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光復節78周年、尹大統領の演説に浮かぶ4つの「破壊性」

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
15日、光復節記念式典で演説する尹大統領。韓国大統領室提供。

韓国で8月15日は、1945年の日本による植民地支配からの解放を祝うと共に、1948年の大韓民国政府樹立を祝う『光復節』と呼ばれる。韓国に五つある国慶節のうち最も重要なものとして、大統領の慶祝辞(演説)に注目が集まる。

慶祝辞の見どころは通常、大きく三つの部分に分けられる。

まず韓国国内向けには歴史上における「現住所の位置づけ」を、次に北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)に対しては「統一に向けたビジョン」を、そして最後にかつての宗主国・日本に対しては「日韓関係のありよう」について言及することになる。

しかし、今年の慶祝辞にはいくつか大きな議論となりそうな内容が含まれていた。いずれも破壊性を持つもので、尹錫悦政権の今後を占う上で欠かせないものだ。以下、4つのポイントで説明する。

この日の式典には、8月13日に日本から韓国へと永住帰国した100歳のオ・ソンギュさん(中央左)も出席した。オさんは解放前、中国で独立運動を行っていた。韓国大統領室提供。
この日の式典には、8月13日に日本から韓国へと永住帰国した100歳のオ・ソンギュさん(中央左)も出席した。オさんは解放前、中国で独立運動を行っていた。韓国大統領室提供。

(1)歴史解釈の破壊性

私たちの独立運動は、国民が主人である国、自由と人権、法治が尊重される自由民主主義国家を作るための建国運動でした。

単純に奪われた主権を取り戻し、過去の王政国家に戻ろうとすることではありませんでした。

自由と人権が無視される共産全体主義国家になろうとするものでは、より一層ありませんでした。

尹大統領は演説の冒頭でこう述べた。この一文からは、歴史解釈を自分の思う通りに行う「恣意性」、より有り体に言うと「歴史修正主義」の匂いが強烈に感じられた。

そもそも独立運動と建国運動という異なる二つを同一視している点に問題がある。

韓国唯一の『歴史用語辞典』で「独立運動」の項目を引くと、「狭義には植民地状態から抜け出し国の主権を回復する運動と限定できる」と定義されている。このように、独立運動は1945年8月15日の解放(光復)で一旦幕を閉じるものだ。

一方の建国運動とは1945年から48年までの間を指すものだ。日本の敗戦直後、米ソによる38度線での分断という現実を前に、「自由で独立した統一政府」という最大の理想を掲げて行われた全ての試みがここに入る。

例えば、日本の敗戦を見越し44年に組織した『建国同盟』を発展させ、解放直後に南北すべての地方でいち早く活動を始めた呂運亨(ヨ・ウニョン、1884〜1947)を中心とする『建国準備委員会』の活動などがこれに当てはまる。

こうした動きは米軍政の強い圧力と内部路線の不一致により潰えたが、その後45年12月のモスクワ三相会議の決定(まず南北統一政府を作り、その後に信託統治後、完全独立)が韓国内に間違って伝わる中で38度線以南での建国運動は混迷を極めることになる。

その中の一つとして出てきたのが、李承晩による「南側単独政府樹立案」だった。38度線の北側でソ連と金日成(キム・イルソン)の下、一糸乱れず社会主義国家建設が進む傍らで、国連をバックに体制を整え政敵を除去しながら48年8月15日の大韓民国政府樹立につながることになる。

この日の尹大統領の脈絡では独立運動と建国運動が一本の線でつながっていたが、独立運動には社会主義系列、民族主義系列、アナキスト、実力養成派など様々な主体が朝鮮半島をはじめ中国や日本などで活動していた。

例えば米軍政下で「南北統一時のナンバーワン指導者候補」として名が上がった呂運亨や金奎植(キム・ギュシク)はそれぞれ中道左派、中道右派である。こうした運動の全てを大韓民国政府樹立に向けた一本道で整理するのは余りにも乱暴である。

