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和歌山カレー事件・林眞須美死刑囚の再審請求棄却決定に思うこと

篠田博之月刊『創』編集長
林眞須美死刑囚から届いた手紙の封筒

1998年に発生した和歌山カレー事件で死刑判決が確定している林眞須美死刑囚の再審請求が2017年3月29日、和歌山地裁によって棄却された。もう20年近く前の事件なので、林眞須美さんが冤罪を主張して再審請求していたことさえ知らなかった人もいるかもしれない。眞須美さんは当然、大阪高裁に即時抗告するだろうから、再審の戦いはこれからも続くことになる。

私は事件のあった1998年の9月初めに弁護士事務所で眞須美さんに会ってから、何度も林家を訪ね、控訴審で彼女の接見禁止が解除されてからも何度も大阪拘置所に面会に通った。恐らくきょうも眞須美さんは勝負服の真紅の衣服で決定を待ったのだろうが、高裁でも最高裁でも判決の日に着るからと頼まれて私が真紅のワンピースやトレーナーを差し入れていた。死刑確定後は面会できていないが、眞須美さんからの手紙は届いている。

考えてみれば、私自身、和歌山カレー事件とはもう20年近く関わっていることになる。先日は久々に携帯電話で林健治さんと話したし、最近、TBS系のニュースに登場している眞須美さんの長男は、98年、最初に林家を訪れた時、2階から缶ジュースを持ってきてくれたのを覚えている。当時はまだ小学生だったが、暑い日だったので眞須美さんは息子に持ってこさせた缶ジュースを出してくれた。その時、「大丈夫、ヒ素は入ってないから」と冗談を言われ、そのジョークをどう返してよいか一瞬困惑したのを覚えている。

和歌山カレー事件については、眞須美さんが夫に保険金を掛けてヒ素を入れていたなどという捜査側のリークに基づく大々的な「毒婦」キャンペーンがなされたことで(実際は健治さんも納得したうえで保険金詐欺をしていたわけで、眞須美さんの夫殺しという検察の筋書きは誤りだったことが実証されている)、もう眞須美さんが犯人に間違いないと思っている人が多いのだが、実は彼女を有罪とする論拠は相当脆弱だ。もともと状況証拠で有罪を宣告した事件だし、検察が根拠とした目撃証言も、スプリング8という科学装置を使ったヒ素鑑定も、反証されてボロボロになっているのが実情だ。

ではそれにもかかわらず、再審請求が棄却されたのはなぜかといえば、やはり一度死刑が確定したものをひっくり返すには、相当のことが求められるということだろう。例えばスプリング8によるヒ素鑑定など、京大の河合潤教授によってほとんど論破されているのだが、それが1審の段階で提示されていれば判決に影響を及ぼした可能性は大だが、一度死刑が確定した後での再審となると、相当ハードルが高くなる。足利事件や東電OL殺害事件のように、新たなDNA鑑定で、犯人でないことが明らかになったといった積極的な新証拠がないと再審の門はなかなか開かれないのが現実だ。

今の安田好弘弁護士率いる弁護団は、最高裁の段階から弁護についたのだが、よくやっていると思う。通常、最高裁というのは憲法判断を行う場で、新たな証拠調べなどは行わないのだが、安田弁護団は現地調査を行ったり、河合教授に働きかけたりして、次々と新たな証拠を裁判所に提出。有罪の根拠となった検察側の主張を次々論破してきた。また再審請求にあたっても河合教授と協力してヒ素鑑定の問題点を次々と暴きだした。しかし、今日の決定で改めてわかったのは、有罪となった論拠を崩すだけでなく、新たな無罪証拠を提示しないと再審開始は難しいということだ。それだけ再審の扉は重いと言わざるをえない。弁護団の提示した証拠によって、有罪判決は相当ゆらいでいるのだが、再審開始はそれだけでは難しいということだろう。

ただ眞須美さんが犯人であることは疑いないと思っている人に申し上げておきたいのは、当時の検察が示した論拠は今となってはぼろぼろとなっているということだ。いや実は、1審判決で動機がわからないと言明されているのを始め、有罪の根拠は最初から相当脆弱だった。その脆弱さを補って有罪の決め手となったのが、スプリング8という最新鋭の装置による「犯行に使われたヒ素と林家のヒ素が同一だ」とする鑑定だった。これがなければ有罪認定も困難を極めたと思う。

