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ETCの声も私の代表作 声優・日髙のり子が「浅倉南」のイメージを払拭するためにしたこと

佐藤智子プロインタビュアー、元女性誌編集者
明るくて優しくて、浅倉南のイメージそのものの日髙さん(撮影/石田潤)

 アニメ『タッチ』の浅倉南役で一大旋風を巻き起こした日髙のり子さん。

 浅倉南として、あらゆるメディアに登場し、その活躍は社会現象となる。その一方で、「いつまでもヒロインの声は続けられないだろう」と危機感も覚えていたという。

 やっとつかんだ代表作にしがみつくことなく、新たな挑戦へ軽やかに向かう。

「声優を長く続けるために」起こした、その驚くべき行動とは。

「日髙のり子は南だよ、この役ができるの?」と心配されて

―― どこに行っても「南ちゃんの声をやって」と言われるような社会現象になって、ご自身としては、次にどう進んでいこうと思っていたんですか。

日髙 南ちゃんのイメージを払拭する役に出会えたのが『らんま1/2』のあかねちゃんなんですけど。

―― それは、自分の中でこのままじゃいけないということで、いろいろ考えたんですか。

日髙 そこまで、実は考えていなくって。オーディションを受けてくださいとお知らせが来たので、受けさせてもらえるんだと。南ちゃんに比べたら、かわいいけれども強くて、その役をつくっていくことに夢中で、南ちゃんを払拭できるというより、こういう役も演じられると思ってほしくて。ただ、『タッチ』と『らんま1/2』が同じ放送局だったので、プロデューサーの方が、私に決まった時にすごく心配されたっていう話は、後から聞きました。「日髙のり子は南だよ、この役ができるの?」みたいに。でも、アフレコを見て、大丈夫だねと言って帰っていかれたと聞いたので。

―― それはうれしいですね。

日髙 はい。南ちゃんは、怒る時もマックスではなくて、南ちゃんの限度を設定して、怒っても優しく、途中までは怒るんだけど、語尾で抜いて優しく聞こえるやり方をマスターして、ずっとやってきたので。多分、日髙は本気で怒ってもあのくらいって思われていたみたいなんですよね。ところが、『らんま1/2』のアフレコでは、もうリミッターを設定する必要がなくなったので、パーンって、行きたいところまで行っちゃったんです。そうしたら皆さんすごく驚かれたようで。

 私にしてみれば、すごく南ちゃんの演技では我慢するところが多かったんです。ほんとは相手に文句を言いたいけれども、言いたい気持ちをぐっとこらえて、別なことを言うんですよ、南ちゃんの性格は。ところが、あかねちゃんは、考えずに怒っちゃうタイプ。お腹にものを一切ためない。

―― つまり、セリフとして言うよりも、キャラクターがどう思ってやっているかという話ですね。

日髙 そうです、そうです。

―― 性格を理解しきって。

日髙 南ちゃんの時には、思いは募るのに言葉ではそこまで深みを帯びないような、あくまでも爽やかな感じの物語があだち充先生の世界なので。いつも考え過ぎて、眉間にしわが寄ってて、眉間の辺りが痛かったんです。だけど、あかねちゃんの場合は、ポーンとセリフを言ってしまえば大丈夫で、変な話、アフレコ前にどんなに悩んだりくよくよしたり、嫌なことがあっても、終わった後はすっきりして、ストレス解消になる役だったんです。

自分をガラッと変えないと、声優として長く生きていけない

―― その後に少年役、『ピーターパン』の役をされた。

日髙 はい。もっと自分自身を、ガラッと変えてしまわないと、声優として長く生きてはいけないかもしれないと考えてチャレンジした時です。

―― それがまた、全然違うじゃないですか。

日髙 そうですね。『らんま1/2』のアフレコをしていた頃に、少年が出てくるとスタジオの中にいる役者で賄うんですよね。大抵、少年であれば女性声優がやるんですが。

 ある時、私しか女性がいなくって、音響監督さんがぐるっと見回して、「これは来週録ります」と言って、私には振ってくれなかったんです。その時、私には男の子の声が出せないと思われてるのかなと、声優として、急に危機感を覚えたんです。こういうこともできなければ、本当はダメなんじゃないのって。なんとかしなければと。だからといって、「ハイ」って言うほど経験もないので、もし失敗したらと思うと、手も挙げられず。

「ヒロイン役はそう長くは続けられないと思った私は」(撮影/石田潤)
「ヒロイン役はそう長くは続けられないと思った私は」(撮影/石田潤)

