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3月1日、東京高裁にて始まった「九条俳句」訴訟が提起する大事な問題

篠田博之月刊『創』編集長
高裁前でシュプレヒコールをあげる市民応援団(以下も含め撮影筆者)

 2018年3月1日、東京高裁において、さいたま「九条俳句」訴訟の口頭弁論が行われた。一番大きい101号法廷が使われたのだが、傍聴席はほぼ満席だった。昨年10月にさいたま地裁で1審判決が出るまで、原告を応援してきた地元の「市民応援団」が大勢、傍聴に訪れたからだ。

「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」

という俳句が地元の句会で詠まれたのは2014年、ちょうど安倍政権が集団的自衛権の閣議決定を行った年だった。そうした政権の動きを「忖度」したさいたま市の職員が、いつも載せていた「公民館だより」にその句を載せられないと掲載拒否。それに納得できない句会の当事者や市民が、異議申し立てを行い、ついに2015年6月に裁判が起こされたのだった。

 1審のさいたま地裁は原告の主張を認めて、市側の措置を不当と批判。市側が控訴したことで原告側も控訴。この3月1日の高裁での審理に至ったわけだ。

 地裁判決の意味や、それに至る経緯については『創』2017年12月号にレポートを書いた。それをさきほどヤフーニュース雑誌に全文公開したので、ぜひご覧いただきたい。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180301-00010000-tsukuru-soci

 ひとつの街の市民の句会から始まったこの問題は、東京新聞や埼玉新聞が積極的に報道することで全国的な関心を呼んでいった。

 同時に、この裁判が注目されているのは、安倍政権のもとで、行政による「忖度」で同じような事態が各地で起きているからだ。平和を守れとか、憲法を守れという、本来なら公務員が当然尊重すべきことがらが、今は政権批判とみられるのではないかと行政が萎縮し、集会に会場を貸さないとか、刊行物から文言を削除するとか、各地でそういう事例が頻発しているという。さいたま市で起きたことはまさに氷山の一角なのであった。

 裁判の資料などは、「九条俳句」市民応援団のサイトにアップされているのでぜひご覧いただきたい。

http://9jo-haiku.com/

 戦後70年、定着してきた憲法を否定する政治家が長期にわたって絶対的権力を握るという、国家のあり方としては異常な状況が続く間に、政権に批判的な言論の自由や集会結社の自由は、抑え込まれ、萎縮せざるをえない状況に置かれている。各地でそれに対して市民や住民が異議申し立てを行い、裁判に訴えるといった事態がいろいろなところで起きているのが実情だ。

 さる1月31日、私が属する日本ペンクラブで「『忖度』が奪う表現の自由」というシンポジウムが開催され、私がコーディネイターを務めた。直接的には、香山リカさんの行政主催の講演会が脅迫電話によって中止させられたという事件をきっかけにこのシンポジウムが行われ、パネリストとして香山さんのほかに上野千鶴子さんをお呼びし、会長を務める吉岡忍さんらと議論したのだが、この「九条俳句」訴訟についても原告女性が会場から発言し、弁護団事務局長の久保田和志弁護士がパネリストを務めた。

1月31日の日本ペンクラブのシンポジウム
1月31日の日本ペンクラブのシンポジウム

 当日は会場もまじえていろいろな議論が行われ、その一端はペンクラブのホームページに紹介されている。浅田次郎前会長も会場から発言し、自身の講演会が中国で突然中止になった体験を披露した。

http://japanpen.or.jp/

 本日3月1日の高裁の法廷では、原告女性が意見陳述を読み上げ、弁護人がパワポを使いながら、裁判で何が問われているかを説明した。その中でも、市民の表現の自由が侵害される事例が各地で頻発しており、今回の裁判でそれについての規範を示してほしいと訴えた。

 裁判は次回、5月18日の弁論で判決の言い渡しが行われる。司法は、憲法の最後の砦といわれるが、裁判所が政権に忖度して司法判断を曲げるようなことはあってはならないし、それは民主主義の死滅を意味する。近年の裁判所のあり方には様々な疑問も指摘されているが、5月18日に納得のいくような判決が示されることを期待したい。

