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神戸児童殺傷事件「元少年A」が週刊誌に送った手紙でわかったこと

篠田博之月刊『創』編集長
元少年Aからの手紙を報じた週刊誌

神戸児童殺傷事件の元少年Aが『週刊文春』『週刊新潮』『女性セブン』に送った手紙が大きく報じられ、そこで言及された彼が立ち上げたホームページ「存在の耐えられない透明さ」とともに話題になっている。彼が週刊誌に送った手紙には、『絶歌』出版の経緯が詳細に書かれており、どのような意図で最初に幻冬舎の見城徹社長に企画を持ち込んだかなど、なかなか興味深い。いろいろ感じたこともあるので、ここに書き留めておこうと思う。ちなみに元少年Aが立ち上げたホームページはこれだ。

http://www.sonzainotaerarenaitomeisa.biz/

ホームページ全体の感想は措くとして、そのなかのレビューというページで彼が佐川一政さんについて書いている記述はなかなか見事だ。前に私がこのブログで佐川さんと元少年Aの置かれた状況の類似性について書いたが、元少年Aもそういうことをよく理解しつつ、客観的な視点で佐川さんの状況についても論評している。

ちなみに、たぶん彼は知らないと思うので書いておくと、佐川さんが最初の本『霧の中』で書いた体験を書き直して角川書店から1990年に『サンテ』を上梓した時、間をとりもったのは私で、持ち込んだ相手は、当時角川書店にいた見城徹・幻冬舎社長だ。何か今回の『絶歌』をめぐる経緯と因縁を感じないこともない。

佐川さんは当時、連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚の公判で、殺害した幼女の遺体を解体して骨を食べたといったショッキングな話が出てきたことに触発されて、彼自身のパリでの事件における人肉嗜食(カニバリズム)についてのなかなかすぐれた考察を『創』に執筆したりしていた。

さて、今回、元少年Aが週刊誌3誌と一部新聞社にも送ったと言われるA4用紙20枚にも及ぶ手紙だが、ひとつにはその中で自分のホームページ開設の告知を行いたいという思いもあったようだが、内容の大半は『絶歌』出版の経緯と、見城さんへの批判のようだ。2012年に彼が見城さんに最初に出した手紙やその返事などが全文収録されているため長文になったらしい。その手紙の一部は週刊誌でも紹介されているが、『絶歌』出版を当初、彼がどんなふうに考えていたかがわかって興味深い。

《私には四十歳までに何としても実現したい具体的なヴィジョンがあります。そのために、この息苦しい「普通の羊」の着ぐるみを脱ぎ捨て、9年ものあいだ封じ込めていた“異端の本性”を呼び覚まし、精神をトップギアに入れ、命を加速させ、脇目もふらずに死に物狂いで「一番肝心な」三十代を疾走してやろうと決めたのです》

『絶歌』については出版直後からもっぱら彼が「反省していない」「謝罪が足りない」という観点からのみ取り上げられ、非難の嵐が起きていくのだが、彼の執筆意図はそれとは違っていたわけだ。そしてその「異端の本性」を呼び覚ます本を世に問うための同志として見城さんを選んだというわけだ。確かに、見城さんは常日頃から“異端”を世に問うのが自分の務めだ、といったことを口にしているから、元少年Aが期待したのも無理はない。

その後の経緯については詳しくは週刊誌記事を読んでいただきたいが、結論的に言えば、元少年Aは見城さんに裏切られたとして激しく怒っているらしい。週刊誌に一部引用されている見城批判はかなり激しいものだ。

《出版後、世間からの批難が殺到すると、見城氏は態度を豹変させ、靴に付いた泥を拭うように、僕との接点を“汚点”と見做して否定しました》

《彼(見城氏)にとって“少年A”は「自分に箔を付けるための物珍しい奇怪なアクセサリー」だったのでしょう。(中略)見城さん、この僕の悔しさ、惨めさがあなたにわかりますか?》

《この2カ月余りというもの、僕は悲嘆に暮れていました。僕を使い捨てのオモチャだとでも思っているのでしょうか。相手はまともに物が言える人間ではない、だから棄てるも傷付けるも自分たちの自由だ、とでも》

周知のように元少年Aと2年間にわたるやりとりの末に、見城さんは幻冬舎からの出版は無理と判断し、今年に入ってから太田出版の岡社長を紹介。そこから短期間で『絶歌』は太田出版から刊行された。その経緯について見城さんは『週刊文春』6月25日号のインタビューに応えて詳細を語っていたのだが、元少年Aに言わせると、それは事実と異なるという。出版直前まで見城さんとはメールのやりとりをし、見本も渡していた。それなのに、そういう関わりをなかったかのように見城さんが説明していたことに、彼は裏切られたと思ったらしい。

そして見城さんに対する激しい怒りを表明した手紙を週刊誌に送りつけるとともに、ホームページを立ち上げ、今後はそこで発信をしていくと宣言している。マスメディアに依拠して自分のメッセージを発信する場合には、絶えず「反省」「謝罪」を迫られ、それができているかどうかという観点からのみ問題にされるのだが、自分の発信媒体を持つことで、そういう制約を断ち切ろうと考えたのだろう。

実際、彼のホームページを見ると、全裸の自撮り写真やナメクジの写真など、これまで彼に対して「反省が足りない」と責めたててきた人たちが仰天しかねないものが掲載されており、それを紹介した週刊誌にも「ついに酒鬼薔薇聖斗の正体を見た!」(週刊文春9月17日号)「酒鬼薔薇聖斗は矯正などされていない!」(女性セブン9月24日号)などの文句が躍っている。

元少年Aの今回の手紙は全文掲載されてはいないが、報道されている範囲で見れば、自分が世間からバッシングを受けていることも認識しているし、たぶんそういう自分が置かれた現状のなかで、次にどう対処していくか考えてもいるように思う。

その答えの一端がホームページなのだろうが、今回週刊誌で紹介された彼の最初の見城さんへの手紙を見ると、元少年Aの考えていることは、ある意味で一貫しているのかもしれない。

自分の犯した罪への向き合い方が不十分であるという印象は否めないが、バッシングの中で言われているように何も反省しておらず何も考えていない、というのも少し違うように思う。彼がいったい自分の過去とどう向きあおうと考えているのか、ホームページ上でもよいので、ぜひその気持ちを表明していってほしいと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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