もっとも、こんな尹大統領の考えは特別なものではない。

なお、独立運動史をどう描くかは分断国家として対峙しつつ互いの正統性、つまり民族をどちらがより代表するかをもって争う南北双方にとって大事なものであり、それだけに南北には異なる歴史解釈が存在する。

大統領候補時代から「反共」を強く押し出してきた尹大統領の歴史解釈は、韓国の独立と建国(政府樹立)における社会主義・共産主義者の役割を最大限に排除する右派の典型と言ってよい。

尹錫悦という人物が個人として、一市民としてこんな歴史認識を持つことは勉強不足との指摘を受けるものの、それこそ自由である。

しかし大統領として8月15日という光復節の場で披露する歴史認識としては偏狭で恣意的、さらに歴史修正主義的でもあると指摘しておきたい。これは後述するように国民の統合をも阻害するものである。

余談であるが、冒頭の引用部分にある「自由と人権が無視される共産全体主義国家になろうとするものでは、より一層ありませんでした」の「より一層」の表現は、従来の演説案では「一層더욱」であった。

これが現場で「より一層더더욱」に変わった。尹大統領が変えたものと思われる。該当部分を発言する際、自信に満ちていた。

式典はソウル市内の梨花女子大学で行われた。右は金建希(キム・ゴニ)大統領夫人。韓国大統領室提供。
式典はソウル市内の梨花女子大学で行われた。右は金建希(キム・ゴニ)大統領夫人。韓国大統領室提供。

(2)南北関係における破壊性

政府はまた「大胆な構想」を揺らぐことなく稼動させ、圧倒的な力で平和を構築するとともに、北韓政権が核とミサイルではなく対話と協力の道に出て、北韓住民の民生を増進させられるよう国際社会と共助していきます。

この日の演説において、南北関係への言及は実質的にこの一行だけだった。昨年の光復節の演説で発表した『大胆な構想』を引き継ぐとしているが、非常に消極的な印象だった。

『大胆な構想』とは、北朝鮮が核兵器を破棄する場合に大規模な経済援助を韓国が主導して行うというものだ。核廃棄をすれば北朝鮮住民の一人当たりの年間所得3000ドルを10年以内に実現させるという李明博政権時代(08年2月〜13年2月)の北朝鮮政策『非核・開放3000』の焼き直しだ。

とはいえ、いくつかのバージョンアップが図られている。特に第一段階として、北朝鮮が対話に乗り出しさえすれば、北朝鮮の地下資源と韓国の食糧支援、保健医療など民生改善の事業を行うという点では「今すぐ変化が起こりうる」という可能性を残している。

しかし『大胆な構想』が実現する可能性は限りなくゼロに近い。その理由は二つある。

まず、韓国に対話する意志がそもそも存在しないことだ。

尹錫悦政権は今年6月、『尹錫悦政府の国家安保戦略ー自由、平和、繁栄のグローバル中枢国家』を公表した。その中で、北朝鮮の非核化戦略として、抑止(Deterrence)ー断念(Dissuasion)ー対話(Dialogue)という「3D戦略」を明確にした。

これによると、対話の前段階として北朝鮮の断念、つまり核開発路線からの転換表明のようなものが必要となる。核を国家アイデンティティとまで位置づける北朝鮮においてこうした転換が起きることは考えづらく、現実性がない。

次が本論になるが、尹錫悦政権には「南北関係へのビジョンが存在しない」点を挙げられる。

この場合の南北関係とは「南北が統一に向けた長期的なプロセスを共に歩んでいく過程」と置き換えられる。本来、光復節というのは南北統一を論じる大切な場である。

だが去年も今年も、光復節の慶祝辞の中に一度「統一」という単語が出てこなかった。「分断」は去年はゼロ、今年は対決を強調する脈絡でわずか一度使われたのみだった。

昨年の記事からの引用になるが、同じ保守派大統領と比較しても、朴槿惠(パク・クネ)元大統領による2015年の光復70周年の演説では「分断の悲劇」、「70年の分断」といった言葉が登場する。翌16年の演説では北朝鮮の幹部や住民に「統一時代を開くことに参加してほしい」と呼びかけ話題となった。

