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【追記あり】独身税よりも、「子ども運賃4人まで無料」で出生率をあげるべきだ

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(ペイレスイメージズ/アフロ)

独身税の提案?

かほく市の「ママ課」が独身税を提案したというニュースを書かせていただいたが(子育て支援が独身ハラスメントであってはならない―かほく市ママ課の「独身税」提案)、その後、「独身税」という言葉は使っていなかったのではないかという記事も出た(「独身税の提案はしていない」 かほく市ママ課が炎上、関係者は発言否定)*【追記参照】。

記事によれば、「独身でいるよりも家族でいる方が負担が大きくなるのは何とかなりませんか」という質問であったり、

「高齢者は経費の負担が大きい。子どもを持つ世代も、子育てにお金が掛かったり、家を建てるのにお金が掛かったりする。負担の大きさが世代や家族構成によって違う」という趣旨の発言だったりしたという。

かほく市は一度「独身税」発言をHPで否定したが、その後削除されたようで、真相はわからない。記事通りであったとしても、発言の内容は、ほぼ独身税に近いと思われるが。

独身は得をしているか?

独身税という言葉は、ママ課のプロジェクト参加者の女性たちのオリジナルでない。日本でも、例えば山田昌弘さんのパラサイトシングル論(1999年)が流行したときには、独身税が提案されていた。それからも、ちらほらとまた聞くようになった。それに対して少しばかりの危惧があったからこそ、記事を書いたのである。

たとえ「ママ課」のプロジェクトに参加した女性たちが「独身税」という言葉を使っていなかったとしても、発言に「独身は得をしている、ズルい」という感覚があることは否めないだろう。税制的に優遇されているのは、実は専業主婦(主夫)の世帯で、手当他を含めても現状の制度がすでに「独身税」(ついでに母子家庭税と共働き税も)を課しているようなものですよ、といっても納得はされないだろう。

誤解を恐れず言えばその根底にあるのは、「私たちは、将来の国民を自分たちの稼ぎで養って、国家や社会に貢献している。ところが、独身者は自分の稼ぎを全部使っている。子どもに時間もお金も使わないなんて、ズルい」という感覚ではないだろうか。

今日のヤフーニュースで(「常勤講師「結婚できない」 京都、教員の12人に1人」京都新聞)という記事が取り上げられているように、経済的状況から結婚すらできないひとたちすらいる、といっても、おそらくその不公平感は消えないだろう。もちろん、結婚「できない」と思っている側、望んだのに子どもができなかったひと、パートナーが同性で現状では結婚という制度を利用できないひとたちからすれば、「さらに独身税で追い打ちをかけるとは、どんな罰ゲームだ。ふざけるな」というところだろう。この争いは、不毛である。

子どもをもつのが得か、損か、といった話、子育てが国家や社会への貢献かどうか、といった話は、もうやめるべきではないか。親がどのようなライフスタイルを選択しても、得も損もしないように、個人単位の中立な制度を設計するべきだ。ただし、「子ども」へのサポートは別途、手厚くするのである。このことによって、親にとって子育ては、ある意味で「レジャー」や「楽しみ」となり得る。そのほうがよほど出生率の上昇に寄与するのではないか。

罰ではなく、楽しみを

そもそも保育園にかんしても、「保育園落ちた日本死ね」のブログによって問題になるまでは、待機児童問題が「社会」問題とみなされていなかった節がある。保育園は「働く」というライフスタイルを選択した「一部の女性」の利益のためにあると考えられてきた。

「なんで、勝手に働くことを選択した人のために、税金を投入しなければならないの? それでまた世帯が潤うくせに。私たちは無料で子育てをやっているのよ。ああ腹が立つ。保育園なんて必要ない」という意見を、実際に専業主婦から聞くことも多かった(反対に、働く女性からは、裕福な専業主婦だからこそ習い事をはじめとした手厚い子育てができることに対しての「幼稚園コンプレックス」を聞くこともある)。

しかし共稼ぎが標準となってきた世界的潮流のなかでは、保育園はその位置づけを変えつつある。

保育園は、働く親たちのためにあるのではない。むしろ早期に子どもに教育を与え、子どもの能力を伸ばすことは、将来の不適応を減らして、格差を解消し、生活保護や犯罪関連などの福祉を削減する効果すらあるのだと考えられ始めているのである。

受益者はあくまで「子ども」であり、結果として「社会」も得をするというロジックだ。この場合は、両親が働いているかどうかというライフスタイルと、保育園とは関係がない。親が専業主婦(主夫)を選択したとしても、「子ども」は教育の受益者になるべきなのだ。

ちょっとした「レトリック」の違いのように見えるかもしれない。しかしその効果は、それなりにあると思われる。

例えばスウェーデンのストックホルムの空港列車の料金は、「チケットを持つ大人1人で0から17歳の子どもの最大4人までの付き添い」が認められている。このように多くの子どもの交通運賃が、実質上、無料なことが多い。また各種の入場料なども、子どもを含む料金に対して、大人1人だけの料金が、びっくりするほど高いこともある。子どもを連れていないと「相対的に損をした気分」にはなる。がしかし、レストランで子連れエリアとは離れた、静かで素敵な場所で食事をするときには、「子どもを連れていない利点があるな」とも思う。

要は、「子ども」によって「子ども」の分を得ているひとたちがいるだけの場合には、自分のライフスタイルが否定されるわけではないので、腹は立たない。

出生率の要因に関する議論は複雑で、たくさんあり、ここでは紹介しきれない。しかし確実にいえることは、日本で子連れに対する憧れをもつことは難しい、ということである。独身税を課せばなおさら、独身者は子連れに対して厳しいまなざしを向け、子育て環境はいっそう悪化するだろう。子育てへの憧れがなければ、出生率が上昇しないことだけは、確実である。

子育ては、喜びも苦労もある。ただし、子どもがいることによって、金銭的には得も損もしない。ただ子どもに対しての必要なサービスや財が提供される社会では、子育ては純粋に「楽しみ」の問題となる。その場合、子どもが嫌いな人間は、割合としては少ないのではないか、という気がしている。「独身だと損をする」のではなく、「子どもの分だけは保障されている」社会が望ましくはないだろうか。税や社会保障も、そのように設計されるべきではないだろうか。

【追記】*部分、その後かほく市より「かほく市では、当日の意見交換会におきまして、国民の将来負担に関してママ課のメンバーと財務省主計官が自由に意見を交わす中で、新聞記事に掲載されました趣旨の発言があったことは事実であると認識しております」とのお詫びが掲載された(かほく市ママ課の独身税提案報道について)(2018年9月6日0時19分)。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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