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海峡を渡った長身右腕・門倉健氏が語る「韓国プロ野球の真実」その1

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
SKワイバーンズ時代の門倉氏(写真提供:SPORTS KOREA)

明日3月31日、日本ではプロ野球が開幕するが、お隣・韓国でもプロ野球が開幕する。第4回WBCではまさかの1次リーグ敗退で終わって屈辱に塗れた事実が、今季の韓国プロ野球にどのような影響をもたらすか注目が集まるところだが、そんな韓国プロ野球の行方に注目している日本の野球人がいる。

門倉健氏がそのひとだ。現役時代は中日ドラゴンズ、大阪近鉄バファローズ、横浜ベイスターズ、読売ジャイアンツなどで活躍。2005年には最多奪三振のタイトルを獲得した長身右腕だった門倉氏は、2009年から2011年までの3年間、韓国プロ野球でプレーした。

それもただ活躍したわけではない。SKワイバーンズ時代は開幕投手を務め、優勝に貢献。サムスン・ライオンズ時代には日韓通算100勝も達成。韓国プロ野球でプレーした日本人選手が意外に多いが、その中でももっとも輝かしい成績を残しており、韓国では今も「韓国でもっとも活躍した日本人選手」とされているほどだ。

(参考記事:あの有名投手も!! 実は意外と多い韓国プロ野球で活躍した日本人選手たち)

そんな門倉氏に、実際に体験した韓国プロ野球の思い出とそこで感じたことを聞いた。

―門倉さんは2009年〜2010年にSKワイバーンズ、2011年にはサムスン・ライオンズで活躍されていますが、もともと韓国プロ野球に関してどんなイメージがありました?

「いろいろな意見があると思いますが、当時の韓国プロ野球のイメージはあまりよくなかったですね。よく耳にしたのは、“日本球界で活躍した選手が、最後にもう一度チャレンジしみようかと思う程度のレベル”ということでしたから。“頑張って最後の一花”という感じというか、“韓国とか台湾はそういう感じのレベルだった”と聞いていたんですけど、実際に自分が韓国プロ野球に飛び込んでみると、まったく違いましたね。“最後の一花”どころか、“うかうかしていたら日本球界はいつか追い抜かれちゃうんじゃないか”というくらいの勢いがありました」

―当時は2度のWBCや2008年北京五輪・金メダルなどで韓国球界も盛り上がっていましたからね。レベル的にも想像していたよりも高かったのでしょうか?

「当時は日本で韓国プロ野球を見ることなんて、滅多にないじゃないですか。昔は『日韓スーパーゲーム』などもやってましたけど、僕の中で韓国野球というとざっくりしたイメージしかなくて、“日本の高校野球とか大学野球くらいの野球なのかな”という感覚だったんです」

――応援文化はそれに近いかもしれません。韓国プロ野球と言えば、各球団のチアリーダーが華ですし、球場内にもなぜか女子大生のような雰囲気の“バッドガール”たち飛び回っていますから(笑)。

「チアリーダーたちの応援はスゴいですよね。みんなモデルさんかアイドルみたいなルックスですし、試合中ずっと歌って踊って応援をリードしていますからね。日本にはない応援文化でした。そんな違いもありますが(笑)、何よりも驚いたのは野球のレベルでしたよ」

(参考記事:まさにドリームチーム!! 韓国プロ野球全10球団のチアリーダーBEST10)

―具体的にはどんなところに?

「渡韓前のイメージは先ほどお話した通りですが、実際に試合に出てみると日本のピッチャーと同じような球を投げる選手がたくさんいるし、バッターもアメリカのメジャーリーガー並みの体格の持ち主がたくさんいたので、本当に驚きでした。“最後の一花”どころか、僕のように一度自由契約になったような人間が来れるようなレベルじゃないなということを真っ先に感じたというのが、正直なところです」

―ただ、それでもSKワイバーズ1年目は8勝4敗、開幕投手を務めた2年目には14勝7敗という成績を残し、SKワイバーンズの優勝に大きく貢献しました。やはり日本球界で磨いてきた技術やノウハウが生かされた?

「そういう部分もありましたが、気持ちの持ちようもあったと思います。当時のSKワイバーンズはキム・ソングン監督が率いていたのですが、キム監督が僕のことを外国扱いもベテラン扱いもしなかったんですよ。当時の僕は巨人を自由契約になり、その後にマイナー契約を交わしたシカゴ・カブスからも開幕直前に戦力外通告を受けるなどして、そのまま終わってしまってもおかしくはなかった時期だったんですね。キム・ソングン監督は言葉では言わなかったけど、そんな僕を“もう1回蘇らせてやる”みたいな気概を持って接してくれましたし、僕もそんなキム・ソングン監督の気持ちを強く感じたので、 外国人だからとか、ベテランだからという意識が吹き飛んだ。“もう一度、新人のときのような気持ちでやらなきゃいけないな”と思い直しましたし、キム・ソングン監督からも“とにかくお手本になってくれ”と言われたので責任感に燃えたというか…(笑)。ランニングメニューから夜間練習まで、とにかく無我夢中ですべての練習をこなしました」

―その結果が日韓通算100勝につながるわけですね。

「そうですね。韓国に渡ったとき、あと20数勝すればプロ通算100勝になることはわかっていたので、日韓通算100勝というのが自分の中で目標というか節目として意識していました。 “そこまではかならず行きたいな”と思っていましたし、その目標が達成できて良かったです。あとはやっぱり日本の野球人としてのプライドと言うか…。SKワイバーンズでもサムスン・ライオンズでも、よく言われたことがあったんですよ」

―どんなことですか?

「 “練習のやり方はもちろん、プロとしての振る舞いなど、とにかく選手たちのお手本になって、日本野球の良さを伝えてほしい”と。そう言われるたびに俄然やる気が沸いたというか、余計に必死になったとういか。とにかく、そういったモチベーションを刺激されたことも、良い結果につながったと思います」

韓国の球界関係者たちから“日本野球の良さを伝えてほしい”という要望があったということは意外に映るかもしれない。日本では韓国と言うと、どうしてもWBCの激闘や、イチロー選手への対抗心が連想されがちで、実際、韓国人の心情も複雑だという。

(参考記事:「憎たらしいが偉大すぎる」韓国が抱くイチローへの愛憎)

だが、それでも“日本野球の良さを韓国野球界に伝えてほしい”と言われて、さらに発奮したという門倉氏。次回は、を門倉氏が教えてくれた知られざるエピソードを通じて、「韓国球界から見た日本野球」について迫りたい。

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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