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控訴取り下げ死刑を確定させた寝屋川事件・山田浩二元被告が最後に書いた手記の中身

篠田博之月刊『創』編集長
山田浩二元被告が最後に書いた獄中手記

 5月18日、突然控訴を取り下げ、自ら死刑を確定させてしまった寝屋川中学生殺害事件の山田浩二元被告が5月23日に書いた獄中手記が28日、月刊『創』(つくる)編集部に届いた。なぜ控訴審がこれから始まるというタイミングで山田元被告が自ら死刑台へのボタンを押してしまったのか。その経緯が事細かに書かれている。

 6月7日発売の月刊『創』7月号に全文を掲載したので、ぜひ読んでほしい。ここではその長文にわたる手記の重要な部分を紹介することにしよう。

 18日の控訴取り下げは、結論から言えば、借りていたボールペンの返納をめぐって刑務官と口論になり、処分を匂わされる事態となり、パニックになってやってしまったというものだ。そしてその経緯の説明の後に、死刑が確定しての自分の心境が書かれており、その部分をここで引用することにしよう。

 これまでのこの間の経緯はヤフーニュースに順を追って書いてきたので、未読の方はそれを読んでほしい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190531-00128236/

寝屋川事件・山田浩二死刑囚が控訴取り下げの無効申し立てを行うに至った経緯

「物事の見境がつかないパニックに」

 私は彼が控訴を取り下げたというニュースに、5月23日に大阪拘置所に駆けつけ、2日にわたって接見した。1日目に本人の話を聞いて、そんなささいなトラブルで裁判を終結させてしまうのは、真相解明の途を塞ぐもので、裁判の趣旨を冒涜するものだと思い、弁護人を始め、いろいろなところに連絡を取り、24日に山田元被告とも話し合った。その結果、彼も控訴取り下げは後悔しており、取り下げ無効の申し立てをしようと決意。27日に弁護人が接見して手続きが行われることが決まったのだった。

 取り下げ無効の申し立て自体は弁護人によって30日に行われた。法律上は取り下げた時点で死刑の確定となるようで、それをこういう形で覆そうというのは異例のことだ。

 そういう状況下で山田元被告が書いた手記には、控訴取り下げに対する後悔の念、このまま死刑になってしまうのではないかという恐怖と、何とか裁判を継続してほしいという気持ちが交錯し、その内面の混乱が文章にそのまま現れている。「まだ死にたくない」「正直、すごく怖いです」といった心情も書かれている。

山田元被告が事件の前にSNSにアップした画像
山田元被告が事件の前にSNSにアップした画像

 一部を引用しよう。まず控訴を取り下げてしまったことへの激しい後悔の念の表明からだ。

《今考えると何故控訴を取り下げたのか、他にも解決方法があったはずですが、その時は損得も考えられず、誰にも相談出来ない程、物事の見境がない程パニックになっていました。

 その時に控訴を取り下げるという行動が、今後、自分の人生や命にどう影響するのか落ち着いて考えていたなら、今回このような獄中記を書くこともなかったでしょう。そのような考える余裕を持って行動することが、その時は全く出来なかった。》

《そして改めて今更ながら早まった判断、取り返しのつかない行動を取ってしまった自分が情けなく後悔と反省です。》

 接見の時に本人も言っていたが、彼は以前からこんなふうにパニックになってしまう時があって、寝屋川事件の時もそうだったという。

「死にたくない」「すごく怖い」 

 パニックになって控訴を取り下げてしまった後、冷静さを取り戻してからは死刑の恐怖も感じるようになったようだ。

《両親や知人友人、伊藤代表やGPの仲間にはこれまでお世話になった感謝の心や絆等の思いを伝えられないまま、また被害者遺族に対する心からの謝罪の思いも伝えられず、カトリック教会関係者や神父さんの人達に対するお祈りや感謝も伝えられぬまま、すべてが中途半端に最期を迎えそうです。

