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相模原障害者殺傷事件・植松聖被告が、死刑判決でも控訴しないと書いてきた最近の手紙

篠田博之月刊『創』編集長
植松聖被告が「どんな判決でも控訴しない」と書いた手紙(筆者撮影)

 相模原障害者殺傷事件・植松聖被告との面会は1カ月に1回くらいだが、手紙は頻繁に届く。最近は、大麻についての絵本を出せないかと原稿とイラストを送ってきた。彼は大麻解禁論者だ。

 さて、彼の裁判は2020年1月8日から始まるが、本人も裁判のことはあれこれ考えているようで、最近の手紙では、どんな判決でも(といっても死刑判決になるだろうことは本人も覚悟してだが)控訴はしないと書いてきた。

 この記事の冒頭に掲げた手紙の写真は、まさにそれを書いたものだ。

 

《この間、とても御世話になった方が面会に来られ、多大な御迷惑を御掛けしたにも拘わらず「死ぬんじゃないぞ、俺達は味方だ」と笑いかけて頂きました。

 弱い自分が恥ずかしくなりました。私はどんな判決でも一審で裁判を終わりに致します。二審、三審と続くのは長過ぎると云うなら、実行すべきと考えました。これからも精進させていただきます。》

 死を覚悟したというわけだが、でも死刑判決の場合、弁護団は即日控訴するはずだし、それを植松被告が取り下げるのに私は反対だから、そうしないよう強く説得するつもりだ。死刑判決そのものは控訴しても変わらないと思うが、重要なのは、死刑が確定すると接見禁止となり、彼と社会とのつながりが全く絶たれてしまうことだ。

 この事件は、裁判をやったとしても全容解明は難しいと思う。釈然としない点が必ず残る。それについて本人に尋ねる機会が失われてしまっては、この事件の真相は永久に闇の中に閉ざされてしまう。

 今だって、植松被告が語る動機は一応の論理性を備えているとはいえ、なぜ障害者施設で働いていた者が突然あのような考えに至ったのか、さらに理屈で言うだけでなくそれをあんな残虐な形で実行に移し得たのか。そういうことを考えていくと、どう考えても理解できない「飛躍」がある。

 この事件の解明はとにかく少しずつでも長い時間をかけてやっていく必要がある。そのためには2020年1月から3月という審理で真相解明にふたをしてしまってはいけないと思う。

植松被告が面会室で語った、裁判のこと 

 さて、上記の手紙のほかにも、この間、私は植松被告に、裁判についてあれこれ尋ねている。その詳細な1問1答は、11月7日発売の月刊『創』(つくる)12月号に収録した。ここではその内容の一部を紹介しよう。事件の後、親が最初に面会に来た時にどんな話をしたかといった、興味深い内容だ。父親が今どういうことをしているかについての言及もあった。

――裁判については公判日程が発表されたので、君も聞いているよね。1月8日から3月までに相当な回数だけど。

植松 はい。

――どの回に被告人質問とか、そういう中身は聞いてないの?

植松 全く知りません。

――親が裁判に証人出廷するのは嫌だなあと言ってたよね。

植松 それは嫌ですね。できれば避けたい。

――裁判に出廷するかどうかとか、誰が証人になりそうだとかは弁護人から聞いてないの?

植松 全く知りません。ただ特別参加する人たちがいるというのは聞いています。

――裁判への特別参加制度だね。君は裁判では犠牲者の遺族に迷惑をかけたことを謝りたいと言っていたけれど、特別傍聴席に遺族たちが座るのでそこへ向けて謝罪するということかな。

植松 詳しい説明は聞いてないのでわかりません。

家族は4カ月に1回ほど面会に

――事件の後、親が最初に面会に来た時、どう言っていたの?

植松 元気かとか大変だったねとか、そんな感じのことを言ったように思います。

――あれだけの事件を起こしてしまった後だから、それについて非難するとか怒るとかいう状況ではなかったのかな。

植松 少し時間が経ってからでしたから。

――父親が事件の後、生徒たちの前で謝罪したという話が報道されていたけれど、もう父親は教壇に立ってないんだよね。

植松 体を動かす仕事をしていると聞きました。

――最近、君の父親が重い病気とも聞いたけど事実と違う?

植松 それはありません。

――家族は月に1回くらい面会に来ているの?

植松 今は4カ月に1回くらいですね。頻繁に来る必要はないし、私からそのくらいでいいと言いました。

――でも着替えとか差し入れはどうしているの?

植松 着ているものは拘置所で洗濯してもらえますから。

――じゃあ身の回りのことでは不自由はないわけね。自分のイラストや手紙をコピーしてもらうとかは誰に頼んでいるの? 先日はイラストを10枚コピーしてほしいと君に頼まれて、あのくらいならたやすいことだけど。

植松 やりとりしている記者や編集の人たちですね。

――以前送ってきた書画にりっぱな押印があったけど、あのハンコは誰に頼んだの?

植松 あれは手書きです。自分で描きました。

――え、そうなの? きれいにできてるのでそう思わず、てっきり親がやってくれているのかと思っていた。

 でも君は、家族の話はあまりしたがらないけれど、家族とは一定の距離を置こうとしているわけなの?

植松 別にそういうことではありません。

※書画に押されていた印鑑とはどういうものか、写真を掲げておこう。手書きというのには驚くほどよく描けている。

植松聖被告が描いた書画と押印(筆者撮影)
植松聖被告が描いた書画と押印(筆者撮影)

植松被告が手紙で「死」について書いた内容 

 最近、植松被告は「死」について口にすることが多い。それは彼の唱える「安楽死」の話ともつながっているのだが、最近の手紙でそれに言及したものを紹介しよう。

《「死は恐い」と御伝えしましたが、正しい言葉は「悲しい」かもしれません。この世界から居なくなるのは淋しいと思います。自死を選ぶには、それまで培った勇気をふりしぼる必要が有りそうです。》

《月1回、1本14万円の抗癌剤注射を打つ医師は「安楽死はいらない」と主張しますが、医療技術が発達し、命は自然の摂理ではなくなりました。個人の尊厳を考慮されるべき一つの死に方として、安楽死がなくてはおかしいと思います。

「自殺」と「自死」は、死を選ぶ点で同じでも、意味合いが違います。心底立派と思いますし、逃げるのではなく、戦うために死を選択しているのは、安楽死される方々の表情から一目瞭然と思いました。》

 この死についての言及の後の手紙で植松被告は冒頭に紹介した、控訴はしないという気持ちを書いてきたわけだ。恐らく彼は自分自身の死や死刑についていろいろ具体的に考え始めているのだろう。もともと死刑囚が長期間生きながらえている現状は税金の無駄だから早期に執行すべきだというのが彼の主張だから、自分自身の死刑判決についても考えているに違いない。人間の死や安楽死をめぐる問題は、彼の犯行とも直結するテーマだ。残された時間にできるだけ植松被告と議論していこうと思う。

 なお、植松被告の基本的な考え方がどういうものであるかについては、創出版刊『開けられたパンドラの箱』をぜひご覧いただきたい。事件から1年後より彼と数え切らないくらい接見を重ね、手紙のやりとりをしてまとめた本だ。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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