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解雇の金銭解決制度は必要?:日経新聞はきちんと取材して社説を書くべきだ

嶋崎量弁護士(日本労働弁護団常任幹事)
新聞(社説)は多くの方に読まれるもの(写真:アフロ)

日経新聞は報告書を読んで社説を書いたのか?

解雇の金銭解決制度について、とんでもない日経新聞の社説:2017年6月4日を読みました。

「解雇の金銭解決制度は必要だ」という結論だけに対して、難癖を付けるつもりはありません(私とは異なる意見ですが)。

立法論として、比較法的にもあり得るものですし、経済界の意向を酌んだ論調の日経が賛成論の意見である事にも、驚きはありません。

問題なのは、結論ではなく、報告書に明記された基本的な事実関係を誤り、このような結論を導いていることです。

この社説は、厚生労働省が設置した「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」が、今年5月29日にとりまとめた報告書を踏まえてのものです。

なお、この報告書を踏まえての私見は、すでに「解雇の金銭解決制度は「労働者に新たな武器を与える」のか?~「働き方改革」が見せる裏の顔~」で書いたので、そちらをご参照下さい。

日経の社説は、この検討会における議論や、検討会で委員から示された現行制度を踏まえて(取材・調査して)書かれたものでなければなりません。

ですが、解雇の金銭解決制度導入を議論する上で、大前提となっている(22名の委員全員で争いもない事実)を誤ったまま、論じられているのです。

具体的には、社説の以下の箇所です(太字は筆者による)。

解雇が不当で無効と認められても、会社との関係が悪化した人の職場復帰は簡単ではない。復職できない場合、中小企業では補償金をもらえずに泣き寝入りする例も多い。労働者の救済策になる金銭解決の制度は必要だ。今後、制度の創設に向けた議論を労働政策審議会で深めてほしい。

解雇の金銭解決制度は労働者からの申し立てがあった場合を対象とし、補償金の額に基準を設けることが想定されている。

復職以外に金銭補償という選択肢を明示できれば、不当解雇された人が別の仕事で再出発するのを後押しする意義がある。

出典:日経新聞社説2017年6月4日

この記事を読んだ方は、制度創設の前提となる現状の制度について、どんな印象を受けるでしょうか。

「裁判で『解雇が不当で無効』とされても、『復職できない場合、中小企業では補償金をもらえずに泣き寝入りする例も多い』とあるから、現在の制度では、場復帰は希望しないで、金銭補償を受ける解決はできないのか」

と理解するのではないでしょうか。

これは解雇の金銭解決導入賛成論の方によくある誤解です。

実際には、現状の制度においても、解雇の金銭解決は可能です。

むしろ、現状制度における「解雇」事件のほとんどは、金銭解決しているのです。

日経の記事でも冒頭で触れている報告書で「解雇を巡る紛争については、以下のような実態がある」と明記され、これを踏まえて議論が進んだことが明らかになっています。

・ 解雇が裁判によって無効となった場合であっても、職場復帰せず、退職する労働者が一定数存在すること。

・ 行政によるあっせんや労働審判制度、民事訴訟上の和解においては、解雇をめぐる個別労働関係紛争の多くが金銭で解決されているという実態があること(特に平成18 年に施行された労働審判制度においては、独立行政法人労働政策研究・研修機構が実施した調査(2015 年)によれば、2013 年に4地方裁判所で調停又は審判した労働審判事案(司法統計上、「金銭を目的とするもの以外・地位確認(解雇等)」に分類された事件に限る。)452 件のうち96%が金銭で解決されている)。

これを読めば一目瞭然。報告書で依拠した調査では、解雇事件の96%が実際に金銭解決をしているのです。

日経新聞が、こんな基本的な事実をも踏まえずに、誤った事実を前提にした記事を書くことは、言葉を失います。

マスメディア、しかも言論界に大きな影響がある日本経済新聞が、この様な誤った事実をもとに堂々と社説を書くことは、許されないでしょう。これまで、日経のまともな記者の方に何度も取材を受けたことはあります。現場の記者だって、こんな社説を書かれたら、悔しいのではないのでしょうか?

