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形が立派だけじゃダメで、心が大事 映画『アイヌモシㇼ』を通して出演者が感じたこととは

佐藤智子プロインタビュアー、元女性誌編集者
(写真提供/(C)AINU MOSIR LLC/Booster Project)

 阿寒湖のアイヌコタンを舞台に制作された映画『アイヌモシㇼ』。実際の住人たちが本人役で出演するという史上初のフィクションとして話題を呼んでいる。先住民族アイヌの伝統文化、今を生きるアイヌ住民たちのリアルな一面を描く作品は、トライベッカ映画祭で審査員特別賞を受賞など、高い評価を受けている。

福永壮志監督のインタビュー、主要キャストの秋辺デボさんのインタビューに続き、本作品の主人公、下倉幹人(カント)君の母親でもあり、本人役として出演した下倉絵美さんに、アイヌコタンにて、インタビューを試みた。

―― 映画『アイヌモシㇼ』の主役を幹人君でと、いつごろ話が来たんですか。

下倉 2018年の初めくらいですかね。

―― 幹人君って、この映画がデビュー作なんですよね。

下倉 そうですね。

―― もう圧倒的な存在感でした。今、幹人君は何歳になっているんですか。

下倉 16歳。高校1年生です。

―― 福永監督からオファーが来たときに、幹人君はどういう反応だったんですか。

下倉 「監督にそう言われているけれど、興味はある?」って聞いたら、「うん」と、まあシンプルなものです。

―― この映画は、ものすごくリアルなドキュメンタリー風ですが、台本はあったんですよね?

下倉 一応台本はあります。でも、幹人には見せていないです。福永監督から言われていたので。福永監督がその場その場で、こういうシチュエーションでこういうふうに動いてと言いながら進めていった感じですね。

本当の親子だからこそ自然の演技ができて

―― 絵美さんと幹人君の親子のやりとりがものすごくリアルでしたね。

下倉 実際、親子なんでね(笑)。

―― 撮影時は中学生で、ちょうど反抗期というんですか、「行かない」「行かないんだったら行くよ」みたいな会話のシーン。普段からあんな感じなんですか。

下倉 いえ。映画だから、ちょっと。

―― ちょっと?

下倉 映画では寡黙な男の子ですけれども、普段はもっと元気ですよ。

撮影の現場の雰囲気がすごくよかった

―― 絵美さんもすごく演技が自然で、ミュージシャンをされているから、表現したり、人前に出るのに慣れているのかなと思いました。

下倉 阿寒湖で撮影したことが一番、良かったんだと思います。あと撮影スタッフの雰囲気も良かったし。

―― どういうふうな感じだったんですか。

下倉 結構何回も顔を合わせたり、話をしていたし、みんなフレンドリーで。

―― すごく少人数で来られていたんですよね。

下倉 そうですね。15人くらいかな。

―― 最初に監督から、どういう映画を撮りたいとか、説明がありましたか。

下倉 はい。ちゃんと台本も見せていただいたりしていました。他の方も見ているとは思います。

―― 実際に幹人君は二つ返事で「うん」と言ったけれども、絵美さん自身は映画に出るというのはどうだったんですか。

下倉 積極的に出たいという感じじゃなかったですけれども、息子が主役となった時に、まあ母親だし、そばにいたらリラックスするかなと思ったのが第一です。

阿寒にあるアイヌコタンは観光スポットとして有名(撮影/佐藤智子)
阿寒にあるアイヌコタンは観光スポットとして有名(撮影/佐藤智子)

―― 映画の中では、絵美さんは民芸店をされていましたが、実際は。

下倉 実際はアイヌコタンではしていないです。両親が昔アイヌコタンで民芸品店をやっていて、幼少期はコタンで育ったんですよね。今は妹夫婦が引き継いでアイヌ料理屋をしています。