―― 浅倉南に代表するヒロイン声で仕事は来る。でも一方で危機感を覚えていた。

日髙 はい。30歳に近づいてくると、やっぱりヒロインを卒業する時が来るんじゃないかと焦って。音響監督さんに、「来年30歳になるんで、そろそろ大人の役をやりたいななんて思っているんですけど」って言ったら、「いいじゃない、ヒロインができるんだから」と。

―― それとなく、アピールしてみた。

日髙 はい。ヒロイン役はそう長くは続かないと感じていましたから。どんどん若手も入ってくるし、フレッシュな、本当の20代前半のほうが絶対いいだろうなと。声優として長生きするための工夫を考える中で少年声にチャレンジしたいという思いが芽生えたんです。

―― そのために、何か練習したんですか。いろんな声を研究するとか。

日髙 実は児童劇団時代に『たけくらべ』の少年役、『絵のない絵本』でアンデルセンの少年時代の役はやっていたんですね。

―― それまでの経験が活かせると。

日髙 どこかで少年役できますって思いながら、舞台とアニメではやり方が違うのかなと自信がなかったこともあって。まずは全くできないと思ってらっしゃる方たちに、こういう声も出せますよと聞いてもらわなければダメだと。でもお仕事の現場でやるには、あまりにもリスクが高過ぎて、チャレンジできなかった。なので、オーディションの時に、「やらせてください」って手を挙げたのが『ピーターパン』だったんです。

遠慮がちなのに押しが強い

―― 自ら手を挙げたのは初めてだったんですか。

日髙 初めてです。しかも私はウェンディ役のオーディションで呼ばれていたので、お疲れさまでしたって終わった後に、音響監督さんと擦れ違いざまに「ピーターパンもやってみたいな」って、小さい声でささやいたんです。

―― それは、戦略というか、そうしようと準備していた?

日髙 それがおかしいんですけど、「やらせてください」ってきっぱり言う自信がないんですよ。聞こえないかもしれないけど、自分の意思は伝えたい。小さなささやき声で、もしも私に運があれば聞こえるかもしれないみたいな、変な賭けをして。ここが、「遠慮がちなのに押しが強い」って私が言われるゆえんだと思うんですよ(笑)。

―― それが一番いいんじゃないですか。ぐいぐい来られても引いちゃうかもしれない。

日髙 そう。すごく遠慮がちにしてるんだけど、「とどのつまりは押しが強いよね」って言われちゃうんですけど(笑)。その音響監督さんとは、何作品も一緒にやっている方だったので。ほんと聞こえるか、聞こえないかの声で、しかもやらせてくださいじゃない、「やってみたいな」というささやきなので。

―― 心の声を届ける的な。

日髙 そしたら、音響監督さんが振り向いて、「え、何? 日髙さん、ピーターパンやってみたいの?」って。そこで「はい、実はやってみたいんです」と。でも、その時にも全然、戦力と思われてない雰囲気。「やりたいならやってもいいけど。みんな、日髙さんがピーターパンもやってみたいんだってさ。ちょっと録ってやってよ」みたいな感じの、全く期待されてない感じ。

―― 一応そう言うならいいよみたいな感じで?

日髙 そう。それで、そこにおられた先輩に、音響監督さんが「ごめんね、日髙さんがピーターパンやりたいって言うから、ウェンディやってくれる?」と。私にしてみれば、もうそこから、「すみません、すみません、すみません」って、先輩にもミキサーさんにも何度も謝って。それで、マイクの前に立った時には、とりあえず上手とか下手とか関係なく、野太い声だけ出そうって思って。

「え、こんな声が出るんだ」と驚きの反応に

―― ピーターパンの練習はしていたんですか。

日髙 していません(笑)。

―― 練習をせずに、音響監督に小声でお願いした。

日髙 そう(笑)。分からないですよね。このね、何だか度胸があるのか、ないのか。

―― てっきり準備万全だったのかと思いました。

日髙 準備してないんですよ。そんな中で、ちょっと言ってみたつもりが、何だか大ごとになっちゃって、先輩が相手してくださるってことで、後には引けない崖っぷちになったんです。ここでちゃんと決められなければダメだ、当たり前ですけど。とにかく思いっ切りやろうと腹が決まって。自分が考えられる最大の野太い声でセリフを読んだんですね。

 自分は必死に読んでいたので、全くサブの様子は分からないんですけれども、マネジャーさんが言うには、「何か面白いもの見られるかな」って、皆さん、ソファに寄りかかる感じで、すごく余裕な感じでお聞きになっていたけど、私が一言出した時に、皆さん、背もたれから起き上がって前のめりになって、「え、こんな声が出るんだ」ってなったって聞いて。