 以下、法廷で本人によって述べられた原告女性の意見陳述全文を掲載しよう。

自分の俳句を掲げる原告女性
自分の俳句を掲げる原告女性

原告女性の意見陳述

《私は、「九条俳句」訴訟の原告として、昨年10月13日、さいたま地裁より勝訴判決を受けました。判決は、「さいたま市が九条俳句を原告の思想や信条を理由にして掲載しないという不公正な取扱いをしたことが違法である」と認め、慰謝料の支払いを命じました。さいたま市の違法性が公に認められたことは、本当に良かったと思いました。

 しかし、一方で公民館だよりに「九条俳句」の掲載請求は棄却されました。このことは、納得できません。

 私たちは、この判決を受けて、早速、さいたま市に対して、違法状態を解消するために、「九条俳句」を速やかに公民館だよりに掲載すること、また、違法・不公正の再発防止の具体策をとることを求め、この2点が約束できれば、控訴はしないと申し入れました。

 この問題が発生してから、3年4カ月、提訴してからは2年4カ月過ぎましたが、私にとっては、とても重く長い時間でした。高齢者の私には、健康や体力の面でも不安があります。さいたま市が、2点の申し入れに応ずるのであれば、それでいい、この勝訴を以って終りにしたいと思いました。

 しかし、さいたま市は、こちらの申し入れを拒否したばかりか、判決を不服として、早々に控訴すると表明しました。私たちは、今回の判決をもとに話しあいでの解決を求めていましたが、市民と向き合おうとしない市にそれも閉ざされてしまいました。

 さいたま市は、判決で指摘された不公正・違法性を全く反省することなく、三年前と同じ主張を繰返していますが、市がなぜ控訴しなければならないのか、私にはわかりません。この裁判で市は何も学ぶことはなかったのでしょうか。一度言い出したことは、たとえ間違っていても正そうとしない頑な姿勢、市民の意見をまともに聞こうとしない姿勢は、市民を蔑ろにしているとしか思えません。

これでは、控訴するしかありません。

 私にとって俳句は、人生の終盤を心豊かに生きて行くためのささやかな楽しみです。自分が作った一句が、仲間の共感を得られ、公民館だよりに掲載されることは大きな喜びです。また頑張ろうと意欲が湧いてきます。

 公民館だよりに、不掲載を決めた時、公民館の職員は、句会の活動や作者の思いを少しでも考えたのでしょうか。

 私は、この裁判の中で、公民館の歴史や役割について、はじめて知りました。市は、文化芸術を理解し、市民の自由な活動を守り、育てる本来の公民館にして欲しいです。

「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」

 この句は、公民館だよりに掲載句として提出してから、3年8カ月も放置されています。一日も早く公民館だよりへ掲載することを求めます。

 幼い頃、戦争体験のある私は、戦後ずっと平和に暮らせてきたのは、平和憲法9条のおかげと思っています。戦禍の中から父や母の世代が平和を願って大事にしてきたものを、私も子どもや孫たちに、しっかり引き継いで行かなくてはならないと思っています。

 自由にものが言える、自由に表現できるという当たり前のことが、当り前に守られるように、判決をどうぞよろしくお願い申し上げます》

 先日他界した俳句界の重鎮・金子兜太さんが東京新聞で「平和の俳句」という連載の選者を務めるようになったのも、この「九条俳句」問題がきっかけだった。その金子さんはもちろん裁判で原告を支援し、こんなコメントを寄せていた。

「今、日本を戦争にもっていこうとする政治家は、生活する人びとの姿が見えていない。政治の傲慢、役人の怠慢に対して市民が動く時代になることに期待したい」

 口頭弁論終了後の午後に、近くの会場で集会が開かれたのだが、そこには自分も同じような体験を今している、として同様に表現が削除された経験を訴える女性や、自分は治安維持法が成立した年に生まれたが、当時の社会が萎縮していく状況と今はよく似ている、と訴える高齢の女性もいた。

 今年は自民党の改憲案が上程されるといわれる。まさに日本は今、大きな分岐点に立たされている。そうしたなかで「九条俳句」訴訟がどういう経過をたどるかは、大きな意味を持っていると思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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