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経産省トイレ裁判、裁判官は女性たちに何を求めるのか?

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
写真はイメージです(写真:アフロ)

経産省の女性トイレ使用をめぐる訴訟は、地裁、高裁と判決が二転三転としたが、やっと最高裁で決着がついた。原告(上告人)の勝訴である。

かなり特異な事例の裁判

女性トイレの使用をめぐって大きな注目を集めた裁判であるが、しかし判決にもあるようにこれは、「トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方について触れるものではない」。かなり特異な事例の裁判であることを、あらためて確認する必要がある。

まず原告はそもそも既に、職場で女性トイレを使用している。経産省の言い分では、違和感を示した女性職員がいたという理由で同じ階でのトイレの使用を禁じたため、2階離れたトイレを使用せざるを得なかったという「特定の女性トイレ」の使用をめぐる裁判である。また原告は、性同一性障害の診断受け、性別適合手術こそ受けていないが、「ホルモン治療」もおこない、女性の名前で、職場にもさまざま配慮を受けつつ、「女性」として働いている。さらに言えば、繰り返すが「不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設のトイレ」ではなく、主に同じひとたちが使う職場のトイレ使用の話である。また原告が長い間、女性トイレを使用してトラブルが起こらなかったという側面も大きい。

なので、これをもって「身体が男性でも、性自認に基づいて誰でも女性トイレにも入っていいという判決がでた」と考えるのは間違いである

判決に際して、5人の裁判官が「補足意見」を述べている。既に新聞報道もされているが、トランスジェンダーの法益に着目してまとめられたものが主である。ここでは女性に関して、何が述べられているのかについて、まとめてみたい。

写真:イメージマート

宇賀克也裁判官「研修の必要性を」

地裁と高裁で判断が異なったのは、①トランスジェンダーが自己の性自認に基づいて社会生活を送る利益をどれくらい重要と考えるか、②同僚の女性が、原告と同じ女性トイレを使用することに対する違和感・羞恥心等をどの程度重視するか、この2点をどれくらい重要だと考えるのかの認識の違いによると思われる。

女性の違和感・羞恥心等の心情の側を検討するとすれば、女性トイレを使用することにより、トラブルが生ずる具体的なおそれはなかった。平成27年の時点で、原告が女の服装で勤務してから4年が経過しているのだから、同じ女性トイレを使用する可能性があったとしても、「そのことによる支障を重視すべきではなく」、「性自認に基づくトイレを他の女性職員と同じ条件で使用する利益を制約することを正当化することはできない」。

違和感・羞恥心等は、トランスジェンダーに対する理解が必ずしも十分でないせいなので、研修を受ければかなりなくなるはずである。平成21年の時点では仕方なったとしても、「早期に研修を実施し、トランスジェンダーに対する理解の増進を図りつつ、かかる制限を見直すことも可能であった」。性自認に基づいて他の女性たちと同じ条件でトイレを利用する原告の利益を、過少評価してはならない。

このように宇賀克也裁判官は、女性たちの違和感・羞恥心等はトランスジェンダーへの理解不足によるのであると考え、研修の必要性を説いている

長嶺安政裁判官「女性たちの違和感が消えたかどうか、調べるべきだった」

経産省は女性と原告の間の調整を取ろうとしたようだが、トイレの制約から考えれば、不利益を被ったのは原告だけだった。急な性別移行の話に混乱はあったかもしれない。しかし4年が経過した時点で、女性職員が当初抱いた違和感があったとしても、消えたのかを調査を行い、対応を見直すべきだった。

このように長嶺裁判官は、女性たちの違和感が消えたかどうかを調査し、見直しをしなかった経産省が問題だと指摘している。

渡邉惠理子裁判官「女性も多様である」

女性職員らの利益を軽視することはできない。しかし一般に、最初はトランスジェンダーの性自認に基づくトイレ利用に違和感をもっても、「事情を認識し、理解することにより」、そのうちに違和感がなくなるとも言われている。「誤解に基づく不安などの解消のためトランスジェンダーの法益の尊重にも理解を求める方向」で働きかけることも重要であった。女性たちの理解を求めるように努力するべきだった。

トイレ使用の説明会の会場で、はっきりと女性トイレの使用に異議を述べなかった女性がいなかったのは、戸惑いや気後れもあったかもしれないが、異論がなかった女性もいるからかもしれない。女性もいろいろである。

原判決が、こういった女性職員らの多様な反応があり得ることを考慮することなく、「性的羞恥心や性的不安などの性的利益」という感覚的かつ抽象的な懸念を根拠に本件処遇および本件判定部分が合理的であると判断したとすると、多様な考え方の女性が存在することを看過することに繋がりかねないものと懸念する。

女性職員らが一様に性的不安を持ち、そのためトランスジェンダー(MtF)の女性トイレの利用に反対するという前提に立つのではなく、性的マイノリティの理解を求め、「教育等を通じたそのプロセスを履践していくことを強く期待したい」。

このように渡邉裁判官は、時間の経過とともにトイレ利用に違和感がなくなるという一般論を紹介し、また女性の意見の多様性を説き、すべての女性がトランスジェンダーのトイレ利用に抵抗があるとは限らないと主張する。そして性的マイノリティの理解を求めて教育等が必要であると述べる。しかし私見ではあるが、一人でも不安をもつひとがいるとすれば、その意見は無視されてはならないのではないだろうか。なお林道晴裁判官は、渡邉裁判官の補足意見に「同調」するという。

今崎幸彦裁判官「その先の問題を議論すべき」

今崎裁判官によれば、真摯な姿勢で調整を 尽くしてもなお、関係者(女性たち)の納得が得られないという事態はどうしても残る。また調整の過程で、プライバシーの保護の問題が出てくる。多くの人の理解を得るためには今後、社会全体で議論され、コンセンサスが形成されていくことが必要である。このように今崎裁判官は、とくに女性にだけなにかを求めることはせず、納得が得られない場面も想定しているようである。

以上、報道ではあまり取りあげられることがない、女性の側への裁判官による補足意見をまとめてみた。確かに性自認に基づく法益と、女性の法益が衝突する際には、調整が必要となるだろう。ただおそらく女性の戸惑いは、違和感・羞恥心だけではなく、安心安全と呼ぶべきものもあるのではないか。もしそうであるならば、女性側だけに研修や教育をおこなえば問題が解決するものでもなく、そもそものトイレの施設のありかたから問い直す、制度的解決が必要なのではないだろうか。

Twitterではいま、ガレソさんが原告のアカウントを紹介したことで、原告のフォロワーがすでに1.5倍に膨れ上がり、ちょっとした騒ぎになっている。

「判決言い渡しが迫ってきた………緊張をほぐすために、ひとこといいですか? おならプーおしっこじょー」「判決です。みなさんさようなら。主文 原判決を破棄し、上告人は死刑」「きんたまキラキラ金曜日」。添付されたツイートのスクリーンショットに、驚いた人が多いようである。ただ、性的マイノリティであるからといって行儀よくしていなければならないという道理もないだろう。むしろ属人的な問題を離れて、今後はより良き制度のありかた、皆が納得する制度のありかた、すべてのひとを差別せず、安全を犠牲にしない制度についての議論を重ねていく必要があるだろう。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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