Yahoo!ニュース

東京五輪に学校で観戦に行く必要はあるのか? ”子どもたちに感動を”では片付けられない4つの問題

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 東京五輪に学校が児童生徒を引率して観戦に連れて行く。コロナ前から計画されていたことが、いまもって大きな変更なく、進められようとしています。

 これは「学校連携観戦チケット」の事業を活用したもので、都内をはじめ、競技会場のある自治体や東日本大震災の被災地を中心に全国の小中高校や特別支援学校などを対象にしたものです。東京都の場合、都の予算でこのチケットを購入するので、子どもたちは無料で観戦できます。都では約81万人の児童生徒が観戦する予定で、約41億円の予算を計上しています(AERA2021年5月22日)。

■感動だからといって、安全リスクを過小評価できない

 「オリンピック・パラリンピックの感動を子どもたちにぜひ体験してほしい」。この事業を推進する方たちの主張の多くでは、そう述べられます。確かに、子どもの頃に経験したり感じたりしたことは、その後の人生に大きな影響を与えることもあります。

 ですが、多くの方が心配されるように、心配されるリスクや問題点にも目を向ける必要があります。ここでは4点に整理しておきます。

 第一に、大規模なイベントに子どもたちを巻き込んで、新型コロナの感染リスクが高いのではないか、という問題です。6月18日に発表された専門家有志の提言書(政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長ら)では、7月にかけて感染が再拡大する蓋然性は高く、感染拡大リスクが最も低い無観客が望ましいとしています。子どもだけでなく、引率する教職員にも感染リスクは伴います。

 第二に、熱中症をはじめとして、感染症以外の健康被害やトラブルの危険性も低いとは言えないことです。2018年に豊田市の小学校で校外学習から戻ったあと、小1の男児が熱中症になり、死亡しましたが、校外学習が行われたのは7月17日午前のことでした。

 自分で判断して動ける高校生ならまだしも、小学生の場合、自分ではSOSを発することができない場合もあります。また、大人数での移動中(公共交通機関を使う予定の学校も多いようです)や長時間にわたる観戦中に、体調を崩したり、迷子になったりする可能性もあります。食中毒(真夏日にお弁当持参?)、また突然の豪雨などの災害リスクも無視できません。

 野球やサッカーの試合などに一定の観客上限を設けた上で、大人が自分の責任と判断で観戦しているのと今回のは、次元がちがいます。

写真:つのだよしお/アフロ

 こうした心配もあって、NHKによると、「神奈川、埼玉、千葉の3県では、予定どおり観戦を行う自治体がある一方で、少なくとも48の自治体が観戦をキャンセルする意向を示していることが分かりました」(NHKニュース2021年6月16日)。一方、東京都は、コロナ感染拡大後、学校側の意向は確認していません(同NHKニュース)。

 最近のニュースによると、政府は、競技会場が緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の地域にあたる場合に学校側が参加するかどうかを判断するための基準が必要だとして、指針を検討しているようです(NHKニュース2021年6月19日)。ですが、指針とやらを待つまでもなく、上記の2つのリスクは相当高いと考えるのも自然なことではないでしょうか。

 もちろん、どんなことにも「ゼロ・リスク」はありません。たとえば、修学旅行でも過去には死亡事故も起きています。コロナ禍では、各学校は運動会の開催などもたいへん苦慮しており、延期をしたり、感染症対策をなるべく採った上で縮小したかたちで実施したりする例も多くありますが、どこまで対策を講じても、リスクはゼロにはなりません。

 この時期はプール(水泳)が始まる頃でもありますが、感染リスクが高いということで休止する学校もあれば、気をつけた上で実施するところもあり、さまざまです。給食は無言で食べているところが多いです。

 このように、日々の学校の活動や行事では、細心の注意を払いつつ、子どもたちにもガマンさせ、また教職員は神経をすり減らしつつ、リスクとベネフィットを天秤にかけて、対応している学校が多いです。五輪はどうなのでしょうか?

 内田良先生が『教育という病』(光文社新書)のなかで指摘しているのは、教育関係者(教育行政や校長、教職員ら)が、感動や子どもの成長などの教育的な意義を強調するあまり、安全、健康などのリスクを低く見積もってしまう問題です。「学校連携観戦チケット」の事業を推進したい人のなかにも、同じ問題、思考の罠はないでしょうか?