―― この集落は、皆さん仲がいいですね。映画同様、絆が深いですか。

下倉 アイヌコタンは、もう生活の場と仕事の場が一緒というか、近辺に住んでいるので行事や祭りも協力しながらやっています。

―― アイヌの集落でも、ここまで芸能に長けた集落はあんまりないって聞いたんですけれども。皆さん、歌が歌えたり、踊れたり。

下倉 先輩達が熱心だった事と、後輩が学んだり教わったりする機会がコミュニティの中にあったからでしょうね。

アイヌコタンではみんなが伝統的な踊りを学ぶ

―― 絵美さんも伝統の踊りは踊れるんですか。

下倉 はい。3歳ぐらいの幼少の頃から地域のおばさんたちに教わりました。

―― それは、みんなで集まりがあって。

下倉 そうですね。観光客が多い夏のシーズンではなくて、冬の閑散期になると、保存会の活動で、夜に集まって舞踊や歌を先輩から学ぶ時間があるんです。

―― それは誰が教えているんですか。

下倉 その地域のおじさんとかおばさんとか。

―― 先生とか師匠がいるわけではなくて。

下倉 アイヌとひとくくりに言っても、いろんな地域差があるので、そこの保存会の方々が習うものは、その地域の年配の方々から学んでいると思います。私達も、各人が先輩から学んできたことを出しあって学んでいますよ。

―― アイヌの伝統的な踊りというのは、もう体に染み付いているわけですね。誰か師匠みたいな人に教えてもらったというよりも、みんなで教え合って。

下倉 師匠が1人じゃなくて、そこに住んでいるフチ(おばあさん)とかエカシ(おじいさん)に教わったり、または学び合ったり、近所のおばさんたちに教えてもらったり、自分の親族に教えてもらうことも。私の場合は、父方も母方の祖母もアイヌなので、特にそういうものに触れる機会は多かったんだと思うけれども。でも、そうじゃない方も、他の地域で学んで大事にしている方もいるし、アイヌの方だけじゃなくて、血のつながりはなくてもしっかり受け継いでいる方もいらっしゃるし。阿寒は観光地で、毎年いろんな人との出会いがあるし、交流が多いのでそこからずっと続いているつながりもたくさんありますよ。

アイヌコタンでは伝統的な踊りをみんなで教え合っているという(写真提供/(C)AINU MOSIR LLC/Booster Project)
アイヌコタンでは伝統的な踊りをみんなで教え合っているという(写真提供/(C)AINU MOSIR LLC/Booster Project)

―― この映画を撮るということになって、実際に生活しているのと、演出されるというのは違和感はなかったですか。

下倉 映画ってだいたい2時間以内に収めますよね。だから、その中でアイヌの全てを表すことって難しいと思っていて。

―― そうですね。

下倉 映画を観た皆さんの感想を聞くと、こうだったらいいなとか、もっとここを分かりやすくとか、いろんな意見があるけれど、少年の目を通して、入り口をたくさん提示している映画で、そこから皆さんがそれぞれ疑問に思ったり、何だろうと思ったことを話し合ったり深めていくというか。

―― そのきっかけになればね。

下倉 そうですね。

―― 私もそう思いました。全てを語り過ぎていないところがいいなあと。

下倉 ストーリーの中の1つをとっただけでも、すごくたくさんの情報があるし。なので、それはこれから皆さんがどういうふうに理解していくか。映画を通して初めてアイヌのことを知ったという方もいると思うので、その後に興味を持って自分から近づいていくというきっかけになるんじゃないかなと思っています。

映画を観た方の感想を聞いて、なるほどと思えることがある

―― 映画に出演して、ご自身が本人役をやって何か変化がありました?

下倉 映画を見た方が時々いらっしゃいますよ(笑)。

―― それはどうですか。

下倉 いや、もう映画の人物じゃないのになあと思って(笑)。皆さんに「わあーエミさん!」なんて言われるけれども、「どうも、はじめまして」みたいな、なんか変な感じです。でも、実際に阿寒に来た方の感想を聞いて、そういうところに関心を持ったんだなと、逆にこっちがなるほどと思えたり。

―― 例えば、どういう感想を言われたりしました?

