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相模原障害者殺傷事件・植松聖被告が獄中で描いた漫画と気になる事柄

篠田博之月刊『創』編集長
植松被告が描いた自筆漫画(『創』4月号より)

 3月7日発売の月刊『創』4月号に、前号に続いて相模原障害者殺傷事件・植松聖被告が獄中で描いた自筆漫画の後半を掲載した。上に掲げたのがその1カットだ。彼の母親はプロの漫画家なのだが、その影響なのか、その暴力性も含めて迫力ある絵だ。彼の絵は獄中で練習を重ねているうちに如実にうまくなっているように見える。青い表紙の獄中ノートに描かれているのだが、ノートの罫線がそのまま残っているところも獄中で描いたというリアリティを感じさせる。

 『創』に2号に分けて掲載したものだけで30ページ近いストーリー漫画で、もともとノートに描かれたものはその倍近くある作品だ。一昨年、津久井やまゆり園に侵入して19人の障害者を惨殺した植松被告だが、その犯行動機となった世界観を描いたのがこの漫画だ。現物はぜひ『創』をご覧いただきたいと思う。

 そしてもうひとつ紹介したいのが、植松被告が2月下旬に手紙に書いてきた「ゴキブリ」という短文だ。2月に面会した時に私が「季節を感じることはないの?」と尋ねたところ、昨年の春に運動場で桜の花びらが落ちていたのを見ただけだと彼は答えた。房内に虫が入ってくることはないのかとさらに尋ねると、今まで見かけたのはクモとゴキブリだという。そしてそのやりとりを受けて書いてきたのが、以下に紹介する話だ。直接的にはゴキブリの話だが、その奥には明らかにあの事件とつながる彼の思いが反映されている。以下、そのまま紹介しよう。

《5月のはじめに1匹のゴキブリが出ました。うわっ嫌だなーと尻込みながら武器を探していると、1つの疑問が芽生えました。それは彼を殺す理由です。

 たしかにカサカサうるさく耳障りですし、色々な所を這い廻るので不衛生です。ただ、その時は獄中生活を1年近く過ごした寂しさからか、殺すまで酷いことをしているとは思えませんでした。

 心の無い者は人を殺しますが、ゴキブリは人を殺しません。真のサバイバルを生き抜く彼に敬意すら抱き、私はゴキブリを見逃し送ることにしました。

 新しい価値観をもつことができたと自画自賛しますが、1週間ほど後に、またゴキブリが出ました。

 もちろん私は素早く不規則に動くゴキブリが大嫌いですが、1度逃がしたからには殺すわけにもいかず、げんなりしていると、ゴキブリは2匹いるのです!

 しばらく考え、私は2匹のゴキブリを叩き潰しました。1匹殺すと、残りの1匹は固まっていたのですが、それは家族か友人、恋人だったんでしょうね。

 彼らと意思の疎通がとれていたら、殺すことはなかっただろうと感じています。》

 この文章を読んで、え?と思ったのは最後の1行だ。もしかしたら、これは障害者を19人も殺害した植松被告の今の思いを書いているのではないか、と思った。というのも、彼とのつきあいはもう半年に及ぶのだが、何となく植松被告が少しずつ変わっていっているのではないかと思うことがあるからだ。

 彼は昨年夏頃から私を含め、マスコミ関係者や、障害者施設関係者、津久井やまゆり園の元職員など多くの人と接するようになった。それはたぶん、彼がこれまで接してこなかった、あるいは接点はあったとしてもあまり交流することのなかった人たちだと思う。マスコミ関係者に薦められて『アンネの日記』を読んだり、いろいろな本に挑戦してもいる(最近は某マスコミの記者が進めた哲学者カントの本を読んでいるというから、おいおいそれはちょっと飛躍では、と思ったが)。