ところがその後の河合教授らの調査によって、その絶対と思われた科学鑑定がゆらいでいる。例えば仮に犯行現場のヒ素と林家のヒ素が同じヒ素に由来するものだとしても、それは和歌山市内の他の場所からも検出されていた。当時ヒ素は地元でシロアリ駆除などに使われ、中国から輸入された同じヒ素が市内に散在していた。仮にそれが林家にあったとしても、他の人のところにもあったわけだから、普通に考えれば眞須美さんが犯人だという決め手にはならないはずだ。さらに河合教授は成分を詳しく分析して、犯行現場と林家から押収されたヒ素が同一だとの点についてもいろいろな疑問を投げかけている。

つまり98年のヒ素鑑定は、眞須美さんが有罪だとする証拠を何とかしてほしいという検察側の焦りによって、かなり拙速に行われた可能性が大きいのだ。足利事件の菅家さんを有罪としたDNA鑑定も、当時は最新科学に基づく決定的証拠と思われたのだが、後になって相当ずさんだったことが明らかになった。科学の進歩によって、むしろ菅家さんの無罪が立証されたのだった。菅家さんの場合は、死刑判決でなかったので、取り返しのつかない事態に陥ることはなかったのだが、死刑囚の場合は、執行されてしまったら終わりで、真相は闇に葬られたままとなる。

それゆえ、脆弱な論拠によって死刑判決をくだすことには慎重であらねばならない。私が眞須美さんの死刑判決に反対している理由はその点だ。

ここで注目してほしいのは、眞須美さんを何としてでも起訴に持ち込みたいと1998年当時、検察がどんなに苦心していたかという現実だ。そのいきさつを示す証言を、実は検察側の鑑定にあたった中井教授が書いていた。私が先ごろヤフー雑誌に公開したヒ素鑑定をめぐる記事から一部を引用しよう。

《もともと和歌山カレー事件については、林眞須美さんは否認したままで、物証も全くないから、公判維持は困難が予想された。98年10月4日の逮捕は保険金詐欺容疑で、カレー事件で眞須美さんが逮捕されたのは12月9日、起訴されたのは12月29日だった。中井教授自身、論文で経緯をこう語っている。

「和歌山地方検察庁は、このような状況では容疑者を起訴できなかったので、放射光の力を期待して筆者に鑑定を依頼した」「本鑑定は、1998年12月初めに和歌山地方検察庁に分析を依頼され、2週間で結果を出してほしいというものであった」(「和歌山毒カレー事件の法科学鑑定における放射光X線分析の役割」より)

このままでは眞須美さんを年内に起訴できないと焦った検察庁が、12月初めになって、「2週間で結果を出してほしい」と中井教授に鑑定を依頼。中井教授はスプリング8という最新鋭の道具を使ってヒ素の同一性を示し、眞須美さんが年末に起訴されたというわけだ。河合教授が指摘したように、ヒ素の同一性について十分な検証がなされていないのは、中井鑑定が「2週間で結果を出してほしい」という依頼のもとになされたからなのかもしれない。当時は、スプリング8が世界で初めて、事件解明に寄与したとして、この鑑定結果は大きなニュースとなった。》

つまり、1998年の10月に眞須美さんを保険金詐欺で逮捕し、カレー事件での自供を迫ったものの、意に反して真須美さんが完全黙秘したため、検察は年末になっても、このままではカレー事件について起訴できずに年を越してしまうという焦りに追い込まれていたのだ。そこで決め手としてスプリング8という最新鋭の科学装置に賭けた。眞須美さんが起訴されたのは何と12月29日である。仔細に検討すると、相当無理なことが行われたことは明らかだ。恐らく裁判官も、最新鋭の科学装置で有罪を示す鑑定結果が出たと言われれば、それに相当判断をひっぱられたに違いない。ところがその科学鑑定が、死刑判決確定後、かなりずさんだったことが次々と露呈していった。