下倉 あの映画はフィクションなのか、ノンフィクションなのか分からないところもあって、これが今の阿寒のコタンなんだって思う方もいるし。ちょっと違うんですけれどもね。

―― 違うんですか。

下倉 だって、演出は映画だから絶対にあるし、でも映画の中の世界をそのまま現実と思われて、映画の中では夫が亡くなっていますけど、夫を紹介したら、「え、旦那さん生きているんですね」とか。「あれは制作されたものですよ」と毎回説明します(笑)。

―― 幹人君の世代は、10代の戸惑いとか、いろんな感じ方があったりとか。なんかすごくリアルな感じがしたんですけれども。

下倉 映画は一例だと思いますよ。もっといろいろあると思うし、逆にみんながそう思うかは分かりません。それはアイヌの人それぞれだと思います。あの映画の中のカントと自分を重ねる人もいるだろうし、私はこうだったと思う人がいたり。

みんなで作った感が一番強い

―― 映画を撮り終えてから、改めてアイヌのことを考えるとか、そういった変化はなかったですか。

下倉 あんまり変わったというのはないかな。でも、福永監督はすごく頑張ったな、みんなすごいなって。自分も出ているんですけれども。

―― みんなで作った感がありますか。

下倉 そうですね。みんなで出演して、みんなで作った感が一番強いなと思って。

―― 映画を観客として見た時はどんな感じでした?

下倉 もう涙がちょっと。じーんみたいな。

―― どこで泣きました?

下倉 それぞれの気持ちになって、なんか泣けるみたいな感じです。見ていて誰に感情移入をするかって、人それぞれだと思うんですけれども、世の中に、もしかしたら、そういう人っているよなとか。母親や父親に繋がる自分のルーツを考えたりとか、自分だったらどうかなって思う人や幹人みたいな若いアイヌだっていっぱいいるだろうし、おじさんたちの葛藤だったりいろいろですけれども。アイヌじゃない人もいろんな葛藤はあるし、父親を亡くした人だっているし、母子家庭の人だっているし、人生の途中から気づいた人もいるし、血の繋がりはなくてもアイヌの家で育った人もいっぱいいるし。地域や民族を支えている伝統的なものをみんなどう考えるんだろうな、とか。あんまり客観的に見られなくなっちゃっていて。

アイヌコタンに住む人たちの自然な演技が好評

―― 出演者として、「私の表情がもうちょっと」とか。

下倉 それはありますよ。

―― もっと光が当たっていればとか。

下倉 「もうちょっと化粧を濃くしておけば映画映えよかったのに」とか、「ずり落ちそうなエプロンを着けてたよな」とか、それはまあ、女目線で。

―― それが自然体で良かったんですよ。親子の会話も本当に。

下倉 あれは本当に普段のことなんで。「幹人、起きなさい」とか「なわけないでしょう」とかいうのは普段どおりですね。

―― それが物語をすごくリアルにしている感じがしたんですよね。お二人の親子の関係性があまりにも自然だから、映画の世界に入れちゃったんですよ。

下倉 よかった。

2020年7月に白老町に開業した『ウポポイ』(アイヌ文化の復興、創造、発展のためのナショナルセンター)。ウポポイとはアイヌ語で「大勢で歌うこと」を意味する(撮影/佐藤智子)
2020年7月に白老町に開業した『ウポポイ』(アイヌ文化の復興、創造、発展のためのナショナルセンター)。ウポポイとはアイヌ語で「大勢で歌うこと」を意味する(撮影/佐藤智子)

―― ウポポイができたりとか、東京では、アイヌの民芸品展をやったりして大盛況なんですけれども、それはどう思われますか。 

下倉 いろんなところで最近注目されていますね。

―― それはどう受け止めます? 嬉しいことですか?

下倉 まず関心を持たれているということはいいことだと思います。

―― 絵美さん自身は、アイヌというものをどうとらえていますか。アイヌではこういう教え、よく子どもの頃からこういうふうに教わってきたよとか、何かありますか?

