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ノンフィクション作家・佐野眞一さん「お別れの会」での作家・宮部みゆきさんのスピーチと様々な議論

篠田博之月刊『創』編集長
お別れの会で最初に挨拶した吉岡忍さん(筆者撮影)

「佐野眞一さんお別れの会」に大勢が集まった

 2023年1月29日、出版クラブホールで「佐野眞一さんお別れの会」が開催された。2022年9月に他界したノンフィクション作家・佐野眞一さんを偲ぶ会だ。佐野さんといえば一時期、ベストセラーを何冊も出して、ノンフィクション界の頂点に昇りつめた感もあった人だ。  

 そもそもノンフィクションの世界は10万部を超えるベストセラーといった話と縁遠い世界なのだが、佐野さんは『東電OL殺人事件』や『あんぽん』などヒットを次々と放ち、大手出版社から引く手あまただった。ところがそういう絶頂期に、2012年に『週刊朝日』に連載を始めた「ハシシタ 奴の正体」が差別作品だとして1回で打ち切りになった。

展示された佐野さんの著作(筆者撮影)
展示された佐野さんの著作(筆者撮影)

 同時に、それまで業界では知られていた盗用の話が一気に噴き出し、佐野さんはノンフィクション界の頂点からどん底に一気に落とされたのだった。その後、佐野さんは小学館から『唐牛伝』を出版するなど、再起をはかっていたのだが、その道半ばにして2022年、病に倒れ、帰らぬ人となったのだった。

 その経緯については、ヤフーニュースの下記の記事に書いたので興味ある方はご覧いただきたい。月刊『創』(つくる)2022年12月号に書いたものだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d26f7a17df1d824790fe4e2ca807500762ac4cb5

佐野眞一さんの死去とノンフィクション界の現実  篠田博之

 佐野さんはそういういささか屈折した状況のまま亡くなったから、「お別れの会」といっても、果たしてどのくらいの人が集まるものかと思っていたが、ふたをあけてみると170人が集まり盛況で、会場はコロナ禍で大丈夫かと思えるような密の状態だった。

異色だった宮部みゆきさんのスピーチ

 その日スピーチを行ったのは、吉岡忍、重松清、野村進、青木理、髙山文彦、森達也、安田浩一、金平茂紀といった作家やジャーナリスト、佐野さんと同じく開高健ノンフィクション賞の選考委員だった田中優子さん、元文藝春秋の編集者、さらには大学などの友人などだった。

挨拶する田中優子さん(筆者撮影)
挨拶する田中優子さん(筆者撮影)

 異色だったのは作家の宮部みゆきさんで、会の案内にその名前を最初に見た時はどうしてこの人がと思ったが、実は宮部さんは佐野さんの高校の後輩で、同じく高校の先輩だったらしい元文藝春秋の半藤一利さんをまじえて何度か会っていたのだという。

〔注:この話を会場で聞いた時、私は半藤さんでなく「担当さん」と聞いてしまって、当初この記事で担当編集者と書いたが、関係者によると半藤さんとのこと。大変失礼しました〕

 宮部さんといえば大ベストセラー作家で、雲の上の人のようなイメージなのだが、高校の後輩として佐野さんについて語ったスピーチは謙虚な内容で、人柄を思わせるようなものだった。

 高校を出て働きながら作家になった宮部さんは、出版界は大学を出て文学などを学んできた人たちが多く、大学の先輩後輩の関係などを見て自分は羨ましいなと思ってきたが、半藤さんと佐野さんが高校の先輩だとわかって本当にうれしかった、と話した。ノンフィクション作家は事実と向き合う仕事で、たくさんの人の想いを背負うんだなと、自分にとっては恐ろしいような、羨ましいような存在で、先輩である佐野さんを格好いいなと思ってきた。その先輩二人がいなくなって、自分はひとりぼっちになってしまって悲しい、何で置いて行かれたのだろうと思った。物書きのいる天国に行くには自分はまだまだ修行が足りないと思っているが、もし天国に行った時には、ひとりになってもよく頑張ったねと言ってもらえるようになりたいと思う。そんな内容だった。

挨拶する宮部みゆきさん。その奥は髙山文彦さん(筆者撮影)
挨拶する宮部みゆきさん。その奥は髙山文彦さん(筆者撮影)