また、李明博(イ・ミョンバク)大統領による2010年の光復65周年の演説でも「世界で唯一の分断地域」や「南北が共に平和と繁栄を成し遂げ統一の道に進むことが韓民族の念願であり真の光復を成し遂げる道」と言及されていた。

光復節77周年、韓国・尹大統領に透ける「淡泊さ」(演説全文訳付)

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4cdd5baf71821bf7f363ce6e5d3e6e4f06d93b56

今年の演説では北朝鮮に対しこんな言及もあった。

私たちは共産侵略に対抗して国連軍と共に闘い、自由を守り、その後「漢江の奇跡」と呼ばれる産業化を成功させました。

自由民主主義を樹立し、韓米同盟を構築した指導者たちの賢明な決断と、国民の血と汗の上に大韓民国は世界が驚くべき成長と繁栄を成し遂げたのです。

反面、同じ期間、70年間全体主義体制と抑圧統治を続けてきた北韓は最悪の貧困と窮乏から抜け出せずにいます。

自由民主主義を選択し追求した大韓民国と共産全体主義を選択した北韓の克明な違いが如実に表れたのです。

一見強いこうした表現を「戦争の危機を煽る」とする見方があるが、筆者はそうは見ない。前任の文在寅政権でも「今や体制競争には完全に決着が付いた」、「南北の経済格差は40倍」といわば「北朝鮮へのディスり」は存在した。

そもそも韓国内の認識として、南北の力関係は1975年に韓国が逆転して以降、87年の民主化、89年の冷戦終結を経て韓国の「完全勝利」となっている。

尹錫悦政権と文在寅政権の違いは、この認識の「後」にある。

北朝鮮への呼びかけが全く存在しないのだ。北朝鮮をまるで相手にしたくない存在、検察出身の尹大統領があたかも犯罪者(全体主義国家の首魁)の金正恩を無視するような形が、今年の光復節の演説をもって完全に定着した感がある。

筆者はこれこそが「南北関係の終わり」であると考える。紙面の関係から北朝鮮の事情は省くが(関連書籍の執筆が終わりつつある)、もはや南北が共同で抱くビジョン、未来は存在しない時代に突入している。

韓国では2023年の今も『民族共同体統一方案』が公式的に受け継がれている。

和解協力→南北連合→統一国家完成と三段階で進むこの方案は1994年の光復節に金泳三(キム・ヨンサム)大統領が発表したものだ。

1989年9月の盧泰愚(ノ・テウ)大統領による『韓民族共同体統一方案』を発展させたもので、保守と進歩が満場一致で決めた韓国政治の「宝物」の一つである。

なお尹大統領は『民族共同体統一方案』から30周年となる来年の光復節で、新たな統一方案を示すとされる。

これに向けて統一研究院などの政府機関では現在、いかに「自由民主主義」と「統一」を結びつけるのかの研究が行われている。おそらく韓国による吸収統一が婉曲に表現されるものと見られる。

尹大統領は就任から1年4か月で、南北関係の過去の秩序を完全に破壊したことが今回の演説で明らかになった。今後は金正恩政権の崩壊を念頭に置いて、北朝鮮へのメッセージと国内向けの理論構築を続けていくだろう。