下倉 アイヌとはって、一言でまとめられないですよね。

―― カムイ(神)という存在、全てのものに魂が宿るみたいなことを教わったとか、アイヌの伝統を継承するために勉強したとかありますか。

下倉 今もずっとしていますよ。アイヌ語も今、一生懸命学んでいますし、今日もまた講座に行っていました。

―― それは、どういうものなんですか。

下倉 伝統工芸を学ぶということで、講師の先生を呼んでサラニプというショルダーバッグ作りを学んでいました。みんなで一生懸命3時間ずっと糸作りですよ。

―― そういったことは最近の動きなんですか。

下倉 いや、ずっと昔からやっています。冬場、お客さんが来ない時は、みんな集まって、踊りを学んだり、工芸をやったり、着物作りをやったりとか。あちこちでみんなで学び合いっこしたりして。

―― それは、みんながやらないといけないことなんですか。

下倉 いえ。「誰も強制なんかしていないよ」って、映画のセリフと同じですけど(笑)。

―― なぜ、アイヌのことをいろいろ学ぼうと思うんですか。

下倉 私の場合は、アイヌ語を学ぶのは、歌を歌っていたからでもあるし、言葉の中にアイヌの考え方があると昔から言われていて、実際にすごく楽しいし、勉強になるし、面白い。例えば、どこかで歌っていても自分自身がその歌の意味を知っていないとなと思う。そう思うか思わないかは人それぞれだから分からないけれども、この土地に住んでいると学ぶことがたくさんです。

―― 絵美さんとしては、アイヌの言葉で歌おうとか。

下倉 自分の日常会話は日本語だし、日本語で考えるじゃないですか。でも、それがアイヌ語でふっと出てきたら嬉しいなと思います。

アイヌ語の勉強を初歩の初歩からやっている

―― 今、どれくらいアイヌ語を勉強されているんですか。

下倉 本当にちまちまですよ、亀のように。集中したらガッと入り込むけれど、日常の雑事でいっぱいいっぱいの時もあります。

―― アイヌ語の勉強はどういうやり方でやるんですか。何かテキストみたいなのがあって、単語や文章を学ぶようにするんですか。それとも口伝えみたいなものを覚えていくんですか。

下倉 初歩の初歩から今やっていますよ。本当ならばあちゃん世代のアイヌの話者から直接学びたかったですけれど、歴史の途中で伝承が途絶えかけ、ネイティブで話す方は殆どお亡くなりになってしまっていて。でも今はアイヌ語ラジオ講座があったり、ネットで調べる事ができたり、アイヌ語の先生も増えてきて。長い時間をかけて残してくれた先輩方や、伝えてきてくれた方がいたからこそです。

―― 途絶えたものを勉強して受け継いでいこうとされているんですね。今は、しゃべっているアイヌの言葉は分かりますか?

下倉 いや、全然まだ片言ですね。「私はこれを食べる」くらいしか分からないですよ。「これをあなたは食べますか」「はい、食べます」とか、もう本当に初歩的なところからやっているんですよ。

―― それはどなたが教えているんですか。

下倉 大学の言語学の先生だったりとか、若い世代の先生も、たくさん今指導者として頑張っているので、そういう方々から学んだり、地元のフチの残してくださった物語をひもときながらなどいろいろな方法で学んでいます。

―― アイヌの言葉は北海道の地名とかいっぱいあるし、今、「カムイ」という言葉も浸透し始めているんじゃないんですか。

下倉 『ゴールデンカムイ』の影響じゃないですか。

―― アイヌの言葉で絵美さんが好きなものってありますか。

下倉 今ぱっと思い浮かばないけれど、ケラアンとか。美味しいって意味ですけど。美しいって意味のピリカも好きですね。ピリカって名前を付けてる人いるんじゃないかな。

カントの意味は、「空、天、宇宙」

―― 幹人(カント)という名前はアイヌ語ですか。

下倉 カントにはアイヌ語の意味もありますよ。

―― どういう意味ですか。

下倉 息子を産んだ日は、とてもいい天気で空が綺麗で。じゃあ、空っていう意味のアイヌ語にしようって。

―― カントって、空という意味なんですか。

下倉 空とか天とか宇宙とか。

―― 素敵ですね。アイヌ語だけではなくて、伝統工芸まで習うのはどうしてですか。

下倉 もともと、うちの親族はみんな手工芸をやっていて。去年、ものづくりということで関わったんですけれども、私、めちゃくちゃ苦労したんです。

阿寒湖から望める雄大な雄阿寒岳(撮影/佐藤智子)
阿寒湖から望める雄大な雄阿寒岳(撮影/佐藤智子)