この「解雇の金銭解決制度」は、今後の労使関係において、絶大な影響を与える制度です。

ぜひとも、速やかに訂正記事を出していただき、報告書を読んだ上で社説を書いていただきたいものです

欺瞞的な動機はないか?

労働側から、解雇の金銭解決制度が導入に反対する一番大きい理由は、「必要性無し」です。これに対して、日経新聞(社説)は、タイトル通り検討会の報告書を踏まえても「解雇の金銭解決制度導入は必要」だというものです。

この「必要」性について、労働側の反対論が依拠する事実を誤認したまま、他方で労働側の意見を一部紹介し、あたかも労使の意見を踏まえた説得的な導入必要論の立場を流布させようとした意図があるなら、メディアとして絶対にあってはならないことです。

日経の社説には、こんな記載もあります(太字は筆者による)。

一方で、労働者に金銭補償を選ぶよう促し、復職を妨げる企業が出てくるとの批判もある。労働組合は「お金を払っての解雇を増やすことになる」と反発している。

しかし、だからといって不当解雇で困っている人を助けられる制度を設けないのは建設的でない

出典:日経新聞社説2017年6月4日

現行制度でも、不当解雇で困っている人を解決する制度は存在するのに、あたかも労働組合が解雇された労働者を救済する制度創設に反対しているかのように、誤解をあたえる記事といえるでしょう。

例えば、この検討会にも複数の委員が参加している労働組合の連合も、一貫して解雇の金銭解決制度導入に反対して意見をだしていますが、日経の記事のような粗雑な反対論を展開していた訳ではありません(厚生労働省のHPで公開されている議事録を読めば分かることです)。

報告書発表時にも、連合は事務局長談話を発表し(以下の引用は、一部抜粋)、導入反対の意見を表明しています(注1)。

これを読めば、「建設的ではない」のは、労働組合ではなく、日経新聞の社説であることは一目瞭然です。

■「解雇無効時における金銭救済制度」について、検討会における委員のコンセンサスは得られず、3論が並記された。このような中で、「労働者の多様な救済の選択肢の確保」として、今後、労働政策審議会などにおいて検討するとしたことは非常に遺憾である。

■解雇の金銭解決制度の創設は、「労働者の選択肢を増やす」とされるが、労働者は制度導入など求めてはいない。不当解雇であっても会社が解決金さえ支払えば解雇できるルールとは、一体誰を救済するためのものなのか、まったく理解できない

また、労働審判制度が柔軟かつ適切な紛争解決に貢献し、制度として有効に機能している中で、解雇の金銭解決制度を導入することは、現行の紛争解決システムに悪影響を及ぼしかねない。さらに、企業のリストラの手段として使われる懸念もある。何より、「金銭的予見可能性」を高めたいというニーズとは、いくら支払えば解雇できるのかという使用者側の都合にほかならない。

■いま必要なことは、長時間労働の是正や正規雇用と非正規雇用労働者の処遇格差などの問題を着実に解消し、すべての働く者が、安心して働ける見通しを持てる社会にすることであって、「カネさえ払えば首切り自由」の制度を創設することではない。連合は、引き続き、構成組織・地方連合会と一体となって、「解雇の金銭解決制度」の問題点を広く社会に訴え、その導入阻止に向けた取り組みを進める

現状を踏まえ、どんな制度が必要か

検討会における解雇の金銭解決制度必要論の主流は、労働者側にとって解雇の金銭解決制度導入のメリットがあることを全面に打ち出したものでした。

(日経新聞社説にも「労働者の救済策になる金銭解決の制度は必要だ。」という記述があります)

報告書にも、こんな記載があります。

金銭救済制度は、金銭的解決に対する使用者側の拒否権を奪う機能を有するものと位置付けられ、労働者側が金銭的解決を志向しているにもかかわらず、使用者側が合理的な理由なくそれを拒絶しているために合意による解決が暗礁に乗り上げているような事例を想定すれば、労働者側に新たなオプションを与えるものとして評価でき、その具体的な実現可能性を引き続き検討することには意義がある等の意見があった。

