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間もなく接見禁止になる相模原事件・植松聖死刑囚にほぼ連日接見して訊いていること

篠田博之月刊『創』編集長
相模原事件の裁判が行われた横浜地裁(筆者撮影)

 2020年4月3日、朝一番で相模原障害者殺傷事件の植松聖死刑囚に接見した。3月31日に死刑が確定したので、いつ接見禁止になっても不思議ではない。それまでは頻繁に通うことになりそうだ。

 植松死刑囚に接見ができなくなるまでわずかの間に、確認したいことはたくさんある。彼がどういうプロセスを経て、重度障害者は生きている意味がないといった考えに至ったのか、彼がやまゆり園でのどういう体験からそう思うに至ったのか、あるいはまた、やまゆり園での体験の前に、彼の中にもともと差別的な考えが刷り込まれていたのかどうか。本当は裁判で解明すべきだったのにほとんど積み残しになった多くのテーマについて、できるだけ事実を掘り下げていきたいと思う。

 ここしばらく話題になっているのは、植松死刑囚の障害者への原体験ともいうべき、小学校、中学校を通じて同じ学年にいたという障害者の友人の話と、彼が小学校で書いていたという障害者を素材にした作文だ。これは裁判で明らかになったものだ。

間もなく始まる損害賠償の民事訴訟

 その話に入る前に、もうひとつ私が植松死刑囚と接見を重ねている事情を簡単に説明しておこう。彼は間もなく接見禁止がついて死刑確定者の処遇に移る。遠くない時期に刑場のある東京拘置所に移送されるはずだ。

 そしてその前に、相模原事件犠牲者遺族から訴えられている損害賠償の民事訴訟がある。刑事裁判が終結して民訴が本格的に動き出し、植松死刑囚は4月中に2件の訴えに対して、認めるのか争うのか意思表示をしないといけない。2件とはそれぞれ4400万円と7500万円の賠償請求だ。

 現時点では植松死刑囚は弁護人を立てずに対応する予定で、訴えの主張には反対しつつも償請求は認められることになると思われる。ただ彼はもう死刑が確定しており、多額の支払いは不可能だ。この民訴はそういう状況にあることを踏まえて進められる。

 

 実は植松死刑囚は、これまでも損害賠償について口にしたことがあった。1月8日の初公判で彼は謝罪のために小指を噛みちぎろうとしたのだが、その後の接見で、謝罪の仕方について面会室で議論した時に、彼の方からお金を払って謝罪することも考えているという話が出たのだった。それについては下記の記事で少し触れた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200114-00158929/

翌朝小指は噛みちぎったー相模原事件・植松聖被告が面会室で語った驚くべき話

 

 その時私が反対したのは、公判が始まったその時期に金銭補償の話を持ち出したら、情状酌量を狙った行為とみなされ、拒否されると思ったからだ。ただ、植松死刑囚の頭の中にそういう考えもあるのだなと認識した。

 いずれにせよ民訴はこの4月から動き出すが、そう時間がかからず決着すると思う。肝心の植松死刑囚と接見できなくなる恐れもあるのでどうなるかわからないが、もしわかったら改めて報告しよう。

接見禁止で事件の風化が加速する恐れも

 相模原事件についていえば、むしろ植松死刑囚が控訴取り下げで死刑を確定させ、このままだと事件の解明が終わってしまうことの方が大きな問題で、この間、植松死刑囚との間では、接見禁止についてどうすればよいかといった話が多かった。

 植松死刑囚も死刑は覚悟したものの、家族と弁護士以外いっさい面会も手紙のやりとりもできなくなることに対してはかなり危機意識を持っており、控訴取り下げをやめようかと思う瞬間もあったという。そのあたりの話は前回の記事に書いたとおりだ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200401-00170968/

「控訴取り下げには両親も反対した」相模原事件・植松聖死刑囚が面会室で語った

 植松死刑囚が世の中から姿を消してしまうことで事件が風化していくのは明らかで、それに対して果たしてどういう対抗策があるのか。接見で本人とも議論したし、知人の弁護士などにもこの間、いろいろ相談して意見を聞いた。

 ちなみに私は、連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚(既に執行)の死刑が確定し、一度接見禁止がついた後、東京拘置所に特別接見依頼を提出し、短い期間だけ認められたことがある。接見禁止がついて誰とも会えないと思っていた宮崎死刑囚は、私が許可を得て接見に行った時、面会室でかなり驚き、喜びの表情を顔に出した。いつもぼーっとして無表情だった宮崎死刑囚がただその一度だけ口元をほころばせたのを見て、私の方も驚いたものだ。