―― それ、うれしい反応ですね。すごい。

日髙 はい。やった価値がすごくありました。でもスタッフさんの間では、確かに驚いたけれども、どこまで低い声が出せるのか、この声を出し続けて1年のレギュラーが持つのかとか、だけど、驚いたこの声を信じてみたいとか、いろいろな葛藤があったようで。

 その後も、2回オーディションに呼ばれて、期間も長引きましたし、結果が出るまでもすごく長くて。その間、ウェンディ役だけを受けていたら、合格した可能性があったかもしれないのに、ピーターパン役をチャレンジしたことで、両方失ってしまったのかもと。挑戦できて、やることはやったといううれしさと、チャンスを逃したかもしれないという気持ちで揺れ動いて。

―― どれぐらいの期間、返事を待ったんですか。

日髙 私の中では何ヶ月も待った気がするんですが、実際はそこまでではなかったかも。マネジャーさんも、私がすごく悩んでいるので、1回結果聞きに行ったら、もう少しお待ちくださいって帰されたらしいので。

―― でも、結果的に。

日髙 やることになって。ありがたかったです。1年間という長い期間に週に1回、男の子の役をやらせてもらって、ものすごく勉強になりましたし。演技の幅ができました。

声をつぶすという初めての経験をして

―― では、危機感は払拭できたんですか。「私、やればできるじゃん」みたいな。

日髙 でも、第1話のアフレコに行った時に、30分のアニメなんですけど、初回だけ1時間スペシャルで、役のイメージを決めるので何度も何度も録っていたら、声がつぶれて、かすかすになっちゃったんです。それで、私はしゅんとなってしまった。

―― 今まで、地声に近かった。でも、その時は少年の声をつくっていたからですか。

日髙 はい。声が出なくなる経験は、南ちゃんが叫んだとしてもないので。セリフで声をつぶすみたいなことは初めて。

―― そうすると、今度は声優として、声を大事にしようとか、ケアし始めることはあったんですか。

日髙 若い頃は全然してなくて。男の子の声の出し方は、とにかく全力で、お腹の底から声を出すことをやっていたんです。今だと全然違う発声の仕方をしているんですが、その頃は、必要のない発声をしてた。どちらかというと舞台に近い発声。必要以上に力を入れて、踏ん張ってしゃべっていたんですよね。それを初回でやってしまったので、ピーターパンはずっとその雰囲気を保ちながらやっていました。

―― 自分でいろいろ加減ができるようになったのは?

日髙 ピーターパンを終わった後ですね。次の作品から、力を入れないで、普通に男の子の声、セリフがしゃべれるようになりたいなと、また1つ目標が増えて。そうやって、1つクリアして、また増えてという繰り返しです。

自分が声優に向いていると思い始めたのは

―― いつぐらいから、声優が天職だなあと思えるようになったんですか。

日髙 多分、天職って言えるようになったのもほんとつい最近のことで。大好きで向いているだろうなとは思ってはいたんですけど。

―― 自分が声優に向いているというのは、いつ頃から思われたんですか。

日髙 『タッチ』の終わり頃からは思い始めました。

―― それはどういう意味で向いていると思ったんですか。

日髙 『タッチ』は2年間レギュラーだったので、終わり頃には、すっかり浅倉南が自分の中に染み込んで、すぐにすっと南ちゃんになれるみたいな感じで。『らんま1/2』のあかねちゃんをやって、その後、『となりのトトロ』のサツキちゃんがあって。女の子の声だけでもいろんなタイプのキャラクターをやらせてもらえるようになって。

―― つまり、代表作ができて、世の中に認められたということですか。

日髙 そうです。やっぱり世の中に認められてこそというのが、自分の中にはあるなって。自分の顔と名前を知ってもらう女優を目指したり、歌手として世に出ることを意識していたからかもしれませんが。自分が好きだからとか、楽しいからとかだけではなくて、世間の方たちから認めていただけるというのがあってこそだと。

できなかったことができるようになる喜びを知って

―― 声優で世間に認められたけれど、「私、やっぱり女優になりたいんです」とはならなくて、なぜ、声優で行くと決められたんですか。

日髙 私、多分、お話をしていると徐々にお分かりいただけるかと思うんですけど、今やっていることに夢中になっちゃう、そのことで頭がいっぱいになっちゃうタイプなんです。

