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性同一性障害特例法をめぐる会見ーさまざまな「当事者」のありかた

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:イメージマート)

すでに記事になっていますが(戸籍上の性別変更には「適合手術」要件維持を 性犯罪被害の支援者らが記者会見)、私も8月10日の記者会見に行ってきました。そのお話のなかから、今回は「性同一性障害特例法を守る会」の代表で、自らも性別変更をされている美山みどりさんの提起について、お話しさせていただきます。

会見の焦点のひとつは、性同一性障害特例法をめぐって9月27日に最高裁大法廷で弁論が開かれることでした。法的に性別変更をするときの要件のひとつに、性別適合手術(生殖機能をなくす)があることが合憲か違憲かどうかが、争われているのです。

美山さんはそもそも特例法について、身体的違和が耐えがたいひとが性別適合手術を終えたあとに、社会生活をスムーズに行うための戸籍変更のための法律であると位置づけていました。戸籍変更を目的として性別適合手術をすることは、むしろ法の趣旨からは逸脱しており、むしろ手術をしたいひとのための法律なのだというのです。

なるほど、ひとことに「トランスジェンダー」といっても、立場によってみえる景色は違います。耐え難い身体違和をもっている性同一性障害のひとにとっては、手術はむしろ自ら望んでおこなうものです。これを障がい者などに強制されてきた「断種手術」と呼ぶことにより、傷つくひともいるということです。

それに対し、身体違和のない(もしくは少ない)けれども、違う性別で生きたいひとにとっては手術は必要ないため、手術をすることなしに性別の変更ができたらいいなと考えます。むしろ特例法を利用して性別変更をするために、深い身体違和がある振りをして、したくない手術をせざるを得ないことが問題になっているようです。そこには、身体違和のあり方や程度をめぐる差があります。

美山さんのような立場のひとにとっては、性別を変更する際に手術が行われているということは、「社会から信頼される根拠となっている」し、手術自体も「私たちのアイデンティティにとっても、重要である」と感じられるということです。また特例法によって社会に受け入れられてきたと感じており、特例法が「実質、差別解消法であった」と感じるのも理解できます。つまり女性のスペースに入ってきている女性が元男性であったとしても、現行の性同一性障害特例法によって性別変更をしているということは、「男性器」はないという推定が働き、そのことによって女性たちの安心を勝ち得てきたのだ、ということになります。

このように書くと、LGBTQ関連の運動をされているかたがたから、「ペニスはたんなる女根」「肉の塊」「ペニスに過大な意味を付与するペニスフォビアであり、トランスフォビアだ」「風呂でペニスを見たくないというなら、病院に行け」などという批判が投げかけられることがあるのは、経験的としてわかっています。だからこそ、なかなか議論が難しくなっています。

ただもしも手術要件がなくなれば、「本当の」トランスジェンダーと、トランスジェンダーの「ふり」をするひとの区別がつきにくくなくなるのは事実でしょう。こういう意見に対して、「デマ」だというラベルを貼り、「調べれば、ちゃんと本当のトランスジェンダーかどうかはわかるのだ」という主張をするひとがいます。しかしこの主張は、とんでもない「差別」です。

本人が性自認(ジェンダー・アイデンティティ)を表明しているのに、それを否定したり、ましてや「偽物」扱いをするなんていうことは、許されません。これが世界の、グローバルな「性自認の尊重」の意味です。もちろん、法的に差別を禁止すれば、疑ったほうが罰せられます。こうした「差別」が、日本でまかり通り、ときには「トランスジェンダーの振りをしても、調べればわかる」などという報道がどうどうとなされていることに驚きます。

そういう意味では、これまで特例法が、美山さんのおっしゃる通り、「性同一性障害」(性別違和・性別不合)と診断され、手術を受けるという基準があることで、当事者のかたを守る「盾」となっていたというのはよくわかります。また美山さんが、女性スペースのありかたや、そこでの女性や子どもたちの安全について、深い理解をされていらっしゃるのも、まさにそれこそが、さまざまなひとから「信頼」を得る態度だと思いました。

身体違和を持ち、性同一性障害という診断を受け、手術をしたあとに埋没(トランスしたことがわかられないように、異なった性別で生きていくこと)して生きていきたい美山さんたちのようなかたがたと、身体違和がなかったり(少なかったり)、手術を受ける気持ちはないけれども、特例法を利用して法的な性別を変えたいひとたちは、同じトランスジェンダーであっても、おそらく目指すものも、そして利害も異なるのでしょう。そこが問題を、より難しくしているのかもしれません。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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