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控訴取り下げ!寝屋川事件・山田浩二死刑囚の最近の手紙に揺れる心情が書かれていた!

篠田博之月刊『創』編集長
山田被告からの手紙(筆者撮影)

 私にとっては衝撃のニュースが飛び込んできた。大阪拘置所在監の寝屋川中学生殺害・山田浩二被告が、自ら控訴を取り下げ、1審の死刑判決を確定させたというのだ。

 東京拘置所だったらすぐに接見に駆けつけるところだが、大阪ではそうもいかない。つい最近まで、手紙のやりとりをし、控訴審に備えて私も裁判記録を読み込んでいたりしていたので、突然の控訴取り下げには衝撃を受けた。

 そして最近の手紙を読み返してみると、なかなか微妙な心情が書かれていたことに気が付いた。

 例えばこういう文面だ。

 《今こう見えて、かなり精神的に不安定なところもあって、気持ちは前向きですけど、時には凹んでしまったり、押したらアカンボタンを押したくてたまらない感覚? つまり控訴取り下げ手続きをして、死刑確定し、早く執行してもらって(自ら控訴を取り下げると執行時期が早まると聞いたことがあります)この淋しさや苦しさ悲しみ等から解放されて楽になるんじゃないかなぁ……もうすべてに絶望し過ぎて疲れたわ……と考えることだってあります。

 そんな弱音を吐くと、私を応援してくれる人達に怒られそうですけど、やっぱ、このような日々がずっと続いていると、ふとした瞬間ですけど、もうどうだっていいやっていう気持ちになります。この気持ちは実際、求刑や判決で極刑を宣告された人でしか判らない。》

 これに続いてさらに山田被告は、自分の揺れる気持ちをあれこれと書き綴っていた。しかし、まさか本当に控訴取り下げをやってしまうとは思わなかった。

 明後日にも会って真意を聞こうと、さきほど電報を打ったが、さて本当に接見できるかどうかわからない。というのも、今回とそっくりな体験を私は2006年、奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚(既に執行)との間でしていたからだ。

 今回の山田被告との違いと言えば、小林死刑囚の場合は、公判中から死刑を望み、控訴取り下げを頻繁に口にしていたから、私は何度も「それは絶対にやめてほしい」と説得していたことだ。小林死刑囚の気持ちは揺れ動いていたが、やはり今回の山田被告のように休日が続いた時に思い悩んだ末に取り下げを決意したようで、休み明けに手続きを行った。

 何しろ小林死刑囚がいたのは奈良で、仕事を片付けて2~3日後に駆け付けた時には、早朝、接見希望の列に並んだ私に刑務官が近づいてきて「今朝早く移送されました」と告げられたのだった。控訴取り下げの報に接した時も一瞬、めまいがしたが、奈良まで駆けつけて会えないとわかった時にも目の前が真っ暗になった。それ以来、小林死刑囚とは会えないまま、彼の死刑は執行されてしまったのだった。

 その2006年のことがまざまざと思い出されて、今回も私は気分が落ち込んだ。

 死刑確定というのは、本当に重たい現実だ。山田被告は、友人などが全く接見に来てくれないと淋しがっていたが、確定後は外界との交流が全く遮断される。その状況に果たして彼は耐えられるのだろうか。

 恐らく関西のマスコミは今回の事態を大きく報道するだろう。そこでこの間、月刊『創』に2号にわたって掲載した山田被告の獄中手記を参考に供するために、ヤフーニュース雑誌に全文公開することにした。実は山田被告からは次の号に載せてほしいと手記も届いていた。それらを含めて、彼の心情については今後も報告することにしよう。

 とりあえず既に掲載した2回分の手記は下記をご覧いただきたい。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190521-00010000-tsukuru-soci

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190521-00010001-tsukuru-soci

 今回の顛末については近々改めて報告しよう。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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