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韓国人Jリーガーを10年支えてきた金明豪が語る“通訳の役割と醍醐味”

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
金明豪通訳とチョン・ソンリョン(著者撮影)

韓国代表GKとしてオリンピックとワールドカップに出場し、水原三星時代にはACLで優勝も経験した川崎フロンターレのチョン・ソンリョン。昨季、活躍の舞台を韓国から日本に移した彼は、川崎でも正GKの座を獲得し、その実力をいかんなく発揮している。

母国を離れ、初めて身を置くこととなったJリーグで彼が得た感触と本音についてはすでに本欄で紹介したが、その活躍を語る上で一人の男の存在を無視するわけにはいかない。

通訳を務める金明豪(キム・ミョンホ)がその人だ。

チョン・ソンリョンは、親しみを込めて「ヒョン」(韓国語でお兄さんの意味)と呼ぶ彼について、こう語る。

「あらゆる面でヒョンに助けられています。私にとってヒョンは、実の兄のような存在です」

“翻訳機”になってはいけない

7歳年上の“ヒョン”は、チョン・ソンリョンが日本で生活する上で不可欠な存在だという。サッカー選手としてチームとコミュニケーションを取るという意味ではもちろん、私生活でも彼には支えられているそうだ。

「子どもが体を壊して病院に連れていこうとしたのですが、病院が休診日だったことがあったんです。そのとき、ヒョンがすぐに病院と連絡を取ってくれて、助けられました。ヒョンには感謝が尽きません」

金明豪はチョン・ソンリョンの要望を受け、どんな緊急時にも対応できるように、就寝時でも携帯電話をマナーモードにせず持っているという。

長年、韓国人サッカー選手を取材してきた立場からすると、チョン・ソンリョンが感謝を惜しまない理由もわかる気がする。

振り返れば、柏レイソルで韓国人Jリーガー初キャプテンまで務めた元韓国代表監督のホン・ミョンボにインタビューした際も、「言葉や文化が異なるので日本の生活に適応するまで苦労も多かった」と話していた。韓国人選手が日本で生活することには困難が付きまとうのが常なのである。

(参考記事:日本を熟知する“韓国サッカー界のカリスマ”ホン・ミョンボが見たニッポンとJリーグ)

金明豪のこうした心配りは、通訳としての長年の経験で培ってきたものだ。

神奈川県出身の在日コリアン3世。2007年から横浜FCで通訳を務め、2016年に川崎に移籍。この10年間でチョン・ソンリョンを含め11人の韓国人選手の通訳を務めてきた。

その中で、プロサッカーチームにおける通訳の役割と重要性も肌で感じてきた。金明豪は、通訳は選手のメンタルコントロールさえも任されていると考えている。

彼はただの“翻訳機”になるのではなく、一人の人間として選手と接することを意識しているという。

「もちろん選手や監督の言葉を訳すときは黒子に徹するようにしていますが、選手と一対一で話すときは一人の人間として接しています。ピッチ上のことだけではなく、生活面までサポートして初めて信頼関係ができる。どれだけ親身になってあげられるか、要望にすぐに対応できるかが重要だと思っています」

「今すぐエージェントに帰りたいと言え」

もっとも、同じ韓国人選手とはいえ、一人ひとり性格も考え方も違うため、メンタルコントロールも一筋縄ではいかないのが現実だ。とりわけ最近の韓国人選手はメンタル面が脆く、横浜FC時代には選手から「韓国に帰りたい」と弱音を吐かれることもあったそうだ。

だが驚くべきことに、金明豪はそのとき、選手を慰めるどころか、「じゃあ今すぐエージェントに電話ししろ。帰りたいと伝えろ」と厳しく叱咤したのだという。

彼はプロの通訳である以上、そういった厳しい姿勢が必要だと説明する。

「誤解を恐れずに言えば、私はチームに雇われているのであって、選手に雇われているわけではありません。そこをはき違えてはいけない。もちろん、選手の評価が私の評価に直結しますし、私の通訳によって彼らの生活が左右されることも事実なので、選手に寄り添い、選手の味方でいることは大切です。でも、私がチームの通訳である以上、100%選手の味方になるわけにはいかない。このバランスは難しいですが、この立場を見失ってはいけないと私は考えています」

通訳の仕事は“やめられない”

ただ、そんなプロの通訳としてのプライドを持っているからこそ、彼には譲れないものがあるという。通訳を必ず対面で行うことだ。言葉が通じるだけに、しばしば伝言を頼まれることがあるというのだが、彼はそれを決して許さない。

「例えばプレーに対する指摘であっても、伝言では悪い印象を与えてしまう可能性がある。でも、顔を向き合わせて話せば表情も見えるし感情も伝わります。通訳が“伝書鳩”になってはいけないんです。通訳は選手がチームに馴染むための橋渡しでもあるので、コミュニケーションは大切にしていますね。選手同士で話すときも“俺が通訳するから直接話せ”と顔を向き合わせるように伝えていますよ」

この言葉で思い出したのは、以前に取材した、中国の杭州緑城でコーチを務める趙光洙のことだ。韓国代表で日本人コーチの通訳を担った彼は「“言葉”ではなく“心”を伝えること」を重視していたが、金明豪の話を聞いて、改めて通訳の役割の奥深さを感じた。

(参考記事:日本と韓国の“心のパス”を支えてきた在日フットボーラー趙光洙の挑戦)

とりわけ昨今、韓国人選手のJリーグ進出が増えていることを考えると、その役割はさらに重要になってくると言えるだろう。

(参考記事:なぜ今、韓国人選手のJリーグ進出が増えているのか。加速するK→J移籍の背景)

だからこそ気になるのは、なぜ彼は、この仕事にそこまで打ち込めるのかということだ。24時間体制で選手をサポートしながら、メンタル面にも気を配る過酷さは想像に難くない。

しかし、金明豪は「この仕事の醍醐味を一度味わってしまうとやめられない」と笑顔で返す。

「仕事として、こんなに喜怒哀楽があるものってなかなかないと思うんですよ。試合に勝ったら一緒に喜んで、ダメなときは怒って。勝って泣いて、負けても泣いて(笑)。普通に仕事をしていたら、泣くことだってそうそうないと思うんです。刺激が強いし、感情のアップダウンが激しい。それを選手たちと共有できるのがこの仕事の醍醐味ですね」

常に選手と生活をともにする彼だからこそ、その言葉には説得力がある。彼が選手から厚い信頼を受けているのは、そんな喜怒哀楽を共有できる感性にも一因があるのかもしれない。

チームの通訳としての誇りを持ち続け、時に優しく時に厳しく選手に寄り添い続ける金明豪。川崎フロンターレを陰で支えるプロフェッショナルは、今日も選手とともにピッチに立っている。

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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