Yahoo!ニュース

「死刑囚表現展2021」に展示された植松聖、加藤智大ら多くの死刑囚の作品が語るもの

篠田博之月刊『創』編集長
11月7日まで開催されている「死刑囚表現展2021」会場(写真は主催者提供)

 都内「松本治一郎記念会館」会議室で11月5~7日に開催されている「死刑囚表現展2021」に足を運んだ。6日と7日は土日で混むだろうからと開催初日に行ったのだが、会場はそう大きくない会議室であるため、既に大勢の人で混み合っていた。共同通信が紹介記事を配信したそうで、その影響もあったかもしれない。6・7日に行こうと思う人は混雑を予想して行った方が良いかもしれない。

https://news.yahoo.co.jp/articles/50370299757ae81ab32ddc92727af0c35a762540

45人死傷の相模原事件、植松死刑囚が描いた絵とは 「死刑囚表現展2021」、東京で5~7日

昨年来、植松死刑囚の作品が物議を…

 この表現展に大勢の人が詰めかけるようになったのは昨年からだ。昨年、死刑が確定したばかりの相模原障害者殺傷事件の植松聖死刑囚が作品を出展し、しかもそれが自分の主張をアピールした作品だったので、一部新聞が大きく報道。展覧会そのものへの批判も起きるなど物議をかもしたのだった。

 今年も植松死刑囚は幾つかの作品を出展して、別の意味で物議をかもしているのだが、その話の前に「死刑囚表現展」について紹介しよう。実は6日発売の月刊『創』(つくる)12月号に太田昌国さんの「1年で出展者4人が他界した『死刑囚表現展』が語るもの」という原稿を掲載している。

 太田さんはこの展覧会の運営にあたっている人で、選考にも関わっている。その太田さんが選考委員会での論議などを踏まえて、今年の「死刑囚表現展」に出展された主な作品の論評をしているのだ。

植松聖「(笑い)」(死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金提供)
植松聖「(笑い)」(死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金提供)

 表現展は今年でもう17回。毎年この時期に開催されているが、死刑囚の中には、この展覧会に出展するのを毎年楽しみにして常連になっている者も少なくない。秋葉原事件の加藤智大死刑囚や、埼玉愛犬家殺人事件の風間博子死刑囚、寝屋川事件の山田浩二死刑囚などがそうだ。和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚も今年は久々に出展した。そして昨年からは相模原事件の植松死刑囚が出展するようになり、前出の共同通信の配信記事でもやはり彼のことが大きく書かれている。

 太田さんが記事の中で書いているように「表現展の審査員は、今年一部交代があり、川村湊、北川フラム、香山リカ、太田昌国が留任、嶋田美子、中村一成が新任となった」。審査員の交代があったのだ。

 『創』もこの表現展についてはもう3年くらい、毎年太田さんの論評を掲載しているが、絵画やイラストについてはカラーグラビアも使って紹介している。ちなみに「死刑囚の表現展」は、絵画作品だけでなく、俳句や小説なども含まれており、死に直面した死刑囚の胸中が俳句や短歌でリアルに表現されている作品も多い。

 植松聖 死刑囚や加藤智大死刑囚の作品について太田さんが論評している部分を12月号から引用しよう。記事の小見出しは編集部がつけている。

植松聖死刑囚の「事件」と「表現」に横たわる溝

《植松聖は、挿絵入りの散文的な作品を寄せている。彼が実際に犯した事件の重大さがあるから、死刑確定以前には、彼の言葉を聞くために大勢のジャーナリストが面会に訪れたようだ。そのうちの一人なのであろう、女性記者の顔立ちを描いた挿画は達者な筆遣いだが、文章は何を言いたいのか、何を伝えたいのか、判然としない。女性記者に対する独特の「視線」も気になる。

 特定の人びとに対する、憎悪に満ちた重大な事件を引き起こしてから5年半、そして死刑の1審判決を受け、控訴せずして死刑が確定してから4年足らず――彼には、まだ、自らが為したことについて正面から振り返るだけの時間が足りていないのだろうか。彼が為した「事件」と、送られてくる「表現」との間に横たわる深い溝を思う。》

