「もう一つの日韓戦」に挑むベトナム代表パク・ハンソ監督の「憎めない“正体”」

パク・ハンソ監督(写真提供=FA Photo)

アジアカップの準々決勝で森保一監督率いる日本代表と対戦することになったベトナム代表。その指揮官が韓国人のパク・ハンソ監督であることから、日本対ベトナムの一戦は韓国でも大きな関心を集めている。

秘策も匂わし日本戦に意欲的

「もうひとつの韓日戦…パク・ハンソ号、日本と8強戦で対決」(テレビ局『SBS』)、「アジアカップ8強戦の初戦は、パク・ハンソの“ひとり韓日戦”」(一般紙『国民日報』)などで、『東亜日報』は「パク・ハンソ指揮する“第二の韓日戦”、痛快に勝利してください」と、韓国のサッカーファンたちの応援メッセージを紹介する記事も出しているほどだ。

そうした韓国国内の関心にパク・ハンソ監督本人も応えており、先日は韓国のニュース番組に電話で生出演。現地でも韓国メディアの取材に応じて、「我々が戦力的に劣ることは知っているが、日本は中央がとても密集している」と秘策を匂わせたりするなど、試合への期待感を盛り上げいる。

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もっとも、今でこそ韓国でも脚光を集めるパク・ハンソ監督だが、選手時代は地味だった。実業団の第一銀行サッカー部を経て、1983年にスタートしたKリーグに合わせて誕生したラッキー金星でプレー。Kリーグ・ベストイレブンに選ばれたこともあったが、韓国代表歴は1回のみ。それも1981年3月の日韓定期戦での交代出場だけだった。

初取材は妻同伴取材だった!!

そんな彼が一般からも注目を集めるキッカケとなったのが、2002年ワールドカップ前後だ。韓国代表が招聘したフース・ヒディンク監督を補佐する韓国人首席コーチ(チームには3人の韓国人コーチがいた)を務めたのだ。

引退後に1994年アメリカW杯で韓国代表トレーナー(コーチ陣たちの中でも一番年下がよくした役割)や水原三星のコーチを務めていたことは知っていたが、異例の人事でもあったのですぐに取材を申し込み、2000年3月にソウル市中心にそびえたつプラザホテルの高級レストランで初めて言葉を交わした。

その席にはヒディンクとともにコーチとして韓国代表に加わったピム・ファーベック(現オマーン代表監督)も同席し、ファ―ベックの要望で妻同伴での会食取材となったのだが、「私は慶尚道(キョンサンド)の田舎者だから、洋食は苦手なんだよ」とテーブルマナーに苦戦しながら、一緒に苦笑いしたことを思い出す。

今でこそ韓国代表の多くの選手や指導者たちは妻やパートナーの存在を公にするが、当時は家族同席の取材は珍しかったので、当惑しているようでもあった。

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ヒディンクの右腕も、Kリーグでは…

そんな庶民じみたところもあって、誰からも愛される存在だった。ヒディンクからは韓国人選手とのパイプ役として信頼され、ホン・ミョンボやファン・ソンホンらベテラン選手たちからは本音(チームへのちょっとした愚痴など)も明かせる人情派コーチとして慕われていた。

筆者をはじめとする韓国代表の番記者たちとの関係も良好で、ときたま焼酎を飲み交わすこともあった。

「慎記者は大きいね。私は170cmにも届かない。だからグランドでは死ぬほど走ったよ」。現役時代のあだ名が“バッテリー(姓のパクと動力源のバッテリーを合わせた造語らしい)”だということを自虐的に教えてくれたのもそんな私的な席だった。

そんな飾らない人柄の庶民派コーチも、2002年W杯で韓国がベスト4進出を果たすと、「ヒディングを支えた韓国人コーチ」「4強神話の隠れた助演者」として一躍、英雄視され、その流れで2002年W杯の3か月後に行われた釜山アジア大会ではアジア大会韓国代表の監督にも抜擢された。

だが、釜山アジア大会ではパク・チソン、イ・ヨンピョら4強戦士らを擁しても、準決勝でイランに敗北。延長戦の末にPK決着で敗れた試合後の会見の前、ひとり廊下の隅でタバコを吸っていた後姿は、いつになく小さく見えた。

人が良くて憎めないが、度胸が据わった勝負師にはなりきれない。そんな印象をぶつけると、否定も肯定もせず、気のいいオッサンがそうするように笑って濁すので先行きが心配にもなった。

案の定、その後に指揮したKリーグではさしたる結果を残せなかった。2005年~2007年まで指揮した慶南FCでは最高5位まで記録したが、2007年~2010年まで指揮した全南ドランゴンズでは10位で辞任。2012年から5シーズン指揮した尚州尚武でも1部昇格と2部降格を繰り返した。

