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講談社元社員は本当に妻を殺したのかー被告の母親が語る残された子どもたちのこの6年間

篠田博之月刊『創』編集長
妻が亡くなっていた階段手すり(筆者撮影)

状況証拠だけで「妻殺し」を宣告

 妻を殺したという容疑で逮捕され、1審2審で有罪判決が出された講談社元編集局次長の朴鐘顕さんの裁判をめぐっては、これまでこのヤフーニュースで何度も疑問を呈してきた。決め手となる証拠はなく、状況証拠だけで検察側は、朴さんを「妻殺し」としてしまったのだが、残された子どもたちにとって、それは将来にわたって重たい十字架になりかねない。

 昨年、朴被告の母親の独占インタビューを公開したが、先頃、それに続いて母親に、この6年間、残された4人の子どもたちがどんな生活を送ってきて、獄中の父親との関係はどうなっているのか詳しく聞いた。ここにその主な部分を掲載しよう。

 その前に事件について簡単に説明しておくと、朴被告の妻・佳菜子さんが亡くなったのは2016年8月9日未明のことだ。法廷での朴さんの説明によると、生後10カ月の幼児を含む4人の子どもの子育てに追われて精神的に不安定になった妻が寝室で、幼児と一緒に自分も死ぬともみあいになり、朴さんは幼児を抱いて2階の子ども部屋に避難した。ドアを閉めて妻が入れなくした後、しばらくして静かになったと思ったら、階段の手すりに上着をまきつけて妻が首を吊っていたという。

 通報で警察官が駆け付けたが、当初、朴さんは、子どもたちに母親が自殺したと言いたくないと、妻が階段から落ちたことにしてほしいと話したという。しかし、それに警察官は不審の念を抱いたらしい。翌2017年1月10日、妻を殺したという容疑で、夫の朴さんが逮捕された。

 この事件については『創』のほか、『週刊朝日』そして今年4月20日にはNHKが『クロ―ズアップ現代』で取り上げた。それについて書いた記事は下記だ。

https://cms-byline.yahoo.co.jp/editor?article_id=00292557

講談社元社員の「妻殺し」とされる事件を報じたNHK「クロ現」の大きな反響

 現在は朴さんの母親に育てられている子どもたち4人はこの6年間をどんなふうに過ごし、今はどういう状況なのか、母親に率直に語っていただいた。

朴被告の母親が語る息子と子どもたちの交流

《息子の朴鐘顕への面会は、私は3週間か1カ月に1回くらいしていますが、子どもたちは学校もあるので春休みとかを利用して会いに行っています。昨年1月に2審の判決が出るまでは、息子も私たちも無罪になって息子が帰ってくると信じていたので、子どもたちの面会はしていなかったのです。拘置所の面会室で子どもたちに会うというのは親にとってもつらいことなので、家に戻ってから会おうと言っていたのです。

 でも2審も有罪だったので、その判決が出た後は、子どもたちも面会に行くようになりました。面会は一度に3人までなので、私のほかに2人の子どもを交互に連れて行っています。

 特に4人の子どもたちの末っ子にあたる二男は、事件当時まだ赤ちゃんでお父さんの顔を記憶していません。だから父親の顔を覚えてもらおうと、2審が終わった後、最初は多めに面会に行きました。

 その子が最初に父親に面会したのはまだ5歳の、去年の2月でしたが、「パパに会ったらきちんと挨拶するんだよ」と事前に私が教えておいたんです。そしたら、本人なりに一生懸命だったのでしょうね。行く途中の電車の中で、「こんにちは。お元気ですか」と10回くらい口ずさんでいました。

 だから面会室で最初の挨拶はできたんですが、うっかりして私が、帰る時にも挨拶すると教えておくのを忘れていたんですね。そのことに途中で気が付いたんですが、実際には本人なりにがんばって「元気でいてね。風邪をひかないように。コロナに感染しないようにね」と自分からお別れの挨拶を言っていました。

 その後も子どもたちは面会に行っていますが、二男は面会室でもよくしゃべるので、他の子と一緒だと他の子がしゃべる時間があまりないのですね。面会時間は20分です。だから二男については、この子だけ連れて面会に行ったことが何度かありました。

 今年はその子が6歳になり、小学校に入学したのですが、「パパは小学生の頃、どんな子だったの?」とか「駆けっこは速かったの?」とか、いつも父親を質問攻めにしています。

 春に面会に行った時には、拘置所の近くに咲いていたれんげ草を摘んで、「これをパパにプレゼントしたい」と持って行きました。でもそれを面会室に持って入るのはだめだと言われました。ただ聞いてみると、拘置所の売店に売っているお花なら差し入れできるということなので、今度の父の日にはお花を差し入れすることにしています。

 そういえば入学式の前後に面会した時も、あの子が「パパに見せるんだ」と言ってランドセルを背負っていったんです。それもだめと言われたので、ランドセルの中には何も入っていないからと見せて3回お願いしたのですが、やはり規則なのでダメですと言われました。しかたなく面会室に行く前にロッカーに入れて、父親にランドセルを見せることはできませんでした。