■感動の押しつけ?

 3番目の問題として、必ずしも子どもたちが観たい競技を観られるとは限らないことです。学校や学年ごとに何日に何を観戦するという計画が立てられていることが一般的ですし、引率できる教職員数にも限りがありますので、児童生徒一人ひとりの希望を聞いている余裕などありません。

 オリンピックを生で観られるなんて一生に一度かもしれない、と喜ぶ児童生徒もいるでしょうが、たいして興味がないのに行かされる、と感じる子もいることでしょう。少々意地悪い表現をすれば、「感動の押しつけ(押し売り)」となる可能性もあります。

 児童生徒一人ひとりの興味関心や探究したいことを大切にする「個別最適な学び」というのが、最近の教育のキーワードのひとつとなっていますが、みんなで同じ競技を観戦しに行こうね、というのは、個別最適からはほど遠いと思います。なにも観戦することだけが、学びの手段、ルートではありませんし、観戦するとしても、一人一台あるコンピュータ端末や自宅のテレビなどを使えば、自分の関心のあるものを観られるでしょう。

写真:アフロ

■学校が担うことなのか?

 そして4点目は、学校がさまざまなことを丸抱えする体制を強化、温存してしまっている問題です。言い換えれば、子どもたちにオリンピック・パラリンピックを観戦する場を提供したいからといって、安易に学校、教職員を狩り出しているのです。

 だれもが思いつくと思いますが、次世代を担う子どもに体験させたいなら、チケットに子ども優先枠などを設けて、各家庭で申し込みをして、行きたい人たちだけが行けばよいのに、学校でみんなで行こうね、としてしまっています。

 学校を使えば、引率は追加的な予算はかからず、実施できます。ですが、見えにくいかたちで、相当、学校、教職員に負担がかかります。前述のとおり、コロナ以外のさまざまなリスクも想定されるなか、各学校は入念に準備をし、当日は非常に気を遣いながら引率することでしょう。交通費などの会計事務もおそらく学校に丸投げでしょう。

 それでいて、「学校の働き方改革を推進しています」などと教育委員会は言うから、矛盾しているように聞こえるのです。教員志望者が減っているということは、多くの自治体の悩みですが、だったら、安易に学校の負担を増やすべきではありません。

 「今回のチケット斡旋があって、観戦を楽しみにしている児童生徒や保護者もいます。だから学校としては協力せざるを得ないのです」こうおっしゃる校長もいます(筆者の取材)。

 ですが、本来、五輪を楽しむかどうか、観戦するかしないかなどは、個々の子どもと家庭が決めていく話ではないでしょうか?楽しみにしている家庭があるからといって、学校が面倒をみないといけない話なのでしょうか?

 それでいて、今回の事業で、何か問題、最悪、死亡事案など起きれば、それは学校(とりわけ校長)の責任問題となります。

 たとえば、東京都はチケットを公費で購入して仲介しているに過ぎませんし、参加は「強制ではない」と明言していますし(毎日新聞2021年6月18日)、感染症や熱中症が心配ならキャンセルしてもらっていいという考えのようですので、都は責任を取らないでしょう。運動会や修学旅行なども同じですが、日々の教育活動の安全の責任者は校長なのですから、今回も校長ということになると思います。そもそも、学校行事としてオリパラ観戦を実施するなら、教育課程の編成権限をもつ校長が決めたこと、ということになります。

 一部の報道(前述の毎日新聞など)やわたしが校長らに聞き取った話によると、学校や市区町村教育委員会のなかには「今回の事業を辞退するというのはできない、無言の圧力がある」などと言う人もいます。

 しかし、今回述べてきたように、本当にリスク、問題は相当程度小さくでき、ベネフィットは大きいと言えるのでしょうか?そこがきちんと説明できないなら、ぜひ校長には「本校は参加しません」と言ってほしいと思います。もちろん、校長だけの責任や問題とせず、各教育委員会もしっかり検討してほしいと思いますし、コミュニティ・スクール(学校運営協議会)が設置されている学校では、いまからでも議論するべきでしょう。

 「行ったら絶対に感動するから」といった言葉で煙に巻いている場合ではないと思います。

◎妹尾の関連記事(2年前ですが)

東京オリンピックに子どもと教師を“動員”説から見える、教育行政と学校へのギモン

妹尾の記事一覧

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

妹尾昌俊の最近の記事