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“失敗した指導者”から「ベトナムのヒディンク」へ。森保ジャパンに挑むパク・ハンソ監督の正体

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
(写真:松尾/アフロスポーツ)

本日行われるカタールW杯アジア最終予選。森保一監督率いる日本代表は敵地ハノイでベトナム代表と対戦するが、ベトナム代表を率いるのは韓国人のパク・ハンソ監督だ。その人柄とベトナム代表監督で何をしたのかなどをここで改めて紹介したい。

今でこそ「ベトナムのヒディンク」(韓国メディア)と呼ばれるパク・ハンソ監督だが、選手時代は地味だった。

ヒディンク4強神話の隠れた助演者

生まれは1957年。実業団の第一銀行サッカー部を経て、1983年にスタートしたKリーグに合わせて誕生したラッキー金星(=クムソン/現在のFCソウルの前身)でプレー。Kリーグ・ベストイレブンに選ばれたこともあったが、韓国代表歴は1回のみ。それも1981年3月の日韓定期戦での交代出場だけだった。

そんな彼が最初に大きなスポットライトを浴びたのが2002年ワールドカップ。ベスト4進出の快挙を成し遂げた韓国代表フース・ヒディンク監督を補佐する韓国人首席コーチ(チームには3人の韓国人コーチがいた)を務め、「ヒディングを支えた韓国人コーチ」「4強神話の隠れた助演者」として一躍、時の人となった。

筆者もこの2002年W杯前後に多くの取材で話を聞いた。

初めてじっくり話を聞いたのは代表コーチ就任直後の2000年3月。ソウル市内の高級レストランでヒディンクとともにコーチとして韓国代表に加わった故ピム・ファーベック氏と同席した会食取材だったのが、「私は慶尚道(キョンサンド)の田舎者だから、洋食は苦手なんだよ」とテーブルマナーに苦戦しながら、一緒に苦笑いをしたものだった。

このエピソードでもわかる通り、庶民的で憎めない存在だった。

ヒディンクからは韓国人選手とのパイプ役として信頼され、ホン・ミョンボやファン・ソンホンらベテラン選手たちからは本音(チームへのちょっとした愚痴など)も明かせる人情派コーチとして慕われていた。

気づけば「失敗した指導者」の烙印も

ただ、人が良くて憎めないが、勝負師にはなりきれない指導者でもあった。

忘れられないのは2002年W杯後に行われた釜山アジア大会でのこと。アジア大会韓国代表の指揮官に抜擢されたパク・ハンソ監督だが、パク・チソン、イ・ヨンピョら4強戦士らを擁しても、準決勝でイランに敗北。延長戦の末にPK決着で敗れた試合後の会見の前、ひとり廊下の隅でタバコを吸っていた後姿は、いつになく小さく見えた。

案の定、その後に指揮したKリーグでも目立った成績は残せなかった。2005年〜2007年まで指揮した慶南(キョンナム)FCでは最高5位まで記録したが、2007年〜2010年まで指揮した全南ドランゴンズでは10位で辞任。2012年から5シーズン指揮した尚州尚武でも1部昇格と2部降格を繰り返した。

気がつくと韓国ではホン・ミョンボ、ファン・ソンホン、チェ・ヨンス、キム・ナミル、ソル・ギヒョンなど、かつての2002年W杯メンバーたちが監督に転身して指導者たちの世代交代が進み、還暦目前のパク・ハンソ監督は立ち位置も曖昧になった。

韓国内の一部では“失敗した指導者”という烙印を押され、監督としては峠を過ぎた。誰もがそう思っていた矢先の2017年9月に就任したのがベトナム代表監督で同国のU-23代表監督も兼任しながら次々と快挙を成し遂げる。

ベトナムでの功績、昨日契約延長も合意

2018年のU-23AFC選手権準優勝、2018年アジア大会でベトナム56年ぶりのベスト4進出、そしてASEAN諸国最強を決める2018年SUZUKI CUPで優勝。

2019年1月のアジアカップではベスト8進出。同年11月の東南アジア競技大会(SEA Games)ではU-23ベトナム代表を同国史上60年ぶりに金メダルに導き、ベトナムを名実ともに東南アジアの強豪に仲間入りさせた。

今回のカタールW杯アジア予選では、2次予選でUAE、マレーシア、タイ、インドネシアと同居したグループを2位通過し、ベトナム史上初の最終予選進出を成し遂げた。

ただ、アジア最終予選では苦戦が続いている。9月はサウジアラビア代表、オーストラリア代表に連敗し、10月は中国代表、オマーン代表にも歯が立たず4連敗。勝ち点ゼロの最下位である。普通なら更迭や解任が囁かれても不思議ではないが、そんな雑音は聞こえてこない。