確信に満ちた表情で演説する尹錫悦大統領。写真は韓国大統領室提供。
確信に満ちた表情で演説する尹錫悦大統領。写真は韓国大統領室提供。

(3)国内分断の深化と統合の破壊

(前略)共産全体主義を盲従し操作扇動で世論を歪曲し、社会を撹乱する反国家勢力が相変わらず大手を振っています。

自由民主主義と共産全体主義が対決する分断の現実において、このような反国家勢力の蠢動は簡単には消えないでしょう。

全体主義勢力は自由社会が保障する法的な権利を十分に活用し、自由社会を撹乱させ、攻撃してきました。これが全体主義勢力の生存方法です。

共産全体主義勢力は常に民主主義運動家、人権活動家、進歩主義行動家になりすまし、虚偽の扇動と野卑で破倫的(反倫理的)な工作を日常的に行ってきました。

私たちは決してこのような共産全体主義勢力、その盲従勢力、追従勢力たちに騙されたり屈服してはなりません。

尹大統領は「反共」を最大限政治的に利用しようと考えている。

韓国社会をよく知らない読者のために説明すると、韓国社会には今なお停戦中の朝鮮戦争(1950〜53)における破壊の記憶、そしてその後も忘れた頃に起きる北朝鮮の軍事的な「挑発」により、北朝鮮と一切の妥協を拒否する層が存在する。

主に60代以上の層であるが、この層の政治的な関心(投票率)は高く、一大勢力となっている。

まずはこの層にコミットしながら、尹大統領はさらに「反共」を政治的な対抗勢力へのレッテル貼りとして利用している。

その最たるものが、今年6月28日に保守団体『自由総連盟』の創立記念行事での以下のような発言だ。

反国家勢力たちは、核武装を高度化させる北韓の共産集団に対し、国連安保理制裁を解除するように泣きつき、国連軍司令部を解体する終戦宣言の歌を唄って回った。

これは文在寅大統領をはじめとする文政権を批判するものだが、朝鮮戦争を終わらせようとした、盧泰愚や金泳三といった保守派大統領をも否定するばかりか、何よりも北朝鮮との対話を模索することイコール「反国家勢力」とする非常に危険なレトリックに他ならない。

南北は対立関係にあるため、韓国では北朝鮮を「反国家団体」とする国家保安法が存在し、北朝鮮に同調する勢力を取り締まることができる。

ごく少数ながら実際に北朝鮮の指令を受けスパイ活動を行う人々が存在し、今も裁判が行われている。

だが尹大統領の論法では、北朝鮮との対話を進め、朝鮮半島の恒久的な平和を目指すことすらも反国家勢力となりかねず、これは時代錯誤の社会観と言わざるを得ない。

さらにこの論法に従う場合には、あらゆる「民主主義運動家、人権活動家、進歩主義行動家」がスパイ疑惑の対象となる。人権運動出身の筆者も該当しかねない。

これは大統領の使命である「国民の統合」を完全に破壊し、60年代や70年代の反共を国是とする社会に戻すものだ。尹大統領の慶祝辞からは、36年にわたり培ってきた韓国民主主義へのどっしりとした自信を読み取れない。

前項でも触れたように、北朝鮮への勝利を確信した過去の正統派の保守とは大きく異なる感覚だ。こうした姿勢が単なる勉強不足から来るのか、もしくは理念的なものから来るのか筆者にはまだ分からない。

やや余談となるが、筆者はこの日、慶祝辞を読み上げる尹大統領の表情や表出される感情の変化にも注目していた。

すると演説を始めた時には落ち着いた様子であったものが、次第に熱を帯びていくのが分かった。ボルテージは最初から最後まで高まり続けていた。

最後の「自由を求めて苦難と栄光を共にした、大韓民国の国民の皆さんを誇りに思っております」という部分とそれに続く「ありがとうございます」という挨拶の後、すぐに壇上から降りたのも感情の昂ぶりから来るものだろう。

演説の内容を尹大統領が心底信じているように受け止められ、不安になった。妥協の余地が全く感じられない「凄み」がそこにあった。

万歳三唱のあと、国旗を振る尹錫悦大統領と金建希女史。写真は韓国大統領室提供。
万歳三唱のあと、国旗を振る尹錫悦大統領と金建希女史。写真は韓国大統領室提供。

(4)過去の日韓関係のスクラップ&ビルド

北韓の核とミサイルの脅威を源泉的に遮断するためには、韓米日3国間の緊密な偵察資産の協力と、北韓の核ミサイル情報のリアルタイムでの共有がされなければなりません。

日本が国連司令部に提供する7か所の後方基地の役割は、北韓の南侵を遮断する最大の抑制要因です。

北韓が南侵する場合、国連軍司令部の自動的かつ即時的な介入と報復が後に続くことになっており、日本の国連軍司令部後方基地はそのために必要な国連軍の陸海空戦力が十分に備蓄されている所です。

