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本田圭佑、朝鮮学校サプライズ訪問の舞台裏…‥安英学が明かした“ふたりの友情”

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
大歓迎を受けた本田圭佑(写真提供:神奈川朝鮮中高級学校)

安英学がインタビューと写真で明かした舞台裏

サッカー日本代表の本田圭佑が朝鮮学校をサプライズ訪問。横浜市内にある神奈川朝鮮中高級学校の公式フェイスブックで紹介されたこの事実は、SNSなどを通じて瞬く間に拡散され、それをキャッチした一部メディアでも報じられた。本田人気が高い韓国でもメディアで報じられるほどインパクトがあり、反響も多かった。

(参考記事:「彼こそ日本サッカーのアップグレードの象徴」韓国代表監督と熟練記者たちが語る“本田圭佑”)

ただ、それも無理はない。朝鮮学校とは、日本で生まれ育った在日コリアンの子弟たちに言葉や歴史、文化を教える学校で、各種学校扱いながら小学校から大学まで全国に65校ある。

神奈川朝鮮中高級学校はそのうちのひとつだが、本田と特別な縁やゆかりがあったわけではない。

日本を代表するサッカー界のスーパースターが朝鮮学校に姿を現したのは、名古屋グランパス時代のチームメイトである安英学(アン・ヨンハ)との友情があったからだ。安英学も語る。

「感動的な出来事でした。実現できて本当に良かったです」

安英学を「ヒョンニム」と呼ぶ本田

岡山で生まれ、東京で育った在日コリアン3世の安英学は、小、中、高校と朝鮮学校で学び、立正大学を経て2002年にアルビレックス新潟でJリーグ・デビュー。

その後、名古屋グランパス(05年)に移籍すると、2006年からは韓国のKリーグでプレー。釜山アイパーク(06〜07年)、水原三星(08〜09年)でプレーし、2010年からは大宮アルディージャ(10年)、柏レイソル(11〜12年)、横浜FC(14〜16年)で活躍したあと、2017年3月に現役引退した。

在日コリアンながら朝鮮民主主義人民共和国(以降、北朝鮮)代表に選ばれ、2010年南アフリカ・ワールドカップにも出場している。その経歴は数多い在日コリアン・アスリート列伝の中でも輝かしい。

(参考記事:日本で生まれ育った北朝鮮代表の安英学、万感を胸に“誓いの地”で引退セレモニーへ)

そんな安英学と本田が出会ったのは2005年。その年から名古屋に移籍した安英学は、高卒プロ1年目だった本田と親交を深め、気が付くと本田が「ヒョンニム(朝鮮語で“兄さん”という意味)」と呼んで慕う間柄になった。

名古屋を離れたあとも連絡を取り合い、2008年冬に東京で行なわれた安英学の結婚式には、当時オランダのVVVフェンロに所属した本田も駆けつけている。

そのエピソードについては拙著『祖国と母国とフットボール』でも紹介しているが、「圭佑曰く、彼の生涯で唯一参加した結婚式が僕の結婚式だそうです(笑)」(安英学)。

きっかけは南北首脳会談後のやりとりだった…!!

一昨年の冬には、安英学がACミランに所属した本田を訪ねてイタリアに飛んでいる。本田がメキシコのCFパチューカに移籍してゴールを決めると、LINEで祝福のメッセージを送ることもあった。頻繁に連絡を取り合うわけではないが、どちらかに節目の出来事などがあれば、労い祝福し合うような間柄だ。

今年の4月28日もそうだった。本田から突然、LINEメッセージが届いた。前日に板門店(パンムンジョム)で行なわれた南北首脳会談に関してだった。

「“この歴史的な第一歩をヒョンニムはどう思いますか?”という内容でした。僕を含め在日コリアンとふれあう機会も多かったからこそ、圭佑も関心があったんでしょうね。

“朝鮮半島に関係するすべての人々が望んでいたこと。平和に一歩前進したことをみんなが嬉しく思っている”と伝えたら、圭佑は数日後に自身のツイッターでもそのことに触れて祝福してくれましたよね。

事前に僕らの気持ちを確認する圭佑らしい配慮を感じましたし、彼の立場からすると勇気が必要なことだったと思うんです。軽はずみなことはできないし、その意図とは反する誤解やレッテルもついて回るだろうし‥…。

それでも迷わず発信してくれたことがありがたかったですし、圭佑らしいなぁと思いました」

そして、この南北首脳会談時のやり取りの中で自然と出たのが、朝鮮学校への訪問だったという。

ふたりで直接連絡しながら進んだ極秘準備

「“子供たちも平和への第一歩を喜んでいる。一度、ウリハッキョ(“私たちの学校”という意味)に来てもらえるかな?”とお願いしてみたら、圭佑は“もちろんです”と即答でした。