 植松死刑囚の確定後の処遇がどうなるかについては未確定の部分も多い。可能な範囲で今後もフォローしようと思う。

二度にわたる控訴取り下げという寝屋川事件

 死刑確定者の接見禁止などの処遇をめぐっては、ちょうど私が今、関わっている寝屋川中学生殺害事件の山田浩二被告の事例が参考になる。一度控訴を取り下げて死刑を確定させながら、それは間違いだったとして取り下げ無効の申し立てを行い、2019年12月に裁判所がそれを認めるという異例の展開なのだが、その争いの途中で2020年3月24日に再び本人が控訴取り下げの書類提出を行ったという前代未聞の展開になっている。興味ある方は下記の記事を参照いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200331-00170737/

寝屋川中学生殺害事件・山田浩二被告「再び控訴取り下げ」の背景事情

 さて植松死刑囚の死刑確定をめぐる話はそのくらいにしておこう。現時点では詳しく書けないことも多い。

植松死刑囚の障害者観はどうやって形成されたか

 もうひとつ紹介しておきたいのは、植松死刑囚の障害者観がどのようにして形成されたかという、極めて重要な話だ。

 判決後の会見でやまゆり園側もそれについては考えたいと言っていたし、遠くない時期に検証報告も公表されるはずだ。どの程度踏み込んだ報告が出てくるかわからないが、参考にはなると思う。この問題については、4月7日発売の月刊『創』5・6月合併号の座談会でも論点整理を行っている。

事件から1年後の津久井やまゆり園(筆者撮影)
事件から1年後の津久井やまゆり園(筆者撮影)

  

 植松被告の障害者観を形成したのは、もちろん津久井やまゆり園での体験と、もうひとつ本人が指摘するのは、小中学校時代、同じ学年にいた障害者の友人を毎日送り迎えしていた母親の疲れた悲しそうな表情だという。母親の疲れた表情というのは、やまゆり園での体験として法廷などでも語っている。

 それからもうひとつ裁判で飛び出したのは、植松死刑囚が小学校時代に障害者への差別意識を作文に書いて提出したことがあったというエピソードだ。もともとは取り調べで植松死刑囚から話したことらしい。

 自由課題で作文を書かされたことがあって、その時、植松少年は、戦争にあたって、敵をやっつけるために障害者に爆弾を背負わせて敵地に突っ込ませるという話を書いたらしい。彼の供述だと、その作文にはいつも書かれる担任教師のコメントがなかったので印象に残っているということらしい。これが裁判で立証の材料として提出されなかったのは、検察側もさすがに小学校時代というのでは、相模原事件に結び付けるのは無理と判断したのだろう。

植松死刑囚が小学校時代に書いた障害者に関わる作文 

 実はこの話を、植松死刑囚と同じ学校の同級生だった友人に話したところ、「それは差別というより、彼が調子に乗って書いたもので、確か担任の先生に叱られたと思う」と言っていた。

 そこで先頃接見した時に、植松死刑囚に、友人はこう言っていたよ、とぶつけたところ、最初は「いや、そんな事実はない」と答えた。しかし、今回の接見の時に、植松被告から再びその話が出て、「もしかすると自分の記憶がないのは、教師に言われたとしても納得できなかったからかもしれない」と語った。

 何しろ小学校時代の昔の話なので記憶が薄れるのは当然だ。しかもそのエピソードを、植松死刑囚の障害者観と単純に結びつけるのは、かなり無理がある。でも、植松死刑囚の小中学校時代、特に同学年の障害者について、彼がどんなふうに見て、どういう印象を残したかについてはもう少し掘り下げてみたい。

 残された時間は少ない。本質的な議論に踏み込めないで終わってしまった裁判で、残された課題はあまりに多い。植松死刑囚の死刑が確定してしまった現在、いろいろな話をぶつけて、彼の障害者観がどのようにして形成されていったのか、それを探る仕事は、時間との闘いだ。

 このヤフーニュースの私の記事は、植松被告の友人知人や事件関係者も見てくれていることが、わかってきた。彼の小学校中学校のことや、事件につながる事情などを知っている人がいたら、ぜひ情報を提供してほしい。植松死刑囚の両親から連絡があったりするとすごく嬉しいのだが、まあそれは簡単ではないだろう。

 記事中で言及した4月7日発売の月刊『創』には、植松死刑囚の最後になると思われる獄中手記や、2016年の事件直後に発足した厚労省の検証チームの委員でもあった精神科医の松本俊彦さんの、今回の相模原事件裁判に対する意見など、貴重な記録が掲載されるのでぜひご覧いただきたい。

https://www.tsukuru.co.jp/gekkan/2020/04/202056.html

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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