いずれも地方クラブで、Kリーグのクラブ別平均年俸ランキングでも下位のほうに分類されるクラブだったことを加味しても(尚武は兵役対象のKリーガーたちが属するチーム)、監督として素晴らしい実績を残したとは言い難かった。

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気がつくと韓国ではホン・ミョンボ、ファン・ソンホン、ソル・ギヒョンにパク・トンヒョクまでかつての教え子たちが監督に転身。韓国でも指導者たちの世代交代が進み、立ち位置も曖昧になった。

ベトナム代表で何をしたのか

結局、尚武退団後の2017年はKリーグから声がかからず、実業団リーグの昌原市庁の監督に。年齢も60歳近くなり、監督としては峠を過ぎた。誰もがそう思っていた矢先に2017年9月から向かったのが、ベトナム代表だったのだ。

そして、そのベトナム代表で次々と快挙を成し遂げる。パク・ハンソ監督就任後、ベトナム代表は2018年のU-23AFC選手権で準優勝、2018年アジア大会で同国56年ぶりのベスト4進出、ASEAN諸国最強を決める2018年SUZUKI CUPで10年ぶりの優勝を果たすなど飛躍的な成功を収めてきたこともあって、今ではその手腕は「パク・ハンソ・マジック」とさえ言われているほどだ。

もっとも、失礼を承知で言えば、パク・ハンソ監督は傑出した戦術家でも知略家でもない。入念な準備はするが、戦術面や対戦相手の分析などの多くは、パク・ハンソ監督とともにベトナムに渡って首席コーチを務めるイ・ヨンジン氏が担当していると聞いている。

今年で56歳になるイ・ヨンジン氏も、KリーグのFCソウルや大邱FCで長らく指導者生活を送るも、昨今の指導者世代交代で韓国では行き場を失いつつあったが、パク・ハンソ監督の誘いでベトナム代表の参謀役を務めている。

「監督は万能である必要はない。自分に足りない部分は専門的なコーチに任せればいい。これはヒディンク監督のもとで学んだ方式だ」とパク・ハンソ監督は語るが、ベトナム代表ではモチベーター的な存在でもあるらしい。

2002年時も常に選手たちと一緒に汗を流すだけではなく、一時的に正位置を失ったホン・ミョンボに喝を入れたり、ファン・ソンホンにゴールを決めたら「なんでもしてやる」と発破をかけたりするなど、選手を叱咤激励しその気にさせる雰囲気作りのうまいコーチだった。

パク・ハンソ マジックの秘密

ベトナム代表でも若い選手たちと一緒にボールを蹴り、選手のマッサージ役を買って出てスキンシップを深めたり、ケガや故障を抱えている選手の飛行機移動のためにビジネスクラスを用意したりしながら、選手たちの関係を築いてきたという。

その一方で韓国的な“精神武装”も注入。「諦めたり、走れず倒れてしまいそうなとき、君たちを応援するベトナム国民たちのことを考えてみなさい。今、君たちが諦め、走るのをやめてしまったら、ベトナムが諦め、倒れてしまう。そう思ったら足を止められないだろ?」などと気合を入れて、ピッチに送り出すという。

おそらく森保ジャパンとの対戦前も、心に響くパク・ハンソ節を放って選手たちをピッチに送り出すのだろう。緻密な知略も強烈なカリスマもあるわけではないが、パク・ハンソ監督には人をその気にさせる「徳」があるのだ。その徳こそが、「パク・ハンソ マジック」を生んでいるのではないかと思う。

果たして人情派の徳将に率いられたベトナム代表は、森保ジャパンに“一泡”吹かせることができるだろうか。

実績的にも戦力的にも、日本がかなり優位であることは誰の目にも明らかだ。その点は誰よりもパク・ハンソ監督自身がよくわかっているだろう。

ちなみにパク・ハンソ監督は指導者として過去に2度、日本と対戦したことがある。

直近は昨年のアジア大会だが、遡ること今から19年前の2000年12月に東京・国立競技場で行われた日韓戦。ヒディンク就任前で空席だった韓国代表の代理監督として暫定的に指揮を執り、1-1で引き分けている。

韓国は途中で退場者を出し、60分以上10人での戦いを余儀なくされたが、4人の選手を入れ替えてしのぎきった(親善試合だった)。ベトナム代表就任後も、「交代カードを切るタイミングがうまい」と評価されているらしい。

試合を戦うのは選手でありあくまでも彼らが主役だが、今日の試合ではパク・ハンソ監督のベンチワークにも注目しておきたい。