 だから、声優としていろんな役、あかねちゃんみたいな強い子ができた、サツキちゃんみたいな子どももできた。そして、『トップをねらえ!』で技を叫ぶみたいなアニメもできた、男の子もできたってなると、今度は大人の役にチャレンジしたい、悪役もできるようになりたいと。どんどんオーディションを受けることで、自分にこの役は来ないだろうと思う役もいろいろできたんですよね。意地悪な役もやらせてもらいましたし。

―― チャレンジすることが好きなんですね。

日髙 そうです。チャレンジして、できなかったことができるようになる喜びみたいなものを知っちゃって、声優としての引き出しがどんどん増えていくこと、その引き出しをどこまで増やせるかっていうことにすごく夢中になっちゃって。やったことのない役を自分が追い求めちゃうんです。

―― すごくいい話。だって、ずっと南ちゃんにしがみついて、引きずって、引き延ばしていたわけじゃなくて、次々とやりたいことが増えていったってことですよね。

日髙 そうなんです。最初の頃は、他の役をやるに当たって、南ちゃんとはお別れしないとうまくいかないのかなとか考えていた時期もあったんです。だけど、チャレンジしながらも、南ちゃんの声って、毎年どこかで誰かに求められるんですよね。だから、「南ちゃん」って言われたら、いつでも引き出しのすぐ出せる場所に取っておいて。

―― 今、何人ぐらいのキャラクターが自分の中の引き出しに入っているんですか。

日髙 どうだろう。女の子で優しい子、強い子、子ども、大人、あとは悪い人みたいな感じですよね。男の子も小さい少年、中学生ぐらいの子、高校生ぐらいの子みたいな感じでそれぞれ。あとは性格的に優しい子、意地悪な子、内気な子って分けていくと、結構いろいろ、たくさん。数にしたらどのぐらいになっちゃうんだろう、分からない。

―― すごい。それだけ演じ分けられるっていうのがやっぱりすごい。それだけ挑戦して、役を決められてきたということですね。

声優としての引き出しがどんどん増えて、どこまで増やせるか夢中になって(撮影/石田潤)
声優としての引き出しがどんどん増えて、どこまで増やせるか夢中になって(撮影/石田潤)

「ETCカードが挿入されました」という音声案内は実は私の声

―― 声優の仕事は、アニメの声以外にも、ナレーションとかいろいろありますよね。

日髙 当初は、アニメだけでいいと思っていたんですが、ナレーションの仕事も増えていったのがうれしかったですね。というのも、私、小学生の頃から朗読が好きだったんです。先生に指されて、教科書を読むのが大好きで。放送委員会にも入っていて、登下校の校内放送もやっていました。

―― では、声優はいろんな仕事ができるというのもよかったんですね。

日髙 よかった。でも、それは後付けですね。やっぱり演技が一番で。

―― ですが、演技だけでなく、他にも挑戦されていて、車の「ETCカードが挿入されました」という機械音声のような音声案内も日髙さんの声なんですよね。それはあえてやられたんですか。

日髙 いえ、パナソニックさんのほうから、私の声でというオファーがあって。それでチャレンジしました。

―― わざわざ、何で日髙さんなんですかね。感情を消さないといけないじゃないですか。

日髙 そうなんですよね。私の声の特長を生かした形でと思われていたみたいです。感情は抑えるんですけど、私の声質はそのままで。だけど、それが難しくて、音響制作を担当した技術者の方と何度も試行錯誤しました。

―― パナソニックさんの意向がわかる。日髙さんの声だと、すごく安全運転ができそうな気がしますもの。落ち着ける。

日髙 そうなんですね(笑)。私自身が自分の声の特長を生かして、変な話、さわやかな感じのトーンで読めたら、それでいいのかなぐらいに思っていたんですけれども。

 本気で機械音声のように音声案内制作に取り組んだら、ドライバーの気持ちを動揺させないように、常に安定したメッセージが流れるように、テンポ感は常に一定でなければいけないとか。

―― つまり、演技をしちゃいけないってことですよね。

日髙 注意するポイントが違うんです、全く。テンポを決める。それから1回サンプルの一番聞きやすい音声をとったら、警告であろうが、料金のお知らせだろうが、同じ感情で言わなくてはいけないんですよね。だから、つい「残念でした」みたいな気持ちを入れてしまったり、それは必要がなくて、常に一定のテンションで落ち着いて、正しくメッセージを伝えてほしいっていうことなんですよね。