風間博子「壱の弐位置の参」(死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金提供)
風間博子「壱の弐位置の参」(死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金提供)

  風間博子の作品が湛える端正さは健在だ。色紙風に彩色された台紙のそれも、その上に書かれた俳句もその文字も、すべてにおいて――それだけに、突然現れる

うっせいわ 叫びたき日もこもり居て

 のような表現にビクッとする。末尾の「煩悩にまかせぶざまの極点/羅刹をまたぎまっとうに狂へ/百鬼に存しよごれて光れ/燐光をはなち死を屠れ」の4行とともに、作者の内面に潜む〈激しいこころ〉に触れたと思った。》

秋葉原事件・加藤死刑囚の〈自己内対話〉

 《加藤智大は「お弁当。」と題した400字詰め216枚の作品を寄せた。毎年連続的に応募してくる彼の表現に、私は彼の心境の微妙な変化を読み取ってきたが、本人からすれば、それは違うようだ。彼自身について、および引き起こした事件の理由について、外部からなされる報道や「識者」の間違った分析に基づいて解釈するから「変化」と見えるのであって、自分はもともとそうではない、と別な自画像を提示するのである。その叙述の過程で見えてくるものは、彼はすべてわかっているようだ、ということだ。

 自分が犯した事件の間違いについても、秋葉原「計画」の間違いについても、彼は自分自身に疑問を提起しては、読む側に考える時間を与えずに、的確に自答する。彼が持続してきたこの〈自己内対話〉が、同時に、出会うべき他者との対話を可能にしつつあるようだ。

 北村真美の、俳句・川柳19句の中では、「心にも鬼をかってた時がある」が心に残った。》

「加藤智大『お昼寝』14作の14  六ケ所村」(死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金提供)
「加藤智大『お昼寝』14作の14 六ケ所村」(死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金提供)

 かなり前の事件なので忘れてしまった人もいるかもしれないが、連合赤軍事件の坂口弘死刑囚の作品も出展されている。それについての太田さんの記述はこうだ。

《坂口弘の論考「足元を見つめる」は、作者が獄中で会得し実践している尿療法が、「コビッド19を制圧」し、「老いのない世界を出現」させるという展望を語っている。推定や仮定、限られた私的体験などに基づいて論議が次々と展開していくので、作者が最初に設定している前提に納得できるものがないと、読み進めるのが難しいと感じた。坂口弘はかつて短歌を詠んでいて、そこでは多くのすぐれた表現に出会ったことを思い出した。》

植松死刑囚が描いた女性記者のイラスト

 死刑囚表現展は毎年、10月10日の死刑廃止デー前後に開催されるフォーラム90の集会で内容紹介と講評が行われる。その会場では植松死刑囚の作品として観音像と女性の顔を描いたスケッチが紹介された。観音像は死刑確定前から植松死刑囚が描いていたもので、弊社刊『パンドラの箱は閉じられたのか』の表紙の観音像のイラストも彼が描いたものだ。そしてそれと別に彼は、女性の顔を描いていた。面会に訪れていた女性記者の顔だという。

 彼は文章でも出展しており、そこに女性記者について書いたくだりもあるようなのだが、太田さんは「女性記者の顔立ちを描いた挿画は達者な筆遣いだが、文章は何を言いたいのか、何を伝えたいのか、判然としない。女性記者に対する独特の『視線』も気になる」と論評している。

 3日間にわたって開催された「死刑囚表現展」は絵画作品が中心なため、その女性に対する植松死刑囚の「視線」を描いた文章は展示されていなかった。またイラストも2点か3点あるらしいのだが、大学ノートに書いたもので、表現展では、その現物のノートの1ページを展示しているため、他の女性イラストが見られない。

 実は植松死刑囚の女性への視線は、刑確定前から面会に訪れる人たちの間では話題になっていた。裁判中は連日、報道各社が朝8時過ぎに面会希望を提出し植松死刑囚本人がその中から選んだ3人だけが面会を許可された。いわば植松死刑囚は記者を選別していたわけだが、話題になっていたというのは、明らかに彼が女性を重視していたからだ。

