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性同一性障害特例法の違憲性の大法廷がもたらすもの―さまざまなひとたちの合意はどう見つけられるのか

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:イメージマート)

9月27日に、「性同一性障害」のひとが性同一性障害特例法に基づいて性別変更するときに生殖能力を失わせる規定が、憲法違反かどうかを問う最高裁大法廷ひらかれ、申立人側の弁論がなされた。その前日には申立人本人が裁判官の前で意見を述べる、異例の「審問」が開かれたそうだ。申立人の代理人による弁論でも、生まれたときとは異なった性別で生きることの困難さは伺い知ることができ、できるかぎり本人の困難が減り、望通りの生活ができますようにと祈らざるを得ない気持ちになる。

申立人が再三強調していた、「世の中に訴えたいことがあるわけではない」「社会全体を変えたいわけでもない」「裁判官にしか自分の困りごとの解決はできない」といった主張も、申立人個人としてはそういう気持ちなのだろう。けれども、大法廷で憲法違反という判断になった場合、性別の変更ルールに大きな変更を加えるのだから、世の中は大きく変わらざるを得ない。個人の願いを超えて、大きく社会的な問題であり、「私の願いをかなえて欲しい」といった申立人の願いを大きく踏み越える問題、社会的な問題であることもまた間違いがない。

私は法律の専門家ではない。そのためむしろ素人として、疑問に思ったことを書いてみたいと思う。

1)性同一性障害特例法は、性別変更の審判ができる条件として「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」と定めてある。申立人が、性同一性障害の診断を取り、ホルモン治療をしていることにより生殖機能が低下していることをもって、「生殖腺の機能を永続的に欠く状態にある」と主張しているのであるとすれば(確かに法律には「手術」の文字はないし、女性として生まれたひとが更年期を過ぎて生殖機能をうしなったことをもって、子宮や卵巣の摘出をしないで特例法を使って「男性」となった先例はある)、これは法律の個々の文章の解釈をめぐる問題に過ぎないのであって、必ずしも憲法の判断にする必要がないように思うのだが、どうなのだろうか?

2)ホルモン治療によって生殖機能が低下していることの「不可逆」性である。女異性のホルモンを摂取した、いわゆる「化学的去勢」のあと、ケースバイケースであると思うが、ホルモン摂取をやめても決して生殖機能が決して元に戻らないということが完全に証明できるものだろうか(当事者に聞いても意見はわかれるというのが、正直なところだが。証明書を出す医師はいる)。長期の摂取によってほぼ生殖器が縮み機能しない状態にある場合、生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあることができるかもしれない。そうしたケースの「永続的」な証明は、技術的に対応することが可能なのか。

なお今回の大法廷には直接関係ないかもしれないが、いわゆる経産省のトイレ裁判の最高裁の判決では男性ホルモン値によって、「性欲、性機能の抑制をもたらしていると判断できる」「性衝動に基づく性暴力の可能性は低いと判断される」といった医師の診断が出され、「女性に対して性的な危害を加える可能性が客観的にも低い状態」とされていた。しかし性暴力は性衝動からくるばかりではない(むしろ支配欲などの性欲以外からくることが「通説」とすらなっている)。女性ホルモンを摂取していれば性欲がまったくなくなると考えられているとすれば、それは「女性には性欲がない」といった俗説との違いはどこにあるのだろうと訝しく思った。個人的にはかなり望ましくないホルモン決定論であると思う(そしてこれはトランス解放運動に心を寄せる学者も、おおいに賛同するはずだ)。

3)特例法の対象となるひとは、身体とは違う性別に心理的には「持続的な確信」をもっていて、2人以上の医師の診断が一致し、「自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者」である。今回、手術を望まないとしても、ホルモンを摂取等していれば少なくとも、「身体的に他の性別に適合させようという意思がある者」と認めるという解釈をしているということでいいだろうか。周囲の強い身体違和をもつひとは、「男性器が付いたままでは、絶対に死にたくない」等と手術を望んでいることが多いからである(意地悪で言っているのではなく、法律の解釈の問題であるとご理解願いたい)。

女性から男性への性別変更は、すでに手術なしにおこなわれていても、誰も反対していない。そこに「フォビア」から反対する者など、皆無であろう。ただこれだけの問題になっているのは、男性から女性への容易な性別変更は、女性スペースの安全性を脅かすと考えられているからである。現在、性同一性障害の診断はクリニックによっては即日でる、場合によっては20分ででるなどの事例が多数知られるようになり、診断への信頼性も揺らぎつつある。

この大法廷へ至る過程で、性別適合手術のことを「断種手術」と呼んだりして、かなりの批判が行われた。しかし性別適合手術は、母体保護法との緊張関係のなかで、なんとか手術を望むひとたちの願いが実現したものであり、保険の適用もおこなわれている。個人的には、望んで手術を受けたいというひとたちの願いが、踏みにじられないようにならないかが心配である。彼らは現行の性同一性障害の特例法の維持を、強く望んでいる。当事者にもいろいろいることが、忘れられないようにも希望したい。

そもそも性別適合手術は、身体に対して強い違和感があり、それを解消するために行われます。精神科医が患者を診察して、本人が強く希望し、性別に対する違和感からくる苦痛・苦悩を取り除くためには手術をするしかないと判断して初めて行われるものです。…

当然、戸籍変更したいからというような個人の利得のために行うものではありませんし、それを理由として手術を希望しても、本来精神科医の診断は得られないし判定会議も通りません。

この法律は、手術を行い、男性として、あるいは女性として生きている人の戸籍上の性別を、そのままだとあまりに不便だろうから現状に合わせて変更しましょうというものです。

つまり、「特例法の要件を満たすために手術をする」のではなく「手術をした人の性別を追認する」ための法律なのであり、順序が逆なのです。

性同一性障害特例法の手術要件に関する意見表明 手術要件の撤廃には、更なる議論が必要 gid.jp日本性同一性障害・性別違和と共に生きる人々の会)

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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