―― やっぱりアイヌの伝承者としての仕事の依頼が来るということですか。

下倉 伝承者というか、その時は工芸作家として。

―― でも、絵美さんはミュージシャンですよね。

下倉 工芸作家とも言われました。私はここにいて、その時出来る事をしている。例えば、取材の方に歌手と言われると、歌い手と言ったほうがしっくりくるかなとか、ちょっとニュアンスを変えてもらったり。別にうまいからなったわけじゃなくて、師匠の指導を受けてとか、格付けがあるわけじゃないし、生活の中で歌われてきたのがウポポ(歌)だし、生活の中で使うものを作る。バラバラじゃなくて、すべて繋がっているから。

アイヌの伝統工芸も勉強するのは

―― ものづくりの依頼が来たら、ちゃんと勉強して、ちゃんとしたものを届けたいと思ったということですか。

下倉 悔しかったんですよね。もっとうまくなりたいなと思って。続けなきゃなと思っていることの1つかな、伝統工芸は。

―― アイヌのことを勉強しているのは、アイヌ語と伝統工芸の他に何かあるんですか。

下倉 みんな、教わりながら、やりながら、作りながら、並行して学んでいくんですよ、私達の世代は。

―― いろんなことを教わらなきゃいけない世代なんですか。

下倉 教わらなきゃいけないって思っていたらするだろうし、「別に私はいいわ」と言ったら、それでいいし。なんかしなければいけないわけじゃないとは思うんですけども。自分が好きなもの、得意なものをやるのが一番いいから。

―― 強制や義務でやるのではなくて、自分が好きだと思えることをする。絵美さんの中で、自分はアイヌとしてこういうことを伝えていきたいと思うことはありますか。

下倉 生きてきた中で、アイヌという事で苦しんでいた先祖の事を知ったり、観光地で客からの言葉に触れて泣いた事もある。やるせない歴史に悲しみもある。でも、自分らしさ、その中にアイヌの事が滲み出ると思っているし、歌う時も自分を通して先祖とつながれる事もあると思ってる。基本的に私の性格から、強制されたり縛られたり、威圧的な事が苦手で、自分の気持ちを大事にしたい自由なところもある。なので、自分らしくあるのが一番伝わる方法だと思います。その気持ちの出処がアイヌだったら尚更。

「アイヌの心とは?」と聞かれるけれど

―― 今回、絵美さんの世代の方に初めて話を聞きます。アイヌコタンで話を聞いたのは上の世代で、親が差別をすごくされていたりとか、自分もされていたりして、だから、アイヌだってことをずっと隠してきたと。で、ある時にそれじゃいけないということでアイヌ語の勉強を一生懸命始めてもう30年になるとか。「アイヌらしく生きる」と思っても難しいと。それは「人間らしく生きる」というのと同じで、どうやって生きたらいいのかが分からない。勉強すればするほど分からなくなるっておっしゃっていたんです。

下倉 アイヌらしくっていう縛りに自分ががんじがらめになっている。それだけ伝承の断絶があって、自信を持てなくなって苦しんでいるってことなんだと思う。北海道以外にもアイヌは暮らしているし、自分がアイヌと思っている人もたくさんいて、言葉も踊りもできなくても、生活の中にアイヌ文化に関わるものがなくても、その人が自覚していればアイヌなんだと思う。その人が生きていて存在しているだけで。歌や踊りや儀式は、先祖との繋がりを確認するツールのようなものなんだと思う。私は、その人からにじみ出ているものが好きです。よく、自分が自分のことを客観視なんてできないのに、「アイヌの心とは?」と聞かれるんですよ。頑張って合わせて考えるけれど、本当は「そんなの、感じてくださいよ」ぐらいで、言葉にできない。言葉にすると、何かウソっぽくなっちゃって。言葉にすること自体が、なんか難しいし、恥ずかしい。