むしろ昨日11月10日にパク・ハンソ監督とベトナムサッカー協会との間で1年の契約延長で合意がなされたという。

(参考記事:ベトナム代表、日本代表戦前にパク・ハンソ監督と1年の契約延長!最終予選全敗も指導力を評価)

ベトナムで何をしたのか

それだけ信任が厚い証拠と言えるが、では、パク・ハンソ監督はベトナム代表に何を注入したのか。

韓国メディアでの間でよく言われるのは、堅守速攻の徹底だ。サッカー専門誌『FourFourTwo KOREA』編集長を歴任し、現在はフリーのジャーナリストとして記事だけではなく動画も配信するホン・ジェミン氏も語る。

「5バックで守りを固めて、ボールを奪ったら中盤も省略して素早く前線に放り込み、点を取りに行く。わりやすく言えば、守って守り抜いて一発で仕留めるサッカー。韓国風に悪く言えば“ポン・チュック=蹴球(放り込みサッカーという意味)”です。Kリーグでも弱小チームを率いることが多かったパク・ハンソ監督が、もっとも得意としているスタイルで、それ勤勉で敏捷性があるベトナムのサッカーとピッタリとハマった」

また、韓国人監督ならではの指導スタイルもベトナムに合っていたという。

2002年時も常に選手たちと一緒に汗を流し、ベテランのホン・ミョンボに喝を入れたり、若手のパク・チソンには褒めて自信を与えたりするなど、選手を叱咤激励しその気にさせる雰囲気作りのうまいコーチだったが、ベトナム代表でも若い選手たちと一緒にボールを蹴り、選手のマッサージ役を買って出てスキンシップを深めて関係を築いていった。

ケガや故障を抱えている選手の飛行機移動のためにビジネスクラスを用意させたという逸話もあるほどだ。

その一方で韓国的な“精神武装”も注入。「諦めたり、走れず倒れてしまいそうなとき、君たちを応援するベトナム国民たちのことを考えてみなさい。今、君たちが諦め、走るのをやめてしまったら、ベトナムが諦め、倒れてしまう。そう思ったら足を止められないだろ?」などと気合を入れて、ピッチに送り出すという。

2017年以降、ハノイ、ホーチミン、タイ、カタールでパク・ハンソ監督を密着取材して今でも頻繁に連絡を取り合う仲にあるホン・ジェミン氏も語る。

「パク監督が就任した頃のベトナムの選手たちは、どこか統率が取れておらず諦めが早い印象でしたが、今は選手たちがチーム戦術を遂行しようという意志が強く、勝負に対する執拗さがあり、しつこく粘り強くなった」

ベンチは韓国スタッフ

ちなみにパク・ハンソ監督を補佐するコーチングスタッフにも韓国人は多い。

首席コーチを務めるのは、パク監督とは現役時代からの仲でKリーグのFCソウルや大邱FCで長く指導者生活を送ったイ・ヨンジン氏。

GKコーチのキム・ヒョンテ氏とメディカルトレーナーのチェ・ジュヨン氏は2002年W杯時に韓国代表スタッフだった。

これらの気心が知れた同世代のスタッフと、2000年代にKリークや韓国代表でDFとして活躍したキム・ハンユン、パク・チュンギュンらが、コーチとしてパク監督を補佐している。

まさにベトナム代表のベンチは韓国色が強い陣容だが、試合を戦うのは選手でもある。

その選手の力量もさることながら、実績的にも戦力的にも、日本がかなり優位であることは誰の目にも明らかだ。その点は誰よりもパク・ハンソ監督自身がよくわかっているだろう。

ただ、森保ジャパンと対戦した2019年アジアカップ準々決勝では健闘した。1-0で敗れはしたが、ベトナムでは「多くの欧州組が属する日本と対等に戦ったということと、フィールドゴールを許さなかった点などが評価された」(『スポーツソウル』)らしい。

おそらく今日の試合でもベトナム代表は徹底的にブロックを固めて守りに徹するだろう。日本としてはそれを切り崩して大量得点で勝ち点3を手にしたいところだろうが、はたして。

「勝利なきベトナムのパク・ハンソ号、危機の日本にタックルをかませられるか」(『スポーツソウル』)、「パク・ハンソ、日本の警戒すべき対象は南野じゃない」(『OSEN』)と韓国メディアも注目している。

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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