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池田監督が残した「爽やかさ」

林壮一ノンフィクションライター
市立浦和カラーに染まった駒場スタジアム。父兄の持つメガホンもオレンジだった

1月3日、第92回全国高校サッカー選手権大会3回戦。池田一義監督率いるさいたま市立浦和高校は、富山第一高校に2-3で敗れた。前半のロスタイムに入った頃、市立浦和高校は0-3でリードを許していた。

ボール支配率は圧倒的に富山第一だった。「攻めて勝つ」スタイルを掲げ、この日も速いテンポでボールを動かし相手を散らす策をとった市立浦和だが、セカンドボールの寄せ、プレスのかけ方には富山第一に一日の長がある。1対1の局面でも、身体の入れ方、そしてボディコンタクトの逞しさで富山第一が優っていた。

観客席のあちこちで、ため息が漏れる。この日、会場である浦和駒場スタジアムは7割以上が市立浦和のチームカラーであるオレンジ色に染まっていた。駒場スタジアムから、市立浦和高校は徒歩でおよそ10分。会場は市立浦和のホームと呼んでよかった。

バイタルエリアまでボールを繋いでも、シュートで終われない。右サイド後方から、容易にロングボールを放り込み、クリアされてしまう。それでも前半のロスタイム、トップの背番号8がネットを揺らし、1点を返した。

ハーフタイム。池田監督は4-3-3から3-4-1-2に布陣を変え、中央に厚みを持たせる。これがある程度まで功を奏し、後半は見違えるようにオレンジのイレブンがピッチを走る。

が、やはりフィニッシュに結びつかない。57分に背後からの浮き球を背番号6のMFが技ありボレーで決め、1点差とするのが精一杯だった。

試合後、池田監督は「ゴールを狙う、ボールを奪う、という点では、少なくとも県予選の頃より進歩してくれたと思います。ただ、攻めて勝つということに関しては、一歩及ばなかった。それが悔しいです」と振り返った。

彼は、こう繋げた。

「周囲の方々の期待を感じて、県代表としての誇りを持ち、責任感を覚えながら全国大会に向けて調整して来ました。1カ月で、それぞれが人間的に成長しました。こうした時間を持てたのは、彼らの頑張りによるものです。かけがえのない体験をこれからに活かしてほしいですね。スタンドで共に戦った下級生も『次は俺たちだ』と思っていたでしょうし、引き継がれていくことが財産になっていくと思います」

サッカー推薦で入学する選手が一人もいない同校のサッカーは、全国大会で「強い」とは形容できなかった。が、爽やかにピッチを駆け抜けていった。

客席で隣り合わせになったある選手の父は言った。「池田監督の下で息子にサッカーをやらせてやれて良かったです」

「攻めて勝つ」文武両道と人間教育。池田一義監督のチャレンジは、まだまだ続いていく。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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