国連軍司令部は「一つの旗の下」、大韓民国の自由を堅固に守るのに核心的な役割を果たしてきた国際連帯の模範です。

3日後にキャンプ・デービッドで開催される韓米日首脳会議は、韓半島とインド太平洋地域の平和と繁栄に寄与する3国共助の新たな里程標となるでしょう。

最後は、日韓関係へのテコ入れだ。韓国の世論調査機関『韓国ギャラップ』の最新の調査(8月8日〜10日)によると、尹大統領の施政を肯定的に評価する最大の要因は「外交」(22%)である一方、否定評価の理由の4番手にも「外交」(7%)が挙がっていた。

同機関では毎週世論調査結果を発表しているが、前々回(8月1日〜3日調査)とその前(7月25日〜27日)の調査では「外交」が否定評価の筆頭(12%、16%)に挙がっていた。

このように、尹大統領の外交政策には韓国社会の高い注目が集まっている。その中心にあるのが日本との関係だ。尹大統領は徴用工問題における大幅な譲歩と引き換えに日米韓の結びつきを強める選択を行い、今のところこの選択はギリギリの所で評価を得ている。

だからこそ、日本の植民地支配からの解放を祝う光復節で、さらに日本の役割を周知させたかったのだろう。「国連軍司令部の後方基地」というカードがそれだ。

外務省HPにある「朝鮮国連軍と我が国の関係について(リンク)」によると「現在、朝鮮国連軍は、国連軍地位協定第5条に基づき、我が国内7か所の在日米軍施設・区域(キャンプ座間,横須賀海軍施設,佐世保海軍施設,横田飛行場,嘉手納飛行場,普天間飛行場,ホワイトビーチ地区)を使用することができる」とある。

尹大統領はこの事に言及することで韓国の国民に対し、韓国が日米の安保体制に「編入する」というようなマイナスのイメージではなく「日米韓の軍事協力は既にあるもの」として再認識させようとしたのだろう。

国連軍司令部の後方基地が日本にあるという事実を知る韓国市民はそう多くないため、新鮮な驚きとなって社会に響くはずだ。

このロジックは最近とみに尹錫悦政権の「カード」として使われている。今月10日には大統領室に国連軍司令部の幹部を招待した席でも「国連軍会員国との連携」に言及していた。

日本は国連軍に参加していないが実質的な国連軍の一員として、今後も韓国との軍事的な結びつきを強めていくだろう。おそらく8月18日に米キャンプ・デービッドで行われる日米韓首脳会談でも同じ内容が議題に上ると思われる。

このように、これまでの日韓関係の思考の枠組みを壊し、再建する作業を尹錫悦政権は着実に進めている。

●「妥協」の不在

一つの演説でその政権のすべてが判断できるものではないが、演説には政権の特質が少なからず露わになる効能がある。

何よりも8月15日は、大韓民国という存在そのものを捉え直す日であり、この日の演説が何よりも大切な所以である。

だが『偉大な国民、自由に向かう旅程』と名付けられたこの日の演説からは、国政への哲学も、歴史への理解とそこからの教訓も、何よりも「妥協」という政治的に最も大切な姿勢のいずれも読み取ることができなかった。

尹錫悦政権は今後、どこに向かうのだろうか。今回の分析が間違ったものになることを願って止まない。(了)