長女が金賞をとった習字は「強い信念」

 子どもたちはこの春、長女が中学3年で来年が高校受験です。その下の長男は中学に入学したのですが、本人の希望で区域の違う学校に通うことになりました。入学式の後の保護者会で私も自己紹介しましたら、後で別室で学年主任の先生と担任の先生が話す機会を作ってくださり、息子や子どものことを説明しました。

 下の2人の子が通う小学校でも保護者会があったので先生に説明しています。幸い、今のところ子どもたちは、学校で友人に親や事件のことを言われるといったことはないようです。父親が逮捕されて大きく報道された時には、学校の先生たちもピリピリしたようですが、それから何年もたって、今は先生もあまり思い出す機会がなくなったと言っています。

 私は4人の子どもを育てるのに手いっぱいで、子どもたちを連れてあちこち出かけるというのができていないこともあって、二男と二女には近所の空手教室に通わせています。いろいろな年齢の人が来ているので社会性を養うことにもなるし、大きな声で挨拶するので、それも良いと思いました。最初に行くようになったのは二男ですが、その後二男が5年生のお姉ちゃんを誘って、昨年秋からは2人で通っています。

 長女は以前から絵を描いたりするのが好きでしたが、中学ではイラスト部に入っています。小学生の頃から文京区の展示会に出品したり、交通安全のポスターを頼まれて描いたりしていました。去年は鎌倉への社会見学のしおりの表紙を任されて描いて、私にも「見て見て」と言って持ってきたし、父親にも面会室でアクリル板越しに見せていました。

 イラスト部の作品展も3月にあるのですが、今年は子どもたち全員を連れて見に行きました。長女の作品がいっぱい飾ってあって、後で「どうだった?」と聞くので「良かったよ」と言ってあげました。絵だけでなく、工作も得意だし、いま家に飾ってある「強い信念」という習字も冬休みの課題として提出したのですが、金賞をとったと言っていました。

 父親との面会ではマンガの話で盛り上がって、これが良かった、あれが良かったと話をしています。私はマンガについては聞いてもよくわからないのですが、父親が拘置所で読んで良かったというマンガを娘に送ってきたりもしています。

 マンガについては二女も面会に行った時、ウクライナでの戦争の話になって、私が『ひまわり』という映画を観た話を二女にしたという話をした後、息子が『戦争は女の顔をしていない』というマンガの話をしました。ノーベル賞作家の書いた本がマンガになってるんだよということで、「パパも読んだけど、家でも読んだ方がいい」と話したのです。そしたら二女が「それ知ってる。パパが送ってきた本の中に入ってた」と言って、家に帰ってから「ほらこれだよ」と持ってきてくれました。

 長女のイラスト部の活動は週に1回ですが、バスケットボール部にも入っていて、そちらは週に4回練習しています。長女は反抗期もほとんどなかったのですが、小学6年生から中学にかけてちょっとだけ難しい時期があったかもしれません。中学の入学式がコロナ禍で少し遅れたのですが、その時、長女から「中学校になったら参観日は来なくていいから」と言われました。ほかの子は若い母親や父親が来るのに自分だけはおばあちゃんが来るというのを少し気にしたらしいんです。その時私は冗談めかして「マスクしてるからわからないのでいいんじゃないの?」と言いました。

 でも今は受験を控えて、三者面談も来てほしいと言っています。この4月の私の誕生日の時も、「きょうおばあちゃんの誕生日なのと友だちに言ったら、おめでとうと言っておいてと言われたよ」と言ってくれました。その時に友だちに「おばあちゃんて何歳に見える?と聞いたら49歳に見えると言ってたよ」とも言うんです。私は、49歳はほめ過ぎだね、と言って笑ってしまいました。

 日本で一番長生きしていた119歳のおばあちゃんが亡くなったというニュースがテレビで流れた時、長女が「ハンメ(編集部注:祖母)も元気だからそのぐらい長生きできるよ。あと39年大丈夫だね。良かった」と言うので、私は心の中で「おばあちゃんがそばにいるから私たちは大丈夫だと思ってる、そう言いたいんでしょうね」と思って辛かったです。私は一生懸命健康管理して、長女がヤングケアラーにならないようにといつも思っています。

 NHKの『クローズアップ現代』で子どもたちの様子が放送されましたが、ディレクターとカメラマンと3人の方が半年間、頻繁に撮影に通ってくださって、子どもたちともゲームをしたりして打ち解けていました。子どもたちもNHKの人たちが来るのを楽しみにしていたし、恐らく子どもたちなりに、パパが早く帰ってこれるようにと思い、そのために役に立つならという気持ちだったのでしょうね。がんばって取材を受けている様子が伝わってきました。

 ただ、鐘顕の意向で子どもたちには事件当時から、テレビの報道は見せないことにしていました。今回放送された『クローズアップ現代』も見せていません。番組については、友人や甥っ子などから見たよと励ましの連絡がありました。