先住民族に学ぼうと言っていても

―― 今、アイヌの生き方が注目されています。例えば、自然と共生するとか、自然を大事にするとか、ものを大事にするとか、そういう発想が浸透してきている。

下倉 アイヌだけではなくて、もともと日本にはそういった考えがありますよね。でも、環境問題の話などで、先住民族に学ぼうってあんなに言っていたのに、その後どうなっているんだろうって不思議。「立ち返って」みたいな感じで先住民族が出てくるけれども、変わってないなあって。世界って全然、彼らの言葉をすくい上げていないと思ったりする。でも、少しずつ変わっていくのかもしれないですね。本当は何かが変わるのを待っているんじゃなくて、自分が変わんなきゃいけないですよね。私も時々反省しますけれど。

幹人君の視線が印象深い(撮影/佐藤智子)
幹人君の視線が印象深い(撮影/佐藤智子)

―― 絵美さんがアイヌのことを勉強しているのを、幹人君にも勧めますか?

下倉 私がやっていることを言ったかな。「面白いよ」とは言ったかもしれないけれども、「やったら」とは言っていないかな。

―― 幹人君は、この映画に出て、映画を観て、どう感じたんでしょうかね。最後のシーン、幹人君の顔のアップで終わるじゃないですか。自分で見てどんな感じだったんですかね。

下倉 「わー!恥ずかしい」って、最初は言っていましたけれども、普通にみんな地元の友達も出ているしね。私はいつも息子達に茶化されますよ。「だあーれも強制なんかしていないよ」とかって映画のセリフのマネされて、「こらー」と言ったら、逃げていって、の繰り返しをしています(笑)。

福永監督は、情熱があって、誠実な人

―― 幹人くんのずっとずっと上の世代の方にお話をお聞きすると、生きているうちに何かを伝えたいと言われるんですよね。

下倉 そんな先輩達の伝える機会を増やす事が出来たらいいなって思います。思いを吐き出したり、受け止めたりする事なく死なないでほしい。傷があったら癒やせたらと思う。自分のできることは、手のひらで持てる分だけだけど、自分なりにできることをしていきたいですね。

―― それは、協力をいろいろしたいということですか。

下倉 もちろん協力したいなって思うし、地域の事以外にも福永監督だって、その1人だし、いろんな方との出会いがありましたけれども、お声がけ頂いたら、「私ができることなら」と言って、やりますよ。

―― 断ることもできるけれども、どうしてですか。

下倉 私がその人に興味を持ったから、だけですね。

―― 福永監督は、どうしていいなと思ったんですか。

下倉 福永監督は熱意がある人だったし、デボさんに「お前の顔を見ていたら滅入る」とか言われても、めげずに「え、なんでですか」とか言いながらも、いくらそう言われてもへこたれないところとか、写真写りはクールだけど、笑うとすごくいい顔するし、ちゃんと向き合おうとしてくれているのが伝わる、誠実な人だったからですね。上から目線じゃなくて、そういう感覚って、やっぱりアメリカに住んでいた経験があるからかなと思うんだけれども、フェアに付き合ってくれている雰囲気がある。悩みながら、探しながらも、一生懸命何回もアイヌコタンに足を運んできたし、そういうところですよね。

土産物店などのお店が並ぶアイヌコタン(撮影/佐藤智子)
土産物店などのお店が並ぶアイヌコタン(撮影/佐藤智子)

―― できた映画を見て、客観的にどう思われました? 