●(演説全文訳)第78周年光復節慶祝辞

尊敬する国民の皆さん、

750万在外同胞の皆さん、

今日は第78周年光復節です。

祖国の独立のために犠牲となり献身された、殉国烈士と愛国志士たちに敬意を表します。

そして遺家族の皆様に感謝申し上げます。

私たちの独立運動は、国民が主人である国、自由と人権、法治が尊重される自由民主主義国家を作るための建国運動でした。

単純に奪われた主権を取り戻し、過去の王政国家に戻ろうとすることではありませんでした。

自由と人権が無視される共産全体主義国家になろうとするものでは、より一層ありませんでした。

したがって、私たちの独立運動は人類全体の観点からも普遍的で正義にかなうものでした。

私たちの独立運動は主権を回復した後には共産勢力に対抗して自由大韓民国を守ることに、さらに産業の発展と経済発展、民主化へとつながりました。

今は独立運動の精神が世界市民の自由、平和、繁栄のために国際社会で責任と寄与を果たすというグローバル中枢国家のビジョンにつながっています。

私たちは祖国の自由と独立、そして普遍的価値のために自分のすべてを賭けた先烈たちをしっかりと記憶しなければなりません。

この方々をきちんと記憶することこそ国家のアイデンティティ、国家の継続性の要諦であり、核心です。

尊敬する国民の皆さん、

今年は休戦協定締結70周年であり、韓米同盟締結70周年になる年です。

私たちは共産侵略に対抗して国連軍と共に闘い、自由を守り、その後「漢江の奇跡」と呼ばれる産業化を成功させました。

自由民主主義を樹立し、韓米同盟を構築した指導者たちの賢明な決断と、国民の血と汗の上に大韓民国は世界が驚くべき成長と繁栄を成し遂げたのです。

反面、同じ期間、70年間全体主義体制と抑圧統治を続けてきた北韓は最悪の貧困と窮乏から抜け出せずにいます。

自由民主主義を選択し追求した大韓民国と共産全体主義を選択した北韓の克明な違いが如実に表れたのです。

それにもかかわらず、共産全体主義を盲従し操作扇動で世論を歪曲し、社会を撹乱する反国家勢力が相変わらず大手を振っています。

自由民主主義と共産全体主義が対決する分断の現実において、このような反国家勢力の蠢動は簡単には消えないでしょう。

全体主義勢力は自由社会が保障する法的な権利を十分に活用し、自由社会を撹乱させ、攻撃してきました。これが全体主義勢力の生存方法です。

共産全体主義勢力は常に民主主義運動家、人権活動家、進歩主義行動家になりすまし、虚偽の扇動と野卑で破倫的(反倫理的)な工作を日常的に行ってきました。

私たちは決してこのような共産全体主義勢力、その盲従勢力、追従勢力たちに騙されたり屈服してはなりません。

自由民主主義は必ず勝利するという信念と確信、そして、私たちがみな力を合わせる連帯の精神がとても重要です。

政府は発足後から自由、人権、法治の普遍的価値を共有する国々と、安全保障協力と先端技術協力を積極的に推進してきました。

韓米同盟は普遍的価値でつながった平和の同盟であり繁栄の同盟です。

日本は今や韓国と普遍的価値を共有し、共同の利益を追求するパートナーです。

韓日両国は安保と経済の協力パートナーとして、未来志向的に協力し交流しながら世界の平和と繁栄に共に貢献できるでしょう。

特に、韓半島と域内における韓米日安保協力の重要性が日増しに高まっています。

北韓の核とミサイルの脅威を源泉的に遮断するためには、韓米日3国間の緊密な偵察資産の協力と、北韓の核ミサイル情報のリアルタイムでの共有がされなければなりません。

日本が国連司令部に提供する7か所の後方基地の役割は、北韓の南侵を遮断する最大の抑制要因です。

北韓が南侵する場合、国連軍司令部の自動的かつ即時的な介入と報復が後に続くことになっており、日本の国連軍司令部後方基地はそのために必要な国連軍の陸海空戦力が十分に備蓄されている所です。