出典:報告書28頁

解雇の金銭解決制度において、申立権を労働者側にのみ与える(使用者側は、この制度を使えない)ことを念頭に、労働者の選択肢を増やすことを掲げているのです(注2)。

これに対して、報告書に書かれている導入反対論は、主に以下の意見です。

現在、労働審判制度が有効に機能しておりこれで十分であるにもかかわらず、解雇無効時の金銭救済制度を導入すれば、こうした有効に機能している現行の紛争解決システムに、調停や和解による合意による解決が減少し、判決による解決が増加するため紛争が長期化するといった悪影響を及ぼす可能性がある

・ 金銭救済制度が導入され金銭水準が定められれば、解雇予告に応じた場合にはその金銭水準の一定割合の金銭を支払う旨提示する等、企業のリストラの手段として使われかねない

・ 解雇の選択肢を増やすことにつながるのではないか

・ 解雇の金銭救済制度は、フリーハンドの裁量により解決されている現行制度を硬直化することに繋がるのではないか

・ 和解の結実の度合いを破壊してしまうのではないか

・ 現行の集団的労使関係に与える影響も懸念される

出典:報告書28頁以下

賛否どちらの立場であるにせよ、上記の議論を踏まえた意見が新聞に求められているのは当然のことです。しかも、現在の制度について、誤った事実を前提に社説を書くのは、無用な混乱を招くもので許されません(注3)。

不当解雇での泣き寝入りを防ぐには何が必要か?

検討会の議論でも、今の日本社会において、不当解雇されても金銭補償すら受けられない労働者が多数存在するという社会実態については、異論がなかったといえます(日経社説の記事の前提もおそらくは)。

では、この社会実態を改善するためには、何が必要か、社会実態を踏まえずに、現行制度とその運用実態を踏まえずに、抽象論を戦わせても意味はありません。

検討会では、きちんと実態を踏まえた議論が模索され、報告書にまとめられています。

日経新聞には、きちんと取材・調査をして、「解雇の金銭解決制度導入が必要か」について、結論先にありきではなく、真摯に論じて欲しいと思います。

多くの労働者が不当解雇で泣き寝入りをしている実態を踏まえてやるべき事は、解雇の金銭解決制度導入ではなく、他にあるはずですから。

(この点は、既に記事(「解雇の金銭解決制度は「労働者に新たな武器を与える」のか?~「働き方改革」が見せる裏の顔~」)書いたので詳しく触れませんが、就労請求権を整備して職場に戻っての解決を可能とする法整備を整える、解雇予告手当を大幅に増額するなどが有効な対策だと考えています)。

注1:私の所属する日本労働弁護団も、解雇の金銭解決制度が導入について、繰り返し反対の意見を表明しています。

注2:一部委員から、「使用者申立制度」を認めるべきとの根強い意見もでており、報告書にもこの意見が記載されています。これに対しては、使用者のモラルハザードを起こすなどを理由に、使用者側申立を認めることには反対論が大勢でした。詳しくは本文で引用した報告書26頁以下をご参照下さい。

注3:日本経済新聞は、これまでも例えば、残業代をゼロにする「高度プロフェッショナル」について、あたかも成果で賃金を決める制度であるかのような喧伝を行っており、日本労働弁護団で抗議声明「エグゼンプションを「成果に応じた賃金制度」と喧伝することに抗議する声明」も出しています。

弁護士(日本労働弁護団常任幹事)

1975年生まれ。神奈川総合法律事務所所属、ブラック企業対策プロジェクト事務局長、ブラック企業被害対策弁護団副事務局長、反貧困ネットワーク神奈川幹事など。主に働く人や労働組合の権利を守るために活動している。著書に「5年たったら正社員!?-無期転換のためのワークルール」(旬報社)、共著に「#教師のバトン とはなんだったのか-教師の発信と学校の未来」「迷走する教員の働き方改革」「裁量労働制はなぜ危険か-『働き方改革』の闇」「ブラック企業のない社会へ」(いずれも岩波ブックレット)、「ドキュメント ブラック企業」(ちくま文庫)など。

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