 処刑台の上に立つ時は、そんな感謝の思いや絆心を脳裏に浮かべます。正直に今を生きたい、生きて償いたい、生きて謝罪の思いを伝えたい、死にたくないという気持ちが一番です。生きてこその絆ですからね。まだ死にたくないです。

 今、正直、すごく怖いです。廊下から足音が聞こえる度にドキドキします。確定後は外部交通も制限されます。ひとりぼっちになりますけど、これが確定です。》

 5月23日の接見で、私から控訴取り下げの無効を求める申し立てができることを聞いたこともあって、一方ではこのまま死ぬわけにはいかないという思いも生まれてきたようだ。内面の葛藤も書かれている。

《くよくよしても仕方ないです。これまで築いてきた感謝の心、絆は確定後も私の心の中で育てて行きます。「心」の中ではひとりじゃないと信じて、残りの人生悔いなく生きます。刑が確定しても私の事忘れないで下さいね。いつか必ず戻ってきます。生きて戻ってくるのか、千の風になって戻ってくるのか約束は出来ませんが、このままでは終われない。

 控訴審で良い結果を出すのが今の私の目標です。私の死後に良い結果が出ても手遅れです。取りかえしがつきませんからね。なので今は死ぬ訳にはいきません。必ずいつか生きて戻ってくるから…その時が来るのを祈って欲しいです。信じて欲しいです。なのでさようならは言いたくないです。》

 控訴取り下げの手続きをしてしまった後で、いろいろな思いが脳裏を去来していることがわかる。手続き上は控訴取り下げが受理されたことで、死刑が確定し、28日からは外部との接見や手紙のやりとりも禁止された。これまではいろいろな人と手紙のやりとりを行うことで、気を強く持とうという思いも生まれていたのだが、接見禁止により外部との接触も絶たれてしまったわけだ。

異例の事例を裁判所がどう判断するか 

 さて控訴取り下げ無効の申し立て自体が異例のことだから、その結論が出るまでの間、接見禁止が解除されるのかそうでないのかも含め、わからないことだらけだ。

 私としては、過去に埼玉連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚がやはり死刑が確定した時期に、それまでの10年にわたる彼との交流の実績を踏まえて拘置所に特別接見許可願いを提出し、一時的に認められたことがあった。死刑確定で接見禁止が付いた後に、私が接見に訪れた時の宮崎死刑囚の驚き、喜ぶ表情は忘れられない。

 今回も可能な限りいろいろなことを試みてみるつもりだが、死刑確定者の処遇や、また今回のような異例の展開など、大阪高裁や大阪拘置所がどう判断してどう対処するのか、全く予想がつかないのが現実だ。

 今回のケースは、山田元被告の処遇がどうなるかという問題だけでなく、公判を開いて真相を究明するという裁判の意義についてどう考えるかも問われている。私としては、ボールペン1本をめぐるトラブルで裁判が開かれなくなるというのは、裁判の趣旨から考えても納得がいかないという思いだ。

 裁判所の冷静な判断を待ちたいと思う。

 この間、マスコミ報道で言及されているように、過去、控訴取り下げ無効の申し立てを行った有名な事例は2つあり、片方は棄却され、もう一方は認められて裁判が再開した。前者は私も関わった奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚のケースだが、どうして彼が一度取り下げたものを覆そうと考えたのか、近々詳細を紹介し、今回の件について考える材料を提供しようと思っている。

 なお山田元被告がこれまで『創』に書いた手記は2本あり、いずれも下記のヤフーニュース雑誌に公開している。特に1本目は昨年、死刑判決を受けた時の心情を書いたものだ。興味ある方は下記からアクセスしてほしい。

それについては、これまで『創』に掲載された2つの手記と、6月7日の号に掲載される手記を読んで考えてほしい。過去2つの手記は下記から読むことができる。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190521-00010000-tsukuru-soci

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190521-00010001-tsukuru-soci

※今回の手記を掲載した月刊『創』7月号の内容は下記を参照のこと

https://www.tsukuru.co.jp/gekkan/2019/06/20197.html#more

 

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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