下倉 よかったですよ。本当に。みんながちょっとずつ出演しているし、ちゃんと地元のまりも祭りの様子だとか、母校の校舎とか、この土地の記録が残ったことは嬉しいです。あと、イオマンテ(霊送りの儀式)の火祭りのシーンは、この土地に来たことがない人が見て、こうしたアイヌの伝統を現代的に表現する場があるということを知ってもらえるんじゃないかな、と。「観光に魂を売って生活をするアイヌの人々」と、言い切られてしまうとびっくりしちゃうけど、そこだけが全部じゃないぞ、とも。映画の与える印象の力ってすごいなって思いました。

―― アイヌのことを知ろうと思いますよね。

下倉 あの映画が今のアイヌだって勘違いするかもしれないけど、実際に行って見たりすればもっと分かる事があると思う。眺める事も大切だけど、自分がそこへ飛び込んで体感する事でどう感じるかを試したらいいんじゃないかな。最近アイヌコタンで始まった、一緒に体験できるガイドツアーもあるので、やってみたら面白いと思う。

イオマンテをテーマにアイヌの映画を撮ると聞いて驚いて

―― 絵美さんは、あの映画を通して何を知ってもらいたかったですか。

下倉 視点を変えてみる事で気づく事があるんじゃないかなと思います。福永監督も言っていたけれども、「皆さんそれぞれがいろいろ解釈してね」と。でも、ものをつくる場合にやっぱり意図がない作品なんて絶対ないので、どこに着目するかって人それぞれだから面白いなと思っていますね。あと、アイヌの映画を撮ると言った時、イオマンテというテーマが映画のどストライクで、「えー」って最初びっくりして。でも映画を観た後は、こんな事もできるんだ、すごいなってやっぱり思いました。

―― やっぱりイオマンテというのは、アイヌにとって、「どストライク」というくらい、すごいことなんですか。

下倉 そうですね。変に扱っては恐ろしいものという話も聞きました。

―― 絵美さんは実際にはイオマンテを見たことはないんですよね。

下倉 ないです。ただコタンコロカムイのイオマンテの再現なのか、屈斜路湖でやった時は覚えていますよ。シマフクロウをぱたぱたさせながら、みんなで輪になって踊ったことはありますね。小学校くらいかな。

―― その踊りは、儀式があろうがなかろうが、教えてもらうんですか。

下倉 今、舞台で踊っている踊りも、残っている踊りも、イオマンテの時に踊ったり歌ったりするものがもちろん入っています。

―― 絵美さんは、もう一回イオマンテを映画みたいにやると言ったら、賛成派? 反対派? 

下倉 分かりません。シチュエーションによります。そういうのって自分が計画するものじゃないと思っていて、いろんなものが組み合わさった時に決断するものという気はする。

―― 自分からということじゃなくて。

下倉 1人でイオマンテってできるものじゃないですからね。その地域に知識や経験のある方がいないといけないし、祝詞ができる人がいなきゃいけないし、カムイのための道具を作る男たちがたくさんいなきゃいけなかったり、あと周りから人を呼んでやるんだったら、何人も女性たちがご飯を作ったりしなきゃいけないし、それを支えるための総括、指導するやっぱりフチとかエカシがいなきゃできないし。

―― すごくおおごとなこと。

下倉 例えば、カムイの肉を使った料理を作っても、それを処理する方法があるらしくて、それを怠ったら、よくないことが起こるだの。昔のアイヌの人はすごく気を使って、いっぱい決まり事があったんだって聞きました。「普通に水に流しちゃいけなくて、山に捨てに行った」という話も聞いたし。イオマンテの映画をやることになったおかげで、普段話題に出ないことを地域の人たちと話す機会にもなった。「俺の小さい頃は」とか「クマはないけれども、シカの時はな」とか、付随する話を先輩達から聞く学びの場にもなりました。歌を教えてもらったりしていたけれども、こうやって掛け合って歌うんだとか、そこでまた知らなかった歌を教わったり。