人の期待を裏切ることは自分にとって苦しいこと

―― 声優の仕事でも演技のリクエストと、声なんだけど全然感情を出さないでとか。そういう声の仕事もいろいろやってみようと思ったんですか。

日髙 いや、全然思ってないです。もうほんとにETCに関しては、大変な仕事を受けちゃったなって収録の最中から思っていました。

―― なぜ、やめなかったんですか。やっぱり、チャレンジ精神で。

日髙 それは最初に音声制作会社の社長さんと約束してしまったからです。お願いをされてしまったので、責任がありますし。あとパナソニックの方が、私がいいって、ご指名という形でやらせていただいたのもあるので。やっぱり人の期待を裏切ることがすごく自分にとって苦しいことなので。がっかりさせてしまうのが。

 基本的に人が喜ぶのが好きなんです。でも途中からは本当につらかったですが、逃げなかったのは、約束があったからですね。いざ自分の車に付けた時には、すごくやって良かったと思いました。

―― それはどういう意味で。

日髙 本当に、私の声のままに録音が録れていたんです。常に機嫌のいい私がアナウンスしているっていう感じに聞こえたんです。だから、「感情を出さないで」って言われましたけれども、そんなに感情が入ってないふうにも聞こえないんですよね。

 確かに「有効期限が切れています」っていうのも、普通にアナウンスしているふうに聞こえるんですが、耳触りが良くて、自分でもいいなと思える感じの仕上がりだったので。感情を入れないこと=無機質=冷たい、じゃないんだなって。

―― じゃあ、期待通りの仕事ができたということですね。

日髙 はい、そうですね。つまりは、「感情を入れるな」、「すまないと思うな」っていうところを音響制作の方に何度も言われたんですが、トータルで彼が言いたかったことは安定感ですね。常に同じだっていう安定感が欲しかったんだっていうことだと、今になってみるとよく分かります。

私の声を聞いて、一番「おお-」とどよめくのは

―― 日髙さんにぜひ、という仕事もあれば、日髙さんに全く期待されてないところを挑戦したいということで、どんどん仕事が広がっていったわけですね。

日髙 はい。だから、ETCをやったおかげで、アニメに興味のない方たちがETCの声ということで、私のことを知ってくれるようになって。今や、ETCの声は南ちゃんと同じぐらいのシェア率なんです。

―― みんな聞いていますもんね。

日髙 そうなんですよね。例えば、クラシックのコンサートの司会もするんですが、南ちゃんの声はもちろん反応はいいんですけれども、一番会場が「おおー」とどよめくのはETCの声をやった時なんです。「ETCカードが挿入されました」と言うと、この人とは思わなかったけど、この声は知っているって。だから、ETCは代表作の1つです。

「喉のケアをちゃんとするようになって、すごく変わりました」(撮影/石田潤)
「喉のケアをちゃんとするようになって、すごく変わりました」(撮影/石田潤)

―― 日髙さんのイメージは、声もそうなんですけど、明るくて、ポジティブで、優しくて、安定感、安心感がある。そういう皆さんが期待されるキャラクターや声を保つために、何か気をつけられていることってあるんですか。

日髙 若い頃は全くやらなかった喉のケアも今はちゃんとやるようになりました。潤いが必要なので、吸入器を持ち歩いています。喉が乾燥していると、喉のコントロールが上手にできなくなっちゃうので。生理食塩水を使って、吸入を意識的にやるようになりました。

―― どれくらいの頻度で。

日髙 朝と晩、7分ぐらいですかね。

―― それは誰かに言われたんですか。

日髙 そうです。ちょっと喉の調子が悪かった時に、喉の専門のお医者さんを受診したら、「お薬よりも何よりも、一に吸入、二に吸入です」って言われて、1年前から始めました。

―― ずっと、南ちゃんが年を取らないので、どうされているのかと。

日髙 ボイストレーナーの先生や声の専門家の方からいろいろ聞いて。例えば、筋トレをして、筋肉の状態を若い頃と同じくらいに持っていけば、体が楽器なのでいつまでも若い声が出るんだよとか。それを実践していた時もありましたし。

 でも、やっぱり今はスポーツ選手が試合の後にケアするように、整体に行くとか、使った筋肉を緩めるということも大切だと教わったので、やっています。

筋肉がほぐされていないといい声が出ないと言われて

―― 常にそういう勉強や情報を得たりされているんですね。

日髙 そうなんです。肩こり、首こりなんて働いている人だったら誰でもあると思っていましたが、声を使うことによって、特別疲れるとは思いもよらなかったんですよね。

 ところが、喉のお医者さんに行った時に、整体などは行かれていますかと質問をされて。やっぱり首や肩や背中の筋肉がいい運動をしてくれるように、動かせる状態、固まってなくて、ほぐされていないと、いい声は出ないと言われて、整体も行くようになりましたし。

