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心愛ちゃんのお母さんひとりを、非難できるのか?

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真はイメージです)(ペイレスイメージズ/アフロ)

痛ましい事件だった。この寒い1月24日、千葉で小学校4年生の心愛ちゃんが、父親によって冷水シャワーを浴びさせられて、虐待死したのだ。そして2月4日、今度は母親が、「暴行を長時間、黙認した」という罪状で傷害容疑で逮捕された(千葉小4女児死亡事件、母も逮捕 暴行を黙認した疑い)。

SNSでは心愛ちゃんが気の毒だという思いから、「当然だ」という声も多い。尾木ママこと尾木直樹氏も、「母親も父親から暴力受けていた」と認識しながらも、「娘守る」ことをしなかったことを非難している(尾木ママ、小4女児虐待死で母親も逮捕に激怒「なんという酷い!」)。

尾木ママは、最新のブログでは、「父親への恐怖心・暴力から 保身の為に見るだけで止められず共犯になってしまったのでしょうか?」とも書いている。しかしいくら「親」といっても、本人自身が夫からの「暴力被害者」でもあるときに、その暴力を止めることはいうほど、簡単ではない。被害者である母親の立場に身を置いてみれば、手放しで批判する気にはとてもなれない。DVがどのようなものかわかっていれば、もし自分だったとしても、きちんとやり遂げられるか、自信はない。

報道によれば、一家が沖縄に住んでいた2017年には、児童相談所に通報したのは、父親のほうだったという虐待死の心愛さん、沖縄に住んでいた 「娘を返してくれない」と相談も)。

「(妻の)祖父母が娘を返してくれない」という内容で、むしろ市や児相の焦点は心愛ちゃんへの虐待よりも、父親から「妻への暴力」への疑いであったようだ。市から児相への情報提供があったという報道と、母親が「夫から家庭内暴力を受けている」と、児童相談所に伝えていたという報道がある(千葉10歳女児 冷水シャワー 虐待死 父親栗原容疑者の“二面性”)。

おそらくこうした騒動から、一家は千葉に引っ越した。そこで心愛ちゃんは、「ひみつをまもりますので しょうじきにこたえてください」という約束で、アンケートで父親の暴力を相談した。ところが、父親に怒鳴り込まれて市の教育委員会の担当者は、「精神的に追い詰められて、やむにやまれず(アンケートのコピーを)出してしまった」というのである(「先生、どうにかできませんか」…虐待訴える女児のSOSはなぜ父親に渡ってしまったのか)。

教育委員会という組織に守られている担当者が、なによりも守らなければいけない児童の安全を脅かすような真似をするくらいの恐怖を感じたのだ。おそらくこのことは、心愛ちゃんへの虐待をエスカレートさせただろう。そして、母親の絶望も深くなったに違いない

子どもが勇気を奮って学校で父親の暴力を告発したにもかかわらず、児童相談所も騙され、教育委員会ですら何もしてくれない。それどころか、自分たちを切り捨てるような行為までしたのだ。そのときの絶望は、察してあまりある。

ましてや母親は、一歳の乳飲み子を抱え、故郷の沖縄を捨てて、見知らぬ千葉にまでやってきているのだ。子どもの世話だけでも、へとへとになっている時期である。誰を頼ればいいのだろうか。夫から子どもを連れて逃げたとして、その後どうなるのだろうか、思案しただろう。そして自分たちへの暴力が、最終的に子どもの死をもたらすものだとまで、どれほど認識できていたのだろうか

この結末を知っていれば、もちろん、死に物狂いで逃げただろう。しかし、暴力のさなかにいるひとは、自分がどのような暴力を受けているのかを認識することすら、難しいものなのである。離婚を選択すれば「我慢が足りない」といわれ、事件が起これば「なぜ逃げなかった」といわれる。暴力被害者が、そのときそのときに「正しい選択」をするのは、とても難しかっただろうことは、想像がつく

「夜中に夫が娘を屋外に立たせることがあった。止めようとしても聞いてくれなかった」と母親は言っている。それはそうだろう。そしておそらく、父親が家庭内暴力の加害者であれば、母親が止めようとすればするほど、父親の暴力は増すものだ。母親が子どもを愛していればいるほど、その愛情の対象に加害することは、子どもと妻への支配の力を実感させるものだからだ。実際に母親が愛する我が子に手を下したとしたら、さらに「支配」としては完璧だろう。

警察に通報すれば、と私たちは思う。しかしそれまで、児童相談所も教育委員会も、心愛ちゃんたちを守るどころか、何もしてくれず、むしろ彼らを切り捨ててきた。「警察を呼ばなかった」といわれるが、警察を呼んだとして、警察は心愛ちゃんとお母さんを暴力から救えただろうか。もしも失敗したら、その後どのような報復が待っていただろうか。

他人を糾弾することはたやすい。しかし、子どもを殺され、お前が守らなかったせいだと逮捕され、乳飲み子を一人置いていかなければいけなかったお母さんの気持ちを考えれば、胸が締め付けられる。非難されるべきは、自分も暴力を受け、心愛ちゃんを守れなかった、お母さんひとりなのか。どうして心愛ちゃんの命を救えなかったのか、どうしてお母さんが心愛ちゃんを守れなかったのか、そのことをきちんと解明してほしい。それが心愛ちゃんの死を悼むために、いま私たちができることなのではないだろうか。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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