二女のおみくじは「待ち人、来たる」

 子どもたちは1日でも早く父親が帰ってくるのを願っています。今年1月4日に小学5年生の二女が神社でおみくじを引いたら大吉で「待ち人、来たる」と書いてあったんです。そしたら帰り道に二女が「待ち人、来たる」だから、「今年はパパが帰ってくるよね」と言っていました。「春頃かな、パパの誕生日には帰ってくるのかな」と言っていたのです。そのことを息子あての手紙に書いてあげたら、読みながら泣いてしまったと言っていました。 

 ふだんは母親の話は子どもたちがつらくなると思ってあまりしないのですが、1階の母親が使っていた部屋には祭壇を設け、ふだんは私がお花を活け、命日などには子どもたちがお花を飾ってみんなでお参りしています。母親の誕生日も4月だったのですが、今年は子どもたちに、4人でお金を出し合って自分たちでお花を買ってみたらと提案しました。そしたら誕生日と母の日に、200円ずつお金を出し合って花を買ってお参りしていました。

 そんなふうにいつも母親のことをお参りしていれば、どうして僕たちを置いて死んじゃったのというふうに思うこともないと思います。一番下の子はまだ事情がよくわからないかもしれませんが、大きくなったらわかってくれると思います。その二男は、小学校の参観日にも、周りの子は母親が来るのに自分はおばあちゃんが来るということについて、おばあちゃんはお母さんの代わりだねと言っていました。

 二男は卒園文集にも「やさしいおばあちゃん大好きです。大切に育ててくれてありがとうございます」と書いてくれました。また卒園式で先生への感謝状を読み上げたのですが、それを見ていて涙をこらえきれませんでした。鐘顕が、2018年3月の二女が卒園する時には出席できないかもしれないが二男が卒園する時には出席できると思っていたのを思い出して胸が締めつけられてしまいました。

 私も、1日も早く息子が帰ってきて、子どもたちと一緒に暮らしてほしいと思っています。今は鐘顕が子どもたちに接する機会は面会と手紙だけですが、手紙はよく送ってきます。子どもたち全員に宛てた手紙と一人ひとりに宛てた手紙を一緒に大きな封筒に入れて送ってくるのです。

 夕飯の後に「きょうはパパの手紙を読もう」と4人を集めて、テーブルで全員に宛てた手紙を私が読んできかせます。便箋10枚くらいですが、鐘顕は毎回テーマを決めて書いてきて、「パパ教室」と呼んでいます。「パパ教室の始まりー」という書き出しで、きょうはこの話をしようと書いてあるんです。

4人全員と一人ひとりに宛てた手紙

 末の子はまだ6歳と小さいので読んでいる間に口をはさんだりするのですが、あとの3人はじっと聞き耳をたてていて二男に「黙ってて!」と言うんです。

「パパ教室」は、例えば鐘顕がモンゴルに行った時の話とか、前回はシンデレラ姫の話を書いてきました。シンデレラ姫がいじめられて泣いている生活からカボチャの馬車に乗っていくわけですが、泣いているばかりでなくてそれをどうやって切り開いていくか考えなくてはいけないというんです。本当のシンデレラの話はそうやって切り開いていくものだったのに、童話が作られた時代の為政者が自分たちの言うことをみんなが聞いてくれるように、本当の話を切り離してしまったんだと書いてありました。そして最後に子どもたちに向かって「君たちも自分の頭で考えて好奇心を持っていろいろ考えて行動しないといけないよ」と言うんです。読んでいる私にも勉強になるような話でした。私もそう思いますが、嘆いてばかりでな くて打たれ強くならないといけないと鐘顕も考えたんでしょうね。

 その全員に宛てた手紙を私が読んだ後、子どもたち一人ひとりに宛てた手紙を渡します。そうすると子どもたちは、自分あての手紙が便箋何枚だったかすぐに数えるんですね。末の子は「前は僕だけ2枚だったのにきょうは4枚だ」と言って喜んでいました。以前は「なんで僕だけ2枚なの?」と言っていたのです。そしてみんなの前で自分の手紙を読み上げるんですね。その後、子どもたちは自分の手紙を子ども部屋に持って行ったりして読み返しているようです。

 そんなふうに子どもたちが少しずつ成長していくのを、時々いらっしゃる佳菜子さんの父親も見ています。前回来られた時は、「もったいない」と言っていました。こんなに子どもたちが大きくなっていくのを佳菜ちゃんも見たかったろうにというのです。子育ては大変だったろうけれど、その子どもたちがこんなに成長した姿を見れなくて残念だということでしょうね。もちろん子どもたちが成長していく姿をいつも見ている機会がないというのは鐘顕も同じで、1日でも早く帰ってきて、この6年間、子どもたちに接してあげられなかった分を取り戻してほしいと思います。》

ちなみに昨年、朴被告の母親にインタビューした記事は下記だ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20210707-00246844

また母親の話に出てくる父親からの手紙については最近の実際の手紙を下記で公開した。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20220612-00300456

元講談社「妻殺害」裁判被告が獄中から4人の子どもに送ったウクライナ戦争についての手紙

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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