何を信じるかは人それぞれ

―― じゃあ、映画を通して。

下倉 学んだこともたくさんありますね。テーマをイオマンテにしたということ、しかも、アイヌではない福永監督が映画を作るに当たって、私たちの気持ちを確かめるきっかけにもなったし、イオマンテを知らない人にとっても、目には見えない存在を信じることができるかどうかとか、自分は何を信じて、自分たちはどうするのかとか。現代は、食べ物と自分の距離感ってだいぶ離れていて、自分とどういうふうにつながっているのかを肌身で感じることが少ないと思うんですよね。

―― そうですね。

下倉 だから、畑を持っている人だったら、土をほじくったり、匂いを嗅いだり、感触だったり、五感で感じるものがあるかもしれないけれども直接触れ合う機会がないと、そういう実感や繋がりがイメージしづらくなるかもしれない。鶏肉は食べるけれども、ニワトリの羽の感触や、羽をむしる時の大変さは分からないと思う。殺すことと食べることは密接なのに、残酷としか思わなくなるかもしれない。じゃ、どうやって食べる事ができているのかな、と。

―― 今食べている肉がどうやってできているのかは分からない。

下倉 例えば、うちの娘が小さい頃、シカを見て「おいしそう」と言ったりするのって、鹿肉を食べたことがあるからで。鹿を食べる文化がない人は、鹿がかわいそうと思うかもしれないし、食する文化の人同士なら、一緒に「そうだね」と言うかもしれないね。

映画の中の幹人君との自然なやりとりが評判の下倉絵美さん(撮影/佐藤智子)
映画の中の幹人君との自然なやりとりが評判の下倉絵美さん(撮影/佐藤智子)

―― 普段、絵美さんは、カムイとつながっている感覚、儀式はしないまでも、お肉を食べる時にありがたいみたいな感謝をするとか、そういうことはやったりされているんですか。

下倉 あんまり自覚していないけれども、やっているかもしれない。山菜を採りに行って帰ってきて食べたら、この土地に生かされてるんだなーって感じるし、友人がとってきた鹿肉を頂く時なんかは、彼の額の汗までも想像しちゃうくらい。そんな肉はやっぱり特別な気持ちになるし、残さず食べなくちゃなと思う。毎日カムイを感じているかということじゃなくて、「あ!そうだった」とか、気づく感じの時もある。例えば、親族が集まってお酒を飲みながら、「○○おばちゃんがさ」と故人の話をしたとするじゃない。そしたら、コップに酒を入れて「○○おばちゃんにやるからな」と言って、上を向いて言うわけ。死んだ人の話がたまたま出てきたりとかしたら、そこにいるって考える。その人が飲みたがっているから、横に置いて「飲めよ」ってばあちゃんはやっていた。目に見えないものだし、信じる、信じない、やるか、やらないかだって、人それぞれ。自分が気づいた時にやればいいんだよと。自分の気持ちさえあれば。

―― 気持ちさえあれば。

下倉 ばあちゃんはよく言っていたけれども、「アイヌ語で言えないんだったら、別に日本語でもいいんだ」って。「日本語で言えなくても、心の中で言えばいいんだ。想ってやることが大事なんだから」って。形が立派だけじゃダメで、心が大事だよって。本当は、両方できたら素晴らしいし、拍手喝采なんだけれどね。でも、不器用でもいいじゃないですか。歌が下手でも、気持ちが入っている歌はしみるようにね。

●福永壮志監督インタビュー

●秋辺デボさんインタビュー

プロインタビュアー、元女性誌編集者

著書『人見知りさんですけど こんなに話せます!』(最新刊)、『1万人インタビューで学んだ「聞き上手」さんの習慣』『みんなひとみしり 聞きかたひとつで願いはかなう』。雑誌編集者として20年以上のキャリア。大学時代から編プロ勤務。卒業後、出版社の女性誌編集部に在籍。一万人を超すインタビュー実績あり。人物、仕事、教育、恋愛、旅、芸能、健康、美容、生活、芸術、スピリチュアルの分野を取材。『暮しの手帖』などで連載。各種セミナー開催。小中高校でも授業を担当。可能性を見出すインタビュー他、個人セッションも行なう。

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