国連軍司令部は「一つの旗の下」、大韓民国の自由を堅固に守るのに核心的な役割を果たしてきた国際連帯の模範です。

3日後にキャンプ・デービッドで開催される韓米日首脳会議は、韓半島とインド太平洋地域の平和と繁栄に寄与する3国共助の新たな里程標となるでしょう。

韓半島とインド太平洋地域の安全保障は、大西洋、欧州地域の安全保障とも深く関わっています。

したがってNATOとの協力を強化することもとても重要です。

大韓民国の安保はインド太平洋地域の安保、大西洋と欧州の安保、グローバル安保と同じ軸線上に置かれています。

大韓民国が国際社会で全方位的に責任外交と寄与外交を遂行することは、世界の自由、平和、繁栄に寄与すると同時に、まさに大韓民国の自由、平和、繁栄を構築する道です。

政府が公的開発援助、国際開発協力、ウクライナの自由と平和のための支援に財政を投入して力を注ぐことは、究極的には大韓民国の自由、平和、繁栄のためです。

政府はまた「大胆な構想」を揺らぐことなく稼動させ、圧倒的な力で平和を構築するとともに、北韓政権が核とミサイルではなく対話と協力の道に出て、北韓住民の民生を増進させられるよう国際社会と共助していきます。

尊敬する国民の皆さん、

政府は発足以降、内外の挑戦とグローバルな複合危機の困難の中でも自由民主主義を守り、崩壊した自由市場経済を立て直すために息を切らして走ってきました。

堅固な韓米同盟、さらに普遍的価値を共有する国々との連帯と協力は、対外依存度の高い韓国経済が繁栄し発展する土台となります。

生死のかかった安保で協力する関係は、生活の問題がかかった経済と先端科学技術分野でも緊密に協力するしかありません。

政府は確固たるグローバル安全保障協力の基盤の上に積極的なセールス外交を通じて輸出と投資を増やし、先端科学技術協力を拡大するために最善を尽くしました。

企業中心、民間中心の市場経済の基調をがっしりと打ち立て、不動産市場の正常化を推進し、未来世代のため無分別な放漫財政を打開し健全な(財政)基調を定着させました。

そして社会的弱者と脆弱な階層に対する配慮と支援を国家の核心的な社会政策として採択し、政治福祉から弱者福祉へと財政支出の基調を果敢に転換しました。

持続可能な経済成長と良質な雇用創出のためには市場経済の原理がきちんと働かなければならず、公正で正当な補償体系が整えられなければなりません。

利権カルテルの不法を根絶し、公正と法治を確立し、特に手抜き工事で国民の安全を脅かす建設カルテルは徹底的に廃止されなければなりません。

投資の足かせとなっているキラー規制は、速いスピードで除去し、山分け式のR&Dシステムを改編し、科学技術革新を推進します。

科学技術競争力の核心は人です。結局は、人材を育てることです。

未来の成長動力である先端科学技術に果敢に財政を投入し、多様な学問分野が協力し融合型の人材を育成できるよう、高等教育を速いスピードで革新していきます。

さらに、教権が尊重され教育現場が正常化することで学生の学習権が実質的に保障されるようにします。

教育現場には規則が正しく働かなければならず、教権を尊重することこそが、規則を働かせる道です。

国民の皆さん、

私たちは自らの当代に国権を回復する可能性が希薄な暗黒の時期にも、国民が主人となる国、自由民主主義国家の夢を諦めませんでした。

自由を求めて出発した大韓民国の旅程は今、私たちに自由と独立だけでなく平和と繁栄をもたらしました。

私たちは今や世界市民の自由、平和、繁栄に責任を持って寄与しなければならない歴史的な宿命を喜んで受け入れなければなりません。

このために、私たちがずっと前に自由を求めて出発した旅程は、これからも止まらずに続いていかなければなりません。

もう私たちの旅は過去とは異なり寂しくありません。全世界の多くの友達が私たちと共にあり、私たちを応援しています。

自由を求めて苦難と栄光を共にした、大韓民国の国民の皆さんを誇りに思っております。

ありがとうございます。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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