 ただ、薦められた本をとりあえず読んでみようとする、そのあたりについては、植松被告は頑なではなく柔軟だ。もちろん自分の「障害者安楽死」説は曲げないのだが、彼の人生でそれまで会わなかったような人たちと接することで、少し世界が広がっている印象を受けるのだ。

 これは他の事件でも感じたことがあって、例えば土浦無差別殺傷事件の金川真大死刑囚(既に執行)と接していた時もそうだった。彼はずっと高校以来、引きこもりのような生活を送っていて、自分が死ぬことへの妄想に捉われ、多くの人を殺害して死刑になりたいと思うに至るのだが、実際に死刑が確定するまでの間、実に精力的に記者との接見に応じた。彼の人生で、たぶんそれまで交わることのなかった人たちと連日、話し、議論するようになったのだ。

 自ら死を覚悟して事件を起こしたわけだから、その覚悟というか思いこみは全く変わることはなかったのだが、そんなふうに他人と話す機会が増え、しかもそれまで話したこともない人たちと話すことから、金川死刑囚は何かを吸収しているように見えた。もともと彼は頭が悪くない青年で、死にたいという思いも、ある種哲学的につきつめていった結果だから、たぶんそんなふうにいろいろな他人と議論する機会がもっと早く訪れていたら、妄想の果てに無差別殺傷事件など起こさなくてすんだのではないのかと思う。

 さて、植松被告も、『創』に掲載した漫画を見ると、当初彼が語っていたような閉鎖的な見方だけでない、少し違った一面が垣間見える気がする。2回に分けて掲載した漫画の前半には、妄想めいた障害者観だけでない、人間に対する絶望というようなある種の世界観が感じられる。どちらも絶望感だから、あまり救いにはならないのだが、ただ私にはその少しだけの変化が気になるのだ。

 植松被告は間もなく弁護側が申請した精神鑑定を受けることが決まっている。既に彼は一度鑑定を受けて責任能力ありとの診断が出されているのだが、この事件は裁判員裁判になることが明らかで、争点となるようなことは事前にきっちり詰めておこうということで二度目の鑑定がなされるわけだ。

 障害者差別や精神医療と犯罪といった、戦後、タブーとされてきた事柄をパンドラの箱を開けるように明るみに出したこの事件、果たして今後、解明はどこまでなされるのだろうか。

 ちなみに前の面会の時に彼と話した「季節を感じることはあるの?」という話は、面会室に現れた植松被告の格好を見て思いついたことだ。年末辺りから彼は黒のダウンジャケットを着て面会室に現れるようになったのだが、独居房においても普段からその恰好をしているという。なぜならば彼がいる拘置所は冷暖房がきいていないのだ。

 東京拘置所は冷暖房完備で、「黒子のバスケ」脅迫事件の元被告など「ホテルのような快適さ」だと言っていたが、日本の多くの塀の中はまだ冷暖房がなく、猛暑と極寒に苦しめられる。まさに望まない形で季節を感じることになるのだが、それ以外に植松被告自身が「色のない生活」と表現する単純な毎日の繰り返しの中で、果たして雪や桜といった季節を感じるものがどの程度彼の周囲に形をなしているのか聞いたのが先の質問だ。

 首都圏が大雪に見舞われた時も、聞いてみると窓の外は見えないため、そんなに大雪だったことはラジオのニュースで知ったという。たぶんその生活は、面会に訪れる人がいなければ、事件を見つめ、思索を重ねることからむしろ遠ざかっていく生活に思えてならない。家族と弁護人以外の面会に応じなかった宮崎勤死刑囚(既に執行)は(私とは最高裁判決の後から面会するようになったが)、独房生活の中で、だんだん暑さ寒さも喜怒哀楽も感じなくなってきたと言っていた。

 相模原事件を解明するためには、当事者である植松被告と外界とが関りを持つことが必要だ。障害者やその関係者に話を聞くと、いまだにあの事件の恐怖は一時も忘れられないと言う。一方で社会全体としては少しずつ風化が感じられるのだが、決して風化させてはならない事件だと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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