眞須美さんは、否認していたために逮捕から7年間も接見禁止となり、私が再び会えたのは2005年のことだった。その3月に接見禁止が解除された時、眞須美さんが最初に助けてくださいと手紙を書いたのは三浦和義さんだった。私のところへもすぐに手紙が届いたのだが、なぜ彼女が三浦さんにすがったかといえば、いわゆるロス疑惑事件で三浦さんに無罪判決が出たことが彼女を力づけていたからだ。あれだけマスコミの報道で犯人視されていた三浦さんが無罪になったという事実は、眞須美さんを相当勇気づけた。三浦さんの無罪は「疑わしきは罰せず」という判断によるものだが、当時はまだ世論に逆らってでも法に従ってそういう判決を出す裁判官が存在したわけだ。

だから和歌山カレー事件が状況証拠だけで検察の論拠が極めて脆弱なことに鑑みれば、ロス疑惑事件裁判の前例が踏襲されれば、十分無罪になった可能性もあったと思われる。しかし、実際には重罰化の流れが進み、世論や国家秩序を無視した判決を出すのは難しくなっていた(最近でいえばそういう例は、元オウムの菊地直子さんを無罪とした高裁判決で、これもすごいと思ったが)。こうして和歌山カレー事件は、動機不明のまま死刑判決がくだされたのだった。

今回の棄却決定を見ると、再審の扉はまだ相当重いといわざるをえない。眞須美さんは確かに気丈な人なのだが、一方でナーバスで神経質なところもある。やはり落ち込んだに違いない。私は死刑囚と何人もつきあいがあるが、眞須美さんに顕著なのは、死刑に対する恐怖を常に抱いていることだ。確定死刑囚は確かに、いつ執行されるかわからない恐怖にさらされるのだが、それを常時考えていると拘禁ノイローゼにかかってしまうので、あまり考えないようにしている人もいる。でも眞須美さんは、大阪拘置所で死刑執行があるたびに、ナーバスになっていた。

袴田事件や名張毒ブドウ酒事件のように、どう見ても冤罪なのが明らかなケースでさえ、なかなか再審の扉は重い。確定判決というのはそのくらいの重さを持っているわけだ。和歌山カレー事件についても眞須美さんや弁護団の訴えが裁判所を動かす事態が今後訪れるのかどうか、見守っていかなければならない。

1998年10月4日に両親がいきなり逮捕され、児童養護施設に収容された子どもたちもこの19年、本当に大変な人生を送ってきている。私は逮捕前日の10月3日に眞須美さんと電話で話したが、逮捕された4日は長男の小学校の運動会で、応援に行きたいと彼女は語っていた。

今回、眞須美さんの長男を顔を伏せてテレビに登場させたTBS/毎日放送は、子どもがマスコミ取材に応じるのはこれが初めてとスクープ性を強調していたが、実は家族は眞須美さんの支援集会には以前よく登壇して、マスコミが大勢いる前で、逮捕当日の家の中がどうだったかなど証言していた(映像撮影は禁止だったが)。そうした子どもたちの話の中で印象的だったのは、両親の逮捕後、養護施設に預けられた子どもたちが、ある時、施設を脱走して両親が勾留されているとされた警察署前へ行き、「お父さん、お母さんを返せ」と叫んだというエピソードだ。この19年間は、家族にとっても重たい歳月だったに違いない。眞須美さん本人の獄中からの手紙や、家族の思いなどは、私が編集した『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』(創出版刊)に掲載されているので関心ある人は読んでほしい。

被害者遺族もきょうの決定についてマスコミでコメントしていたが、多くの死者を出した事件だけに、遺族の心情も穏やかではないだろう。死刑事件の重さを改めて感じざるをえない。

なお眞須美さんの死刑確定後の手記と、ヒ素鑑定をめぐる河合教授のインタビューをヤフー雑誌に公開している。関心ある方は読んでいただきたい。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170325-00010000-tsukuru-soci&p=4

死刑確定後も無実への思いは変わらない 林眞須美

また今回の再審請求の大きな争点といえるヒ素鑑定については、下記の記事にわかりやすくまとめてある。これも参照してほしい。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170325-00010001-tsukuru-pol

死刑判決支えたヒ素鑑定に大きな疑問(1)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170325-00010002-tsukuru-soci

死刑判決支えたヒ素鑑定に大きな疑問(2)

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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