―― つまり、喉をどうにかするんじゃなくて、全体を見るっていうことですね。

日髙 体全体なんです。体調が悪かったりしても声は下がりますし、メンタルが落ち込んでも声って低くなりますし、すごく体と直結しているので。若い時は勢いとか、若さで保たれていた部分を、今は補って声が出しやすい状態に持っていかなくてはいけない。

 声帯ってぴったり閉じていないといい声が出ないんですけど、乾燥して硬くなってしまった声帯は隙間が空いてきたりするんで、吸入器を使って潤うと、高い声がきれいに出るんです。声の状態がすごく良くなりました。

―― 食べ物とか日常生活では、どういうことに気をつけられているんですか。

日髙 喉のお医者さんいわく、「辛いものとか、カフェインとかダメですよ」と言われるんですが、コーヒーも好きだし、辛いもの大好きなんで、ストレスがたまらない程度に、ちょこっとは食べることもあるんですが。私、ストイックそうに見えてぬるいんですよ。

―― しかし、お若いですよね。

日髙 ありがとうございます。私、60歳ちょうどです。還暦。

―― いや、全然そんなふうに見えない。

日髙 だから、多分皆さんも吸入器を使われれば、声は良くなると思います。

―― でも、始められたのが1年前ですよね。手遅れになってないというか。

日髙 確かに。59歳まではどうしていたかというと、乾燥した稽古場で、いっぱい歌を歌ったらこうなっちゃいましたとか、いっぱい叫んだらこうなっちゃいましたとか、普通の耳鼻科に行っていました。風邪じゃないし、鼻炎でもない。「僕にできることは、痛みを取ってあげることぐらい」ってお医者さんがおっしゃった時も、それで十分なんです、痛いが取れたらいいんでと言っていたんですけど。

 いよいよ、やたらと乾燥するなと思った時期があって。今までとは違うケアをしようとした時に、喉よりもっと下の食道のあたりがかすかすするなと思ったら、逆流性食道炎だとわかって、それで治したというのもあります。

―― 声がちゃんと出るというのは健康体じゃないと難しいですもんね。

日髙 いろんなことが関係するんだなと思って。声専門のお医者さんに行くと、ボイステストみたいなのがあったりして。長く声を出せますかとか、高い声がどこまで出ますかとか、今、声を出すことで困っていることはありますかと聞かれます。歌手の方とか、ミュージカルの方とか、舞台の役者さんも、声優さんも通っている方が多くて。私は使い過ぎてこうなっているだけだからと思っていましたが、もっと早く行けば良かったと思うぐらい。声についてのありとあらゆる質問に答えてくださるんで。

―― 逆に言えば、それまで喉に違和感がなかった。なぜそんなに続けられたんでしょうか。

日髙 そうですよね。少年声で叫び続けていた頃に、声帯に結節といわれるタコみたいなものができてしまって、声が枯れてたんですよね。でも、ちょうどその時期に出産して、産休で1カ月間お仕事を休んだら、結節が消えてしまって。ラッキーでしたね。

私の声で、笑顔になる人たちがたくさんいるって実感して

―― 天職だと思うようになったのは最近だと言われていましたが。

日髙 私、『日髙のり子のボイスアクターズ』という、YouTubeチャンネルで司会をしていて、「あなたにとって、声優とは」と声優さんにインタビューするんですが。1回だけ私がゲストになって、その時は山寺宏一さんが司会になってくれて。私がそこで「天職だと思います」と言ったのがきっかけで、去年出版した本のタイトルも『天職は、声優。』になりました。

―― その時に実感として思われたのは。

日髙 今はアニメや吹き替えの声優だけじゃなくて、番組ナレーション、CM、機械の音声とか。本当に私の声が、いろんなメディア、場所で、聞いてもらえる幸せをすごく感じ始めていて。ETCをやると、アニメをご覧にならない方でも私の声に触れる機会があるんだとか。私が声を出すことで、喜んでくれる、笑顔になる人たちがたくさんいるっていうことが、すごく自分の中で実感する機会が増えたんですよね。アニメファンの方のみならず。

―― うれしいですよね。

日髙 アニメに特化して言えば、どんなに大人になっても、例えば誰もが知っている有名な方たちも、私が南ちゃんの声を目の前で出すと、それを見ていた中学生に戻ってしまう。見たこともないような、くっしゃくしゃな笑顔で喜んでくださるんですね。