 その日、挨拶に立った人たちの間では、佐野さんの人柄や作品についての様々な感想も語られた。佐野さんの代表作と言えば『東電OL殺人事件』があげられるが、本当に佐野さんらしくて良いのは『遠いやまびこ』や『旅する巨人』だという批評も語られた。森達也さんは、『FAKE』という映画を撮った時、最初は佐野さんに佐村河内氏を取材してもらいそれを映画にするという企画を考え、本人に提案したが断られたというエピソードも披露された。

東電OL殺人事件での冤罪を晴らしたゴビンダさんもビデオメッセージ(筆者撮影)
東電OL殺人事件での冤罪を晴らしたゴビンダさんもビデオメッセージ(筆者撮影)

 途中、東電OL殺人事件での冤罪を晴らしたゴビンダさんもビデオメッセージを寄せた。ゴビンダさん自身もそうだし、その支援をずっとやっていた市民グループの間では、佐野さんはいまだに高く評価されている。

『東電OL殺人事件』については、大ベストセラーにはなったがノンフィクションライターの間では評価は分かれる。佐野さんの現実との関わり方や作品にあらわれた佐野さんの思い入れというか物語化のような事柄については、もっと議論がなされてもよいかもしれない。『あんぽん』も含めて、佐野さん流の物語化がなされた作品がノンフィクションとしては異例の売れ行きを示したというのは、佐野さんのノンフィクション手法を考えるうえで着眼すべき点だし、その後佐野さんへの批判が噴出した問題と通底しているような気がする。

 ちなみに佐野さんがその後、連続不審死事件の木嶋香苗について書いた『別海から来た女』も、佐野さん流の思い入れが強い作品だが、当の木嶋死刑囚に冷笑された。『あんぽん』の場合は孫正義氏が佐野さんの思い入れのようなものを受け入れて評価したことが本が売れることにつながったように思えるのだが、そういう佐野さんなりの手法についてはもっと議論されてよいかもしれない。

 

金平さんが言及した2013年の佐野さんの対応

 宮部みゆきさんの話ともうひとつ印象的だったのは金平茂紀さんのスピーチで、佐野さんが叩かれて大変だった時に、それにもかかわらずシンポジウムに出てきて、自分の思いを語ったのが今でも思い出されるというものだった。「普通はああいう時に逃げますよ、でも佐野さんは違っていた」という。

金平茂紀さん(筆者撮影)
金平茂紀さん(筆者撮影)

 確かに袋叩きにあっていた時期でも、佐野さんは取材依頼などから逃げようとはせず、それが自分の責任だというふうに受け止めていた。それは佐野さんらしいところだったと今にして思う。

 先にあげた記事を書いた時に、改めて当時を振り返って思うのは、当時月刊『創』に相当量掲載した関連記事を書籍にして残そうかと思っていたのだが、忙しくて頓挫したままだったのを何とかしたいという思いだった。当時どんな議論がなされ、佐野さんをめぐる問題とはどういうものだったのか、いまだに解明されずに終わってしまっているのだが、議論された内容だけでもアクセスできるようにしておくべきではと思った。

 このお別れ会では、金平さんだけでなく、髙山文彦さんも2013年に岩波ビルで行われたシンポジウムについて言及していた。髙山さんはそのシンポで、佐野さんを追及する側だったが、ふたりは親しい仕事仲間だった。

そのシンポの内容は『創』2013年4月号に収録したのだが、今回、髙山さんや金平さんのスピーチを聞いて、改めてヤフーニュース雑誌にて公開することにした。髙山さんと佐野さんの対論の後、会場での議論には、差別問題をずっと追っている角岡伸彦さんらも加わり、かなり踏み込んだやりとりがなされた。

 当時のこういう議論は、ある意味では決着がつけられぬままで、その意味でも佐野さんが2022年に突然亡くなってしまったのは残念でならない。

以下、『創』2013年4月号「『週刊朝日』連載中止と差別表現をめぐる大議論」の全文を公開したのでご覧いただきたい。

『週刊朝日』連載中止と差別表現をめぐる大議論  佐野眞一/髙山文彦/篠田博之

https://news.yahoo.co.jp/articles/4f8f36c06b7014bb4be419b1ef93202a07baf832

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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