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波紋を広げた「佳子さま発言」は象徴天皇制をめぐる大事な問題を提起している

篠田博之月刊『創』編集長
写真は2015年一般参賀での眞子さまと佳子さま(写真:Motoo Naka/アフロ)

 2019年3月22日のICU卒業の日に出された佳子さまのコメントが波紋を広げている。姉の眞子さまの結婚延期問題についての宮内記者会の質問に、こう答えたのだ。

 「私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」

 多くのマスコミ報道ではカットされたが、その後にこうも述べていた。

「姉の件に限らず、以前から私が感じていたことですが、メディア等の情報を受け止める際に、情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています。今回の件を通して、情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています」

 これはなかなかすごい発言だ。小室家バッシングが吹き荒れる中で敢えてこう語るというのは、それなりの覚悟が必要だ。

 「情報を受け止める際に情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だ」というのは、この間の週刊誌の小室家バッシング報道の背後に、眞子さまと小室圭さんの結婚に反対する皇室関係者の思惑があるのではないかとほのめかしたものだろう。

『週刊新潮』『週刊文春』4月4日号(筆者撮影)
『週刊新潮』『週刊文春』4月4日号(筆者撮影)

 報道批判が含まれていたこともあってか、週刊誌の取り上げ方はいずれも佳子さまに批判的だった。典型は『週刊新潮』4月4日号「『佳子さま』炎上で問われる『秋篠宮家』の家庭教育」だ。 

 ネットで佳子さまの発言を非難している声を幾つも拾い上げ、こんな意見を紹介している。「一個人とは一般国民の立場においていう表現であり、皇室の方が使うべき表現ではありませんよね(中略)秋篠宮の御教育が間違っていませんか」。

 記事中で宮内庁関係者がこう語っている。「これは取りも直さず、ご両親への“宣戦布告”といっても過言ではありません」。

 『週刊文春』4月4日号も「奔放プリンセス佳子さまの乱 全内幕」という見出し。「姉妹でタッグを組み、ご両親に反旗を翻したともいえる」と書いている。

 『女性自身』や『女性セブン』も同様のトーンだ。『女性自身』4月9日号は「佳子さま『自由な恋愛結婚を!』姉妹共闘宣言へ『涙の苦言』」という見出しの脇に「美智子さま戦慄!」と書かれている。

 これまで眞子さま結婚問題についての週刊誌報道を見てきて、いつも疑問を感じるのは、週刊誌が一色となって結婚反対の論陣を張っていることだ。今回の件でも、週刊誌はあたかも国民の声を代弁しているかのような書き方だ。でも、実際には異なる意見の市民も多いはずだ。

 この議論、実は象徴天皇制をめぐるなかなか本質的な問題を提起している。佳子さまの「結婚においては当人の気持ちが重要」「一個人としての希望がかなう形になってほしい」というのは、戦後教育を受けてきた者なら当たり前の認識だ。一方でそれに反対する「一個人とは一般国民の立場においていう表現であり、皇室の方が使うべき表現ではありません」という見方も、皇室をめぐる日本人の気持ちかもしれない。

 眞子さまの結婚をめぐる一連の騒動は、「結婚においては当事者個人の気持ちが大事」という個人主義と、皇室については一市民と異なり家系にこだわるのは当然という「家」を重んじる考え方との相克だったと言える。皇室の伝統を重んじる立場からすれば、母子家庭で借金まで抱えた小室家は皇室と関わるのにふさわしくない、という見方が、結婚反対の論拠となる。結婚が当事者の意思にそってなされるべきというのは、一個人なら当然だが、皇室は別だという考え方だ。

 考えて見れば雅子妃の適応障害問題も同様だった。キャリアウーマンとして育ってきた雅子妃が、皇室に入ったとたんに、「跡継ぎを産むのが最大の務め」という皇室の伝統的考えとの軋轢を感じ、それが長く続くことによって変調をもたらした。眞子さまも、このままの状態が長く続いたり、結婚が破談になったりした場合は、自分自身が否定されたという思いがトラウマになっていく可能性はある。

 そもそも雅子妃も眞子さまも佳子さまも大学教育を受けており、男女平等や個人主義の思想を持っていて当然だ。それと皇室の伝統との折り合いをつけながら生きて行かねばならないのだが、その軋轢や相克が高じていくと、自己を否定されたようなトラウマを当然抱えることになる。

 ことに雅子妃のような悲劇が続くと、今後、皇室に嫁ぐ女性を見つけるのが極めて困難になる。だから雅子妃と眞子さまの問題は、象徴天皇制という曖昧なシステムに起こるべくして起きた問題といえる。宮内庁や皇室伝統を重んじる保守派は、象徴天皇制存続の為に良かれと思ってふるまっているのだろうが、それは危険な諸刃の刃と言える。

 もうひとつ考えるべきことは、皇室報道を毎週のように続けている週刊誌が、小室家バッシングという一色に染まっていることだ。これは恐らく、情報源となっている宮内庁関係者や皇族の一部に週刊誌全体が依拠しているためだろう。取材する者の心情は、どうしても取材源に引っ張られる。

 眞子さま結婚延期騒動当初は『女性セブン』が、他誌と反対の論陣を張ったりもしていたのだが、いつのまにか一色のキャンペーンに飲み込まれていった。

 眞子さま結婚延期騒動は、象徴天皇制が歴史の流れとどう折り合いをつけていくべきかという、なかなか本質的な問題を提起しているのだが、同時に報道のあり方をめぐる問題も提起している。昭和天皇の時代まで顕著だった「皇室タブー」は、一見すると過去のものになったかのように思われているが、報道がある種の呪縛に囚われているという意味では、本質は変わっていないようにも思えるのだ。

 眞子さま結婚延期騒動、今後どうなっていくのだろうか。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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