 だから、記憶に残る声っていうのは、その人をその時代まで引き戻す力があるし、いつも聞いているということで人が安心してくれたりとか。その場面に出会う度に、私自身が、感動するんですよね。ものすごくうれしいと思うし。距離もすごく縮まったりして。

「変な声」と言われた私の声がまさか癒やしになるなんて

―― つまり、声というのが、人の心に響くものという大きな意味になっているわけですね。

日髙 そうなんです。私の声で幸せな気持ちになってもらえる、幸せをお届けできるみたいな。

―― 素敵ですね。

日髙 最初は「変な声」と言われた私なので、自分の声が癒やしになるなんて考えたこともなかったんですが。「日髙さんの声を聞くと癒やされる」とか、「安心する」とか聞いた時に、自分の声を使って、やれることの可能性はまだまだあるんじゃないかなって。自分が気付いていないところも含めて。

―― もっと世の中に求められることがあるんじゃないかと。

日髙 そうなんです。皆さんのお役に立てることがあったり、力になれたりすることがあるのかもしれないって。昔は半信半疑だったことがだんだん声を届けた時の受け取った方の表情で、自分自身が確信を得たというか。

―― 素晴らしいですね。

日髙 声優という仕事に自分が就いたことの意味、つまり演技だけじゃなくて、私の声でこれだけの人たちの心に思い出として刻まれているという。それから、新しく私の声を知って、その声が心地いいと感じてくれる人がいるんだとだんだん分かってきた、知る機会が増えたというか。

アイドルをやっていた私は、声優が歌って踊ることに全く抵抗がない

―― 今、声優という仕事がすごく人気で、なりたい職業、目指している方も多い。日髙さんが声優になられた時代から40年近く経っているんですけど、声優への注目度について、どう思われますか?

日髙 声優がキャラソンを舞台で歌ったりするのに、私は全く抵抗がなかったんですけれど、中にはスタジオワークは好きだけれど、人前で歌うというのはちょっと違うという人もいると思うんです。でも私は、もったいない、こんなにできるのにと思う。

―― 今の声優さんは、歌って踊って、アイドルみたいな感じで、むしろそれをしなきゃいけないようなこともあるじゃないですか、お仕事として。でも日髙さんの場合は、先にアイドルをやっているから。

日髙 そうなんです。だから、声優として、舞台で仲間たちと踊ったり歌ったりすることがむしろ楽しくてうれしい。私自身は歌って踊る喜びも楽しさも全部知っているから、やれるならやったほうがいいよと。

 だけど、それで、プレッシャーを感じる場合もあるかもしれないので、誰もがやれるチャンスはあるけれども、向いている、向いていないとか、自分が望んでる、望んでないとか、やってみたいと思ったけどやってみたら違っていたとかあるとは思います。

―― チャンスがあるならとりあえず、経験してみる。

日髙 はい。何か声優のお芝居にも取り込めるところがあるんじゃないかと思うんです。演技とはまた違う何かエッセンスを入れられるんじゃないかなって。声優という引き出しにしまえる部分がある、何かで役に立つ時が来るんじゃないかなと。全ての経験が無駄じゃないって、私は思っているから。

―― 全ての経験が糧になる。

日髙 そうです。自分がめちゃくちゃ打ち砕かれたことも、挫折したことも、思い通りにいかなくて苦しんだことも、悔しい思いをしたことも、頭に来たこともある。でも、そういう経験は全部演技に生かせると思えて。

自分から自分の可能性を狭めてしまうことは絶対にしてはいけない

―― つまりは、声優という仕事の可能性はすごいよということですよね。日髙さんのようなキャリアがある方が、「まだやれる。声優ってもっと役割がある」と言われるのって、すごい若手にしてみたら世界を広げてくれる感じがするんですが。

日髙 恐らくそれはアイドルから声優になるまでの一番お仕事がなかった時代、自信がないからと引っ込み思案になるんじゃなくて、思いもよらないこと、「やってみませんか」って言われたことをとりあえずやってみた経験からですね。箸にも棒にもかからなければやめればいいわけだし、やってから判断しても遅くはない。自分から自分の可能性を狭めてしまうことは絶対にしてはいけないって、その時に立てた目標がずっと残っているんです。

―― それは、別に声優に限らず、全ての業界、全ての人に言えることですね。

日髙 仕事がしたくてもなかった時代があるので。若手の皆さんは、声優学校や養成所に入られて、デビューを待っている人たちもいると思うんですけど。私の場合は、先にドラマに出て、歌手としてデビューしていて、厳しさを知っている上で、この仕事を続けていきたい時にぜいたくは言っていられないところまで追い込まれた中での考えだったので。

 人って、追い込まれると自分では思いもしなかった力が発揮できたり、自分にはこんなことできないと思った才能が埋まっていたり。何がきっかけで表に出るかはわからない。

自分の境界線をなくして、どんどんチャレンジしたらいいと思う(撮影/石田潤)
自分の境界線をなくして、どんどんチャレンジしたらいいと思う(撮影/石田潤)

―― リスナーのたった1枚のハガキが運命を変えることもある。

日髙 そうです。そういうことです。

―― 素直というのも重要ですね。頑なに、「思っていたのと違う」というのではなくて。

日髙 今、世間を見ていても、俳優さんが声優をやられたり、コントにチャレンジされたり、歌も歌われたり。芸人さんが役者として映画やドラマに出られたり。

 ジャンル分けの境界線みたいなものが今はない。だから、飛び越えてどんどん行きたい、抵抗がない人は自分の境界線をなくしていけばいいなって。そのほうが楽しいんじゃないですか。一度しかない人生で、チャンスがあるならば、試さないと損だよねと思う。

声優を長く続けるために必要な2つのこと

―― 声優になりたい方に、何かアドバイスありますか。声優になるためにはどうしたらいいかとか、続けるためにはどういう心がけが必要かとか。

日髙 やっぱり一番大切なのは、チャレンジする勇気と諦めない心、この2つだと思う。劇団時代の仲間が、「やっぱり長く続けているといいことあるね」と言ってくれたけど、長く続ける中には、ずっと良かったわけではないし、もう私はダメかもしれないって思った時期もあったし。そこで自分自身が、何でもチャレンジしていこうという思いを忘れなかったから、今があるんじゃないかなと思っています。

 新しい、やったことのないことは、緊張もするし、ひるんだりもするんですけれども。できるようになりたいという気持ちがすごく強くて。その諦めの悪いところが、今まで私が続けてこられたことなのかなって思ったりもしているので。

―― こうしてお話しさせてもらうと、いい意味で、大御所感がないというか。なんかこう、いつまでも若手というか、やる気、ガッツがあるというか。

日髙 そうなんですよ。何でしょうね。

―― エネルギーが若い。

日髙 でも、5年ぐらいたったら、すごく疲れてきて、今の状態をキープするほうに頭が行くのかもしれませんけど。先生たちからアドバイスを頂いて、実行しているうちに、だんだん調子が良くなってきて、前より元気になっています。

―― この先どんなふうになっちゃうんでしょうね。またすごいことになりそうですね。

日髙 そうですね。変な話、お肌のお手入れもそうですけれども、喉も手をかければ良くなるんだなって実感しました。

―― 「どうしよう、この先、声が衰えてしまったら」という恐れがない。危機感はあっても、それをチャレンジに繋げているところがすごい。

日髙 確かに。

―― ヒロインの声に選ばれし人だなと思いました。心持ちが前向きでないと、いくらセリフで役を演じたとしても説得力がない。全身からにじみ出ているんだなと。やっぱり言葉だけで「チャレンジしよう」と言うだけじゃなくて、ご自身がそうなんだなと。

日髙 ほんとですか。私自身は「チャレンジしよう」って感じはないんですけれども。でもないか(笑)。こうやって話していると、チャレンジしようと思っていますね。

―― それが今に繋がっている。考えてみれば、元はといえば、声がコンプレックスだったのに、声を使うお仕事をされている。コンプレックスが宝物だったというわけですね。

日髙 ほんとだ。ほんとにそうですね。

インタビュー前半記事

『リスナーからの1通のハガキが運命を変えた 声優・日髙のり子が天職に出会うまで』

プロインタビュアー、元女性誌編集者

著書『人見知りさんですけど こんなに話せます!』(最新刊)、『1万人インタビューで学んだ「聞き上手」さんの習慣』『みんなひとみしり 聞きかたひとつで願いはかなう』。雑誌編集者として20年以上のキャリア。大学時代から編プロ勤務。卒業後、出版社の女性誌編集部に在籍。一万人を超すインタビュー実績あり。人物、仕事、教育、恋愛、旅、芸能、健康、美容、生活、芸術、スピリチュアルの分野を取材。『暮しの手帖』などで連載。各種セミナー開催。小中高校でも授業を担当。可能性を見出すインタビュー他、個人セッションも行なう。

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