 「表現展に植松が女性記者のイラストを出展し、その論評が選考委員の間で物議をかもしたらしい」と、『こんな夜更けにバナナかよ』作者のノンフィクションライター渡辺一史さんに話したらおおいに興味を持ったようで、「それは植松の人間像を解明するうえで重要ですよ」と言っていた。

来年1月からパリの美術館での展示も

 太田さんの『創』での論評では、林眞須美死刑囚や山田浩二死刑囚の作品についてのコメントもあり、ぜひ読んでほしいと思う。記事の末尾にはこう書かれている。

《今年の受賞者は以下のように決まった。

 石川恵子=努力賞、風間博子=継続賞、加藤智大=対話賞、何力=奮闘賞、金川一=好奇心賞、高尾康司=シュール賞、西口宗宏=本格志向賞、堀慶末=職人賞、麻酔切れ=新人賞。以上である。優秀賞はなかった。

 また、この1年を振り返ると、表現展に応募したことのある死刑囚が4人も亡くなった。いずれも拘置所内での病死である。高田和三郎88歳、野崎浩(いつも音音のペンネームでの応募だった)61歳、高橋義博71歳、高橋和利86歳の4人の方々である。それぞれに想い出深い作品を思い浮かべることができる。

 また、例年、たくさんの短歌・俳句作品を応募して、表現展の場を活性化させてきた響野湾子は、2019年8月2日、東京拘置所で死刑を執行された。先に触れたように、林眞須美が「ショウちゃん」と呼んで、励まし合いながら交流を続けていた人である。彼が遺した短歌6千余首の中から912首を選んだ歌集が『響野湾子短歌集 深海魚』として刊行された(インパクト出版会)。編者は、昨年まで審査員を務めた池田浩士である。俳句集も、まもなく、かちどき書房から刊行が予定されている。

 来年2022年の1月から12月まで、パリのハレサンピエール美術館で開かれるアウトサイダー・アート展では、日本から死刑囚14人の作品43点が展示される。死刑制度が未だに残る「先進国」=日本から出品される死刑囚の絵画作品を見て、死刑制度が存在しない社会のあり方に慣れた地域の人びとはどんな反応を示すだろうか。》

死刑囚の真情を吐露した作品も

 ちなみに昨年の表現展で植松死刑囚が自分の主張を書き並べたものを作品として出展したことに対して批判が寄せられたと前述したが、具体的にどんな批判がなされ、運営側がどう答えたか、そのやりとりを収録したフォーラム90の会報174号が会場で資料配布されていた。来場客が予想以上に多いと資料が足りなくならないか心配だが、入手できた人はそれもぜひ読んでほしい。『創』も死刑囚の手記を数多く掲載しているが、それはもちろん犯罪を犯した者の言い分を垂れ流すだけになってはいけないし、被害者の痛みを常に忘れてはいけないことは言うまでもない。

山田浩二「HELP ME!]((死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金提供)
山田浩二「HELP ME!]((死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金提供)

 評価や議論は当然あってしかるべきだが、それでもなお死刑囚が死と直面する中で表現したものを世に問い、それについて論評するということ自体はあってよいと思う。確定死刑囚が何を思い、どんな状況に置かれているかについては、かつてほとんど報道されることもなくタブーに覆われてきた。ぜひ「死刑囚の表現展」に足を運び、死刑囚や死刑制度について考えて欲しい。展覧会は絵画が中心だが、太田さんの『創』の原稿はむしろ俳句や短歌などの作品を中心に取り上げている。最後にその一部を引用して報告を終えることにしよう。

《西山には、2009年の第5回表現展への応募作品として、次の歌がある。

十六年ぶりにあう十八歳の娘、「なんで殺したん」と嗚咽する

 作者が逮捕された時はまだ幼なく、父親が起こした事件も、問われている罪も知らなかった娘が、長じて18歳になって初めて拘置所へ面会に来たときの情景をうたったものだろう。それからさらに12年が経ち、30歳になった娘との交流はどんなふうに続いているのだろうか。ふたつの歌の間にある12年の歳月は、父娘にとってそれぞれどんなものだったのだろう? わずかなりとも事情を知ったうえで、このような作品に接すると、なにかこみ上げてくるものがある。》

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

篠田博之の最近の記事