ロシア・ワールドカップ開幕前の5月だったので、“大会が終わり日本に戻ったあと調整してみよう”となったんです。間には誰も入らず、それこそ僕と圭佑が直接連絡を取りながら日程も決めました」

実際、本田の登場を来校直前まで知っていたのは、神奈川朝鮮中高級学校の校長や同校・卒業生らが中心となっている地元の青年商工会関係者など、指で数える程度だけだった。

メディアはもちろん、保護者や学生たちへの事前告知も一切なし。安英学の心情としては少しでも多くの人々、特に大勢の子供たちが本田とふれあう機会を作りたいという気持ちでやまやまだったが、事前に公にすれば騒然となり、手弁当での準備ゆえに安全面の確保などもままならなくなる。

何よりも本田自身が忙しい身だ。スケジュールの突発的な変更もあるかもしれない。事前告知して中止となれば、子供たちをガッカリさせることにもなる。

「生徒たちはデヴィ夫人かアントニオ猪木かと思っていた(笑)」

だからこそ、学校側に掛け合う際には「100%来るとは言い切れませんが…」と理解を求め、慎重に慎重を重ねながら準備を進めたという。生徒たちに明かされていたのは“VIP”が来るということだけだった。

「なんでも生徒たちは“VIP”と聞いて、デヴィ夫人かアントニオ猪木さんかと思っていたそうです。アメリカのポンペオ国務長官か、文在寅(ムン・ジェイン)大統領ではないかという噂もあったようですけどね(笑)」

テレビで慣れ親しんだ日本の有名人や、時勢を反映した政治家の来訪を想像するあたりが、今どきの在日コリアンらしい。朝鮮学校というだけで一部では“特殊な学校”と思われがちだが、ユーモアもバランス感覚も持ち合わせている。

ただ、さすがに日本サッカー界のスーパースターの来訪は予測できなかったようだった。体育館に集められた生徒たちの多くが気軽な気持ちで“VIP”の入場を待っていたという。

そんな中で設置されたスクリーンに流されたのは、ロシア・ワールドカップのダイジェスト映像。各国選手たちのゴール・シーンが次々と流されていく中、自然と日本代表の名場面に移り、背番号4がセネガル戦で決めたゴールが映し出された。

そしてミラノで撮られた安英学との2ショット写真がオーバーラップ。その瞬間、体育館は大きくどよめき、大歓声が沸いた。安英学が振り返る。

「物凄い…本当に物凄い大歓声でした。驚きや喜び、嬉しさや信じられないといったさまざま感情があちこちで沸き上がっていて。あんなに無邪気に嬉しそうに喜びを爆発させている子供たちの姿と、その歓声に笑顔で応える圭佑。その光景は感動的ですらありました」

本田が放った「心強い魔法の言葉」

子供たちが喜びを爆発させたのも無理はなかったと思う。多くの在日コリアンの子供たちにとっても日本代表のスーパースターはテレビや雑誌などで日常的に触れることは多く、メディアを通じて知るその生きざまに感情移入もする。

ただ、なぜかとてつもなく遠い存在に思えてしまう。誤解を恐れずに言えば、“近くて遠い”存在でもある。

そんな手に届きそうで届かない“憧れ”の象徴のように思えた本田が、わざわざ直接足を運んで自分たちの元を訪ねてくれたのだ。安英学はそれだけでも感謝の気持ちで一杯だったが、本田が子供たちに送ってくれた言葉が、何よりもありがたかったという。

「生徒たちに送るサイン色紙に“仲間”という言葉を添えてくれたんですよ。あの言葉は、子供たちの心に強く響くものだったと思います。

日本で生まれ育ち、自分たちではどうすることもできない情勢に左右され、時に傷つき悩み葛藤してきた彼ら彼女たちにとって、あの言葉はどんな言葉よりも心強い“魔法の言葉”でした」

神奈川朝鮮中高級学校・校長(中央)の提案で色紙にサインした。(写真提供=神奈川朝鮮中高級学校)
神奈川朝鮮中高級学校・校長(中央)の提案で色紙にサインした。(写真提供=神奈川朝鮮中高級学校)

もっとも、本田からそんな魔法の言葉を引き出したのは、安英学の人間性だろう。彼が本田と築き育んできた友情なくして、今回のサプライズはありえなかった。

(参考記事:安英学、境界線に生きる運命と歓び/『祖国と母国とフットボール』より)

「いえいえ。僕よりも圭佑に感謝です。忙しい中で時間を割いてくれた彼に失礼があってはいけないと移動費や謝礼なども用意したのですが、圭佑は “ヒョンニム、これはビジネスじゃないので、何も気にしないでください”と言って一切受けつけなかったんです。そういう心意気というか、優しく義理堅く情に厚いところが、“本田圭佑”なんですよね」(つづく)

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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