。

 

 NBAの現場は煌びやかでファンに夢を与えるが、こういった末路の選手がいるのもまた